【書評】古代中国に現代を見る:成君憶著『烈火三国志』

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現在、特別展「三国志」が東京国立博物館(今年7月9日~9月16日)で開催中。偶然ながら、今年6月に新たな『三国志』が刊行された。この奇妙な符合に胸は騒ぐ。

日本における『三国志』

本書を読んでみて、今なお『三国志』は古びていないと感じた。現在の中国の政治状況と照らし合わせてみても、得られる教訓は多い。そしてまた、本書には過去の類書では取り上げられていない物語があらたに組み込まれている。それだけでも一読の価値はあるだろう。

『三国志』は掛け値なく面白い物語である。何しろ、弥生時代の物語が現在まで伝わっているのである。人々の支持がよほどなければ、このような奇跡は起きない。いわば、長い歳月がこの物語の素晴らしさを証明している。

昭和世代ならば、大文豪吉川英治氏の著作や横山光輝氏の漫画あるいはNHKの人形劇で大いに楽しまれた向きが多いと思うし、名訳がいくつも刊行されている。また、平成生まれならば、これらに加え、アニメやゲームを通じて親しんでおられよう。さらに、先年公開された映画「レッドクリフ」では、大画面での激闘を堪能された人も少なくないはずだ。

このように、日本の老若男女がさまざまな分野の『三国志』物語を楽しんでいる様相は、今や本場以上ではないだろうか。また、昭和時代よりも身近な存在になっているのは、正に一大奇観である。加えて、『三国志』は約1800年前の古代中国の話であるにもかかわらず、不意に現代日本社会が透けて見えることもある。古今を問わず、人間の生き様は変わらないというべきか。

風雲急を告げる中国

さて、『三国志』の時代は波乱万丈の戦国の世であった。では、今の中国は穏やかな時代なのであろうか。遺憾ながら、現代では派手な戦闘は展開されずとも、かなり緊張を孕んだ日々のように見える。

先般まで、中国は稀代の政治家鄧小平氏が提唱した「韜光養晦(とうこうようかい)/能ある鷹は爪を隠す』路線によって予想以上に成長した。すなわち、大国アメリカに「豊かになれば、中国は民主化するかもしれない」との甘い期待を抱かせ、摩擦を極力避けることができていた。また、過去の苦い経験に鑑み、次世代の指導者(江沢民、胡錦濤)を決め、個人の暴走防止のために集団指導体制を立ち上げ、国家主席も任期制(2期10年まで)としたのである。

ところが、現在の習近平国家主席はこのような鄧小平の政治的智恵を否定し、ライバルを排除して権力を一身に集中させ、周囲を従順な側近で固め、いわば現代の皇帝となった。だが、自らの指示で推進してきたはずの対米戦略や国内経済などは、綻びが散見されるようになった。

現状を仔細に観察してみると、今は激動の時代に突入する寸前なのかもしれない。例えば、対米摩擦はもはや貿易の話ではなく、安全保障次元の対立になっている。具体的には、昨年10月のペンス副大統領による中国敵視演説以降、続々と打ち出される追加関税措置、華為(ファーウェイ)などの排除措置などの動きを見れば、とても尋常な動きではない。これに伴い、中国の国内経済も悪化している。

また、中国当局によれば、アフリカ豚コレラ蔓延のために、今年5月の豚の飼育数は前年同月比約23%減、豚肉の卸売平均価格は同約29%上昇という異常事態である。豚肉は中国の食卓に不可欠の食材であるため、軽視できない事態といえよう。民衆の不満が高まるのは避けられそうにない。

さらに、今や香港が世界の耳目を集める状況になっている。応じ難い香港の要求に対し、中国はどのように対応するのか。その動向次第では、大陸内部にも少なからぬ動揺が走る可能性がある。

この『三国志』でも、後漢の苛政に反旗を翻した黄巾の乱に端を発し、遂には後漢から三国時代に突入する。今この時期に改めて『三国志』を読み進めていけば、風雲急を告げる現代中国の今後の動きを予測するうえで、少なからぬ示唆を得られるであろう。

理想の上司を求めて

蜀の劉備は温和な人物として描かれているが、曹操や他の英雄に比べると、やはり見劣りするのは否めない。ただ、不思議なのは、諸葛亮、関羽、張飛、趙雲などの極めて魅力的で智勇に富んだ英傑が弱将ともいえる劉備のもとに馳せ参じたことだ。

これに対し、曹操は実力ある者を抜擢することで知られており、その英傑振りを慕って勇将や闘将が多く集まった。これはわかりやすい。では、劉備に人が集まったのはなぜか。一癖二癖あるような人物も、劉備のためにひと肌脱いだ。考えてみれば、臣下もいろいろだ。あれこれ指図せず、失敗したときには「私が悪かったのだ」と自ら責任を取ろうとする上司の下ならば、自分の力が発揮できる。そんなタイプの人物が集まってきたのかもしれない。自分の子どもよりも、趙雲のような臣下を大切にする様子を見聞きすれば、「劉備殿のためならば、わが命など捨てても構わぬ」と思い定める武将も少なくなかったろう。

そういう人物評が世の中に流布していたからこそ、弱将の劉備が敗走するというのに、十余万もの領民が劉備に従ったのである。英雄譚を好む者としては、好人物の劉備よりも曹操や関羽や諸葛亮などに魅力を感じる。だが、劉備がいなければ三国時代は到来しなかったと思えば、やはり劉備も別のタイプの英雄であったと考えざるを得ない。

さらに興味深いのは、劉禅(りゅうぜん)(劉備の息子)という人物である。どの類書でも暗君として描写されている。実際、本書でも司馬昭の口を借りて「無邪気」で「腑抜け」と評している。だが、蜀帝として40年在位し、その間特段の争乱もなし。さらに、皇帝とは暗殺や戦死など非業の最後を遂げるものだが、劉禅は65歳の天寿を全うする。確かに、劉禅は魏と戦う前に降伏する。

だが、諸葛亮亡き後、劉禅は良臣や英傑に恵まれず、彼我の力の差は歴然としていたのである。劉禅が本当の暗君ならば、玉砕覚悟で領民を総動員し、焦土作戦を展開した挙句、最後には命乞いをしてわが身を惜しんだであろう。されば、領民の視線で見れば、優れた治世者と言えるのではないか。劉禅は暗君ではなく、わが身よりも領民を大事にした君主であり、正に劉備の子どもであった。

筆者も20年ほど宮仕えをしたことがある。有能で積極的な人であれば、曹操のような上司は理想的であろう。だが、筆者には、何かと指示を出す上司よりも、委細は任せるが、責任は自ら負うという姿勢を見せてくれた上司のほうが好ましかった。曹操の如き上司のもとで働けば、失策すれば相応の罰を覚悟せざるを得ず、心身の安まるときはない。劉備や劉禅の如き上司ならば、筆者は上司のために身を捧げるかもしれない。世の中には「士は己を知る者のために死す」という言葉もあるのだ。

本書で読める:諸葛亮逝去から晋朝誕生まで

ご多分に漏れず、筆者が若い頃に触れたのは吉川英治氏の著作であり、魅了されたのはさまざまな名場面であった、例えば、「桃園の契り」「赤壁の戦い」「諸葛亮と司馬懿」など、血湧き肉躍る興奮は抑え切れない。

一方、類書では諸葛亮逝去とともに物語もほぼ終わってしまう。だが、本書ではその後の展開も教えてくれるのが喜ばしい。司馬懿(しばい)のクーデターに始まる魏王朝簒奪、晋王朝による天下統一の様子などが楽しめる。前述の劉禅などはこの部分があるからこその感慨である。また、呉の名将陸抗(りくこう)と魏の英傑羊祜(ようこ)のやり取りは、短くとも爽やかな佳話である。あの乱世でよくぞ、と思わず拍手したくなる。いわば、上杉謙信が武田信玄に塩を送ったような逸話が何度も展開されるのである。

皆様には是非とも本書をお楽しみいただきたいと思う。

*日中文化交流協定締結40周年記念として、特別展「三国志」が7月9日から9月16日まで、東京国立博物館平成館で開かれている。

烈火三国志(上・中・下)

成君憶著、漆嶋稔訳
発行:日本能率協会マネジメントセンター
四六版:各320ページ
初版発行日:2019年6月22日
ISBN:9784‐8207-3178-8(上巻)、978-4‐8207-3179-5(中巻)、978-4-8207-3180-1(下巻)

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