【書評】北朝鮮の核開発を阻止せよ!:マーク・グリーニー著『米朝開戦』

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北朝鮮の長距離ミサイル発射実験は、アメリカにとって脅威となりつつあった。彼らは核兵器開発に必要な物資と巨額の資金をどこから調達しているのか。ジャック・ライアン大統領の指揮のもと、情報機関の極秘作戦が展開された――。

「世界のろくでなしどもはなぜ、番号札をとって、順番にひとりずつ、われわれを脅すということができないのだろう?」
 ジャック・ライアンは嘆いていた。
 ホワイトハウスのキャビネット・ルーム(閣議室)には、国務長官、国防長官、国家情報長官、CIA長官、国家安全保障問題担当大統領補佐官ら、国家の安全保障を担う政府高官が勢揃いしている。

 当初予定の議題はウクライナ東部でのロシア軍部隊の侵略行為についてだったが、直前になって変更された。おりしも北朝鮮の長距離ミサイルの発射実験が行われた。はたして北の独裁国家は、アメリカ本土を射程圏に入れたICBM(大陸間弾道ミサイル)の開発に成功したのかどうか、急ぎ検討する必要があったのである。
 国務長官は発言した。
「命中精度が世界一悪いICBMに搭載された世界一劣悪な核爆弾でもなお、たくさんの人々を震えあがらせることができます」

HUMINTが欠けている

 それならば、どこまで開発は進んでいるのか?
 情報機関は正確な情報をつかんでいない。CIA長官は弁明した。
「大統領、われわれの北朝鮮関連情報になぜ欠落がたくさんあるのか理解することが重要です。SIGINT(シギント)、ERINT(エリント)、MASINT(マジント)はすべて、“良“から“可“という状態にあります」

 SIGINTは通信・電波情報収集(シグナルズ・インテリジェンス)、ERINTは電子信号情報収集(エレクトロニック・インテリジェンス)、MASINTは測定・痕跡計測情報収集(メジャメント・アンド・シグネチャー・インテリジェンス)のことである。

 CIA長官は続ける。
「宇宙空間、空中、地上、海上に、さらに地下、海中にさえ、それぞれ拠点があって、その傍受・計測装置がすべて朝鮮半島のほうに向けられています。もちろん、サイバースペース経由の情報収集分析も行っています。しかし、HUMINT(ヒューミント)が欠けているのです」
 HUMINTは人的情報収集(ヒューマン・インテリジェンス)のことである。つまり現地で情報収集する工作員がいないということ。

 ライアンは返した。
「われわれは暗闇のなかにいるようなもので、何もわからないというのかね?」
 再び、CIA長官の答え。
「HUMINTという点から見ると、ほぼそのような状況です・・・現在、CIAが直接運営する“資産(アセット)“はあの国のどこにもおりません・・・」

ICBMは実戦配備されたか

 本作が扱っているテーマは、北朝鮮の核開発をめぐるインテリジェンスなだけに、われわれにとっては非常に興味深い物語であるだろう。

 邦訳が出版されたのは2016年3月である。
 当時、金正恩率いる北朝鮮は、射程の長いミサイルの発射実験を繰り返し、経済制裁などどこ吹く風、ひたすら好戦的な姿勢を崩さなかった。
 アメリカにとっては、命中精度はともかく、ICBMが実戦配備され、本土が射程圏に入ることにでもなれば、まさに悪夢である。
 朝鮮半島をめぐる情勢は一気に緊迫化、いまにも米軍が北の核施設に対して先制攻撃を仕掛けるのではないか、という報道が流れたことは読者も覚えているだろう。

 ここに至るまでいくつも謎があった。北朝鮮の経済は、西側の経済制裁によって破綻しているはずなのに、どうして核開発に巨費を投じることができるのだろうか。その資金はどこから来ているのか。
 北朝鮮の貿易は著しく制限されているはずなのに、核弾頭やミサイルの製造に必要な物資はどうやって調達していたのだろうか。
 そしてまた、アメリカはどのようにして北朝鮮内部の核とミサイル開発にまつわる極秘情報を収集しているのか、できていないのか。

 著者は、物語の進行にあわせて、こうした疑問をじょじょに解き明かしていく。むろんフィクションではあるのだが、軍事・インテリジェンス関連の作品にかけては定評のある作家である。
 北の脅威に危機感をもったワシントンの情報コミュニティーが、あうんの呼吸で影響力の大きなこの作家に協力し、警鐘を鳴らしている側面も否めない。
 虚実とりまぜ、どこまで真実に迫っているのか。それが本作の最大の読みどころになっている。

プラハから運んだパスポート

 物語の始まりはこうだ。
 ヴェトナムのホーチミン市で、アメリカの民間インテリジェンス会社(シャープス・グローバル・インテリジェンス・パートナーズ。略してSGIP)に雇われている元CIAの工作員が殺害された。
 SGIPは、金儲けのためならなんにでも手を出す悪徳会社である。

 この元工作員は、同社の請け負った仕事でチェコスロバキアのプラハから5通のパスポートを運んできていた。
 それは、チェコ政府が発行した外交官用のもので、渡航許可書がついている。そこには、同名義のパスポートを持つ外交官が北朝鮮へ渡航し、同国内のチェコ領事館で働くことを許可する旨、記されていた。
 これらのブツは、密封されたビニール袋に入れられており、彼自身は中身の詳細については知らされていない。ただ運ぶだけの簡単な仕事だと説明されている。

 パスポートは、SGIPから賄賂を受け取っているチェコの外務省職員が作成したもの。本物ではあるが、顔写真の人物は外交官ではない。
 このパスポートを所持して渡航する5人は、ある高度な専門知識をもった西側の学者や技術者であり、北朝鮮にとって是が非でも必要とされる人材だった。
 彼らはホーチミンから平壌に向かうことになるが、巨額の報酬と引き換えに、密かに技術指導することを承諾したのだった。

 SGIPのこうした活動は、むろん摘発対象になる。
 同社は元FBIの大物捜査官が設立した会社で、ニューヨークに拠点を置き、世界の主要都市に支店がある。いまや民間のなかでは超優良のインテリジェンス会社になっており、クライアントとして大手企業から各国政府機関を多数かかえている。主に、政府・企業情報の収集と分析を業務としているが、裏では非合法な工作活動にも手を染めている。
 そのために、情報機関の有能な退職者を大勢かかえていた。

 ベトナムに派遣された元CIAの工作員もそのひとり。彼はプラハから持参したパスポートを、ホーチミンで待機しているSGIPの同僚に渡すだけでよかった。

「DPRK」の4文字

 だが、土壇場になって、元工作員は翻意した。
 なぜか。彼は、今回の仕事のクライアントが北朝鮮であることを偶然知ってしまった。彼は自問自答する。
<いまおれは世界で最も残忍で抑圧的な体制のために働いているというわけなのか>
 おそらく、このパスポートの5人は、北朝鮮に秘密裡に送り込まれる科学者に違いない。核兵器の専門家なのか?彼は罪悪感から、任務を放棄する。パスポートは処分するつもりだった。
 しかし、彼は4台のオートバイに乗った屈強な男たちに襲撃され、殺されてしまう。パスポートは奪われた。

 ここで、本作の主要なメンバーが登場する。
 この殺害現場を目撃したグループがいた。アメリカの国家情報長官メアリー・パット・フォーリの指示で現地に送り込まれた民間の極秘情報機関「ザ・キャンバス」所属の4人の工作員である。
 彼らは、元工作員を監視していた。アメリカの情報機関は、SGIPの非合法活動に神経を尖らせており、ここヴェトナムで同社が何を仕掛けているのか、つきとめておきたかったのである。
 まさか北朝鮮がらみの工作とは想像もしていない。

「ザ・キャンバス」の面々は、何者かによる襲撃を目の前にして、元工作員を救出しようとするが、間一髪間に合わなかった。
 背後から肺に到達するほど深々とナイフを突き立てられた男は、口をきくこともままならず、死の間際、メモになにごとかを書き残そうとする。
 わずかな文字は、鮮血に染まり判読が難しかったが、これだけははっきりしていた。「DPRK」の4文字。すなわち朝鮮民主主義人民共和国のことである。

民間の極秘情報機関とは・・・

 本作の主人公は、アメリカ合衆国大統領ジャック・ライアンである。
 すでにご承知の方も多いと思うが、スパイ情報小説のジャンルでベストセラー作家だったトム・クランシーが、このジャック・ライアンを主人公にしたシリーズを書き始めたのは2003年のことで、『国際テロ』というタイトルだった。
 以後、本作までに5冊を数えるが、シリーズの途中から体調不良のクランシーを手伝ってきたのがマーク・グリーニーで、クランシー最後の3冊を共著とし、2013年10月にクランシーが亡くなった後、本作が後継者として初の単独執筆ということになる。

 このシリーズで、もうひとりの主人公とでもいうべき登場人物が、大統領の長男であるジャック・ジュニア。彼は民間の極秘情報組織「ザ・キャンバス」の情報分析官兼工作員として活躍する。
「ザ・キャンバス」は、ジャック・ライアンの肝入りで設立された。表向きは金融投資会社の看板を掲げているが、有能な現地工作員とITの専門家を抱え、公の政府の情報機関では手におえない事案に対処する。彼らは射撃、武術に優れ、銃撃戦にまきこまれることもしばしばである。
 ハラハラドキドキの迫真のアクションシーンも、一連のシリーズ作品の魅力になっている。

 本作のストーリーに戻れば、ホーチミンで事件に遭遇したジャック・ジュニアら「ザ・キャンバス」の面々は、元CIA工作員の死からたどって北朝鮮と結託したSGIPの陰謀にたどり着く。
 一方、ジャック・ライアン大統領とともに、メアリー・パット・フォーリ率いる情報機関が北朝鮮の企てをあぶり出し、その目論見を打ち砕いていく。
 この両者の活動が、いつしか交わっていくのである。

埋蔵量世界一のレアアース鉱山

 少しだけ、物語の核心に触れておく。
 核弾道と長距離ミサイルの開発には巨額の資金がいる。これをどうするか。
 北朝鮮には、世界最大級のレアアースの鉱山がある。
 ハイテク製品には欠かせない鉱物。これを採掘、製錬し、商業ベースにのせて輸出できれば、北朝鮮は莫大な外貨を獲得することができる。
 ただし、北朝鮮には製錬する技術がない。そのため、中国から必要な機材を搬入し、専門家を招聘。その指導のもと鉱山開発を進めることにした。共同開発ということで、中国にも巨額の金が落ちることになっている。

 ご参考までに、北朝鮮のレアアース鉱山は、平壌から北西に位置する定州市にある。埋蔵量は、現在、世界の生産高のほとんどを占める中国をはるかに凌駕するとみられており、世界中の投資家が注目している。

 本作には、金正恩を思わせる三代目の若き首領が登場する。彼は、中国に対し契約の見直しを迫る。すなわち、鉱山開発の技術指導に加え、ICBM(大陸間弾道弾)の提供を要求したのである。
 さすがに中国はこれを拒否した。作家が執筆当時、中朝関係は冷え切っており、そうした現実を反映しているだろう。
 怒り心頭の若き首領は、鉱山から中国人を追い出したため、開発はストップしている。

 そこで首領は、北朝鮮対外諜報機関の偵察総局長と鉱山開発会社の社長に、自力での開発を厳命する。期限を決められ、それまでに成功しなければ残酷な処刑が待っている。
 ふたりは、世界の様々な鉱山開発で成功しているメキシコ人の大富豪に接近し、レアアース鉱山への投資を持ちかける。彼は巨額の資金提供を受諾し、鉱山開発に必要な機材と人材を手配する。その手先となって動いていたのが、アメリカの民間インテリジェンス会社シャープス・グローバル・インテリジェンス・パートナーズ(SGIP)だったのである。
 核兵器開発の資金を得るために、北朝鮮の鉱山開発は、再び動き出した。

単身、北朝鮮に潜入し・・・

 この物語の最大のヤマ場は、CIAが、レアアースの鉱山技術者に偽装した工作員を、直接、北朝鮮に送り込むところからやってくる。

 国家地球空間情報局は、衛星写真などの画像分析からインテリジェンスを引き出す情報機関である。おりしも、北朝鮮担当の分析官が、開店休業になっていた鉱山が再び動き出したと思える、わずかな形跡を発見した。
 中国は引き上げたはず。報告を受けた上司は聞く。
「では、手を貸しているのは誰?」
 分析官の答えはこうだ。
「衛星からのぞくだけでは、そこまではわかりません。それを知りたければ、CIAがスパイをひとり潜入させる必要があります」

 やはり事実の核心を突きとめるには、HUMINT(ヒューミント)がモノを言う。
 かくして、国家情報長官メアリー・パット・フォーリは、工作員を送り込むことを決断する。
 白羽の矢が立ったのは、中国系アメリカ人のアダム・ヤオ。彼は外交官の身分に守られて現地の大使館で働くというスパイではなく、民間人を装って働く35歳の現場工作員だった。
 彼は孤立無援の状態で、単身、北朝鮮に潜入しなければならない。正体が発覚すればたちどころに処刑されるだろう。

 これ以上、詳しくは語れない。彼はどのようにしてレアアース鉱山に潜入したか。そしてあることがきっかけで、彼の任務はさらに苛酷なものになる。
<北朝鮮のレアアース製錬施設に関する情報を収集する目的ではじまった作戦が、いまや重要な諜報作戦へと変身してしまったのだ>
 実行不可能と思えるミッションを、彼はたったひとりでやり遂げることができるのか。そののち、はたして、無事、祖国へ帰還することができるのか――。

 本シリーズは、ジャック・ライアンの英雄譚ではあるけれど、それぞれの情報部員が、持ち場持ち場で得意分野を活かし、作戦の遂行に貢献していく。その様が、迫真のリアリティで緻密に描き出されている。

 私はこんな感想をもった。
 国家の安全保障のためのインテリジェンスとはどうあるべきか。
 ITだのAIだのが持て囃されているが、結局のところ、頼りになる人材がいなければ国家は滅びるということではないだろうか。
 はたして日本は大丈夫なのか?

米朝開戦(1~4)

マーク・グリーニー著、田村源二訳
発行:新潮社
文庫版
初版発行日:(1)(2)2016年2月27日、(3)(4)3月29日
ISBN:978-4-10-247261-3

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