村上春樹が愛したクルマ

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クルマを通したライフスタイル誌『ENGINE』の10月号(新潮社刊、8月26日発売)に、村上春樹さんが新旧ポルシェに試乗した体験レポートと書き下ろしエッセイが掲載されている。そこにはめったに見せない作家の素顔が——。

私は、自分と世代が近い村上春樹さんの大ファンである。
『風の歌を聴け』と『羊をめぐる冒険』で一気に村上作品の虜になり、以後、新作が発表されるたび、むさぼるように読んできた。
ことに長編が好きで、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』『1Q84』がお気に入り、近作『騎士団長殺し』では準主役の謎の中年紳士「免色さん」に共感している。

ENGINE10月号表紙
ENGINE10月号表紙

それはさておき、ここに紹介する雑誌の特集記事は、村上ファンにとってはたいへん嬉しい読み物になっている。
彼のクルマ好きは、知る人ぞ知るといったところかもしれないが、これほど無邪気に車と戯れる姿を見せるのは、かなり珍しいことではないだろうか。

今年の7月某日、場所は千葉県袖ケ浦市にあるサーキットコース。編集部の誘いで、本国のポルシェ・ミュージアムが所蔵する1956年型の「356Aスピードスター」と、発表会用に日本に持ち込まれた最新の911、992型の「カレラS」に試乗したそうである。

一枚コートを脱いだような感じ

体験レポートでは、同誌の編集者と試乗した感想を対話の形で収録しているが、加減速、ブレーキング、コーナリングについて、村上さんの言葉の端々から彼の趣味嗜好、こだわりが感じられる。
たとえば、新型の「カレラS」に試乗した際には、こんな具合。
<・・・ペダルも軽いし、操作系は全部軽い感じがする。・・・・一枚コートを脱いだような感じかな。>

ハイライトは、「356Aスピードスター」の試乗。
書き下ろしエッセイによれば、高校生の頃に観た映画ポール・ニューマン主演の『動く標的』がお気に入りで、ニューマン演じるところのロサンジェルスの私立探偵が乗っていたのが「スピードスター」だった。それと同じ車に乗れるとあっては、断るわけにいかなかったという。
さて、その感想はどうだったか。
村上さんは、本気で「これ、このまま持って帰りたい」と思ったと書いている。

このエッセイでも、村上さんの「らしさ」が全開。
彼は、この22年ばかりずっとポルシェの「ボクスター」を3台乗り継いできたそうで、縷々書き綴るその説明が、いかにも村上さんらしいのである。

その一端。
<・・・初代のボクスターなんて、もうエンストの巣みたいな車だった・・・でもそういうのを乗りこなしていると(山道でずいぶん練習した)、すごく楽しかった>
<もちろん現今の車の方がずっと楽だし、便利なんだけど・・・なんだか自分がやわになってしまったような気がしてならない。・・・自分の中にある、「少年心」みたいなものがじゅうぶんに満たされていないという不満感が残る。・・・>

「免色さん」が乗っていたジャガー

実は、昨年の同誌9月号、10月号でも、2号続けて村上さんが自身のクルマ遍歴についておおいに語っている。紹介は駆け足ではしょるけど、楽しさ満載。
トライアスロンをやっているので、近年、自転車を積むときはルノーの「カングー」に乗っている。神奈川の自宅と東京の仕事場を行き来する際もこの車を利用する。所有する車は2台。
免許を取ってはじめて買った車は、1980年代後半にローマに住んでいた頃の「ランチア・デルタ」。「ローマって初心者が走るとすごく鍛えられるんだよ、大変だけど(笑)」
日本でメルセデスの190・2・5・16を買ったものの、時速160キロを超えないとクルマが目覚めないから、乗ってもその良さはわからなかったといいつつ、
「でもボンネットを開けてお化けみたいなエンジンを眺めるのは楽しかったですけどね」
とりあえず急場しのぎで日本車を買おうとして試乗したら、
「そうしたら電気掃除機みたいな乗り心地で、これは買えないかもと思って」

『騎士団長殺し』で免色さんが乗っていたのは「ジャガーXJ8」だった。
どうしてなのか?
「結局、ドイツ車は向かないと思ったんです。当たり前すぎて。イタリア車もピンとこない。イギリス車もベントレー、ロールスロイスはあまりにも出来過ぎてる。ジャガーのへんがキャラクター的にちょうどよかった」
同書を読んだ方なら、「なるほど」と納得するはずだ。

この2号も最新号も、カラーページでクルマと村上さんの写真がふんだんに使われている。文章とあわせて、村上ファンには是非お薦めしたい。
彼の作品世界の魅力、ディテールにこだわる彼の人柄がよく現われている。

最後に、村上さんはオートマではなくマニュアル車を好んでいる。最新号の書き下ろしエッセイでその理由を明かしているのだが、
<・・・そこには間違いなく「選択の自由」というものがあるからです。それは今の世の中からどんどん失われつつあるものだし、せめて車の世界にはしっかり残しておきたいですよね。古い考え方かもしれないけど。>
それでこそ、村上春樹!

バナー写真:早稲田大学で記者会見した村上春樹さん(時事通信)



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