「観光」で読み解く金正恩政権の実態:礒﨑敦仁著『北朝鮮と観光』

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北朝鮮観光には、良くないイメージがつきまとう。「洗脳される」「写真を撮ったら投獄される」といった話が思い浮かぶ。だが実際は、外貨獲得の必要性もあり、北朝鮮政府は観光客の呼び込みに熱心で、行く側の好奇心も強い。拉致問題やミサイル・核開発危機で落ち込んだ北朝鮮観光が再び脚光を浴びる日に備えて読みたい一冊だ。

礒﨑 敦仁 ISOZAKI Atsuhito

慶應義塾大学准教授。1975年生まれ。在中国日本国大使館専門調査員、ジョージワシントン大学客員研究員などを経て、現職。共著に「新版北朝鮮入門」、共編に「北朝鮮と人間の安全保障」ほか。

北朝鮮は誰もが一度は行ってみたい神秘の国であり、同時に危険というイメージが「北朝鮮観光」への過剰な想像力をかきたてる。北朝鮮観光については、そもそも正確な情報も少ない。あの人気シリーズ「地球の歩き方」でさえ、北朝鮮版はない。「近くて遠い国」という言葉は、まさに北朝鮮にこそ当てはまる。

「地球の歩き方」のガイドがない国

そんな観光における最もマイナーな国に対し、まるまる一冊かけてスポットを当てるのが、礒﨑敦仁「北朝鮮と観光 観光で読み解く金正恩政権の実態」(毎日新聞出版)だ。おそらく、北朝鮮観光について、総合的に紹介する初めての本ではないだろうか。

著者は長年北朝鮮の政治を研究してきた北朝鮮ウオッチャーなので、その内容には、政治分析の情報が詳しく盛り込まれている。ガイドや観光の本ではなく、観光という切り口から、北朝鮮という国の政治や社会を考える本だと理解すればいいだろう。

著者が指摘しているように、北朝鮮では研究者やジャーナリストによるフィールドワークは難しい。観光がある意味で唯一のフィールドワークの機会なのである。しかし、北朝鮮観光で動くことができるのは平壌中心の観光地がほとんどだ。自由行動ではないので、見られるものが見られないものよりも多いということは、あり得ない。

しかし、そのことを十分に承知して訪れるならば、北朝鮮観光によって、私たちは「意味のある知見」を得ることができると、著者は記している。

社会主義国への観光は、ハードルは高いが、そのハードル自体が楽しみ、というところもある。何より、将来、民主化や統一など朝鮮半島情勢に大きな変化が生じたとき、ビフォア・アフターという意味では「ビフォア」の状態を体感していることは得難い財産になる。

私自身の経験でも、改革開放直後の1980年代、バックパックを背負って中国の都市部から奥地まで何度もくまなく旅行した経験は、今日での中国取材で無形の下支えになっている。百聞は一見に如かずというが、実体験は100冊の本に勝るところがあるのだ。 

いま北朝鮮観光は近年の緊張関係や対北朝鮮制裁などを受けて下火であるが、かつてはかなりの日本人も訪れていた。本書によれば、一般向けの北朝鮮ツアーが始まったのは1987年。平壌中心の5泊6日のコースでおよそ40万円という高額にも関わらず80人が参加して大変好評となり、拡大していくかに見えたが、1987年の大韓航空機爆破事件など政治的な緊張を引き起こす事態が起きるたびに中断や縮小に追い込まれる。状況が安定すれば再び渡航者も増えるというアップダウンを繰り返してきた。

1990年代後半の日朝改善ムードのなかで開放される観光地も増え、一人でもツアー参加も可能となった。その後は年間1000-2000人のペースで推移していったが、2007、08年の拉致問題騒動から今日まで低迷が続く。ただ、2度の米朝首脳会談による米朝雪解けムードがあったことで18年からは改めて北朝鮮観光が盛り上がる機運も出ているという。

人気は平壌、板門店

北朝鮮に行ったことがない読者が大半であろうから、本書のなかで紹介されている旅行会社作成の最新「人気モデルコースランキング」を紹介してみたい。

1位 インスタ映えする平壌・板門店
2位 そうだ!平壌に行こう!
3位 朝鮮の車窓から
4位 元祖平壌冷麺食べ比べ
5位 建国七〇周年記念!革命力全開

インスタ映えと北朝鮮のイメージがうまく重ならないので少し笑ってしまったのだが、「平壌」「板門店」「冷麺」という北朝鮮観光のスタイルはいまでも変わらないようだ。平壌では、金日成と金正日の巨大な銅像がある万寿台記念碑や金日成の生誕地の万景団、核シェルターを兼ねる平壌地下鉄、食事やショッピングも期待できる。

北朝鮮が観光開放を推し進めるのには、それなりに理由がある。外貨獲得、国威発揚、対外イメージ改善・・・。行く方も、面倒さはあるけれど、行きたいという外国人も少なくない。そして、ツアー参加など一定の条件を飲めば北朝鮮に行くことは決して難しくはない。

ただ、38度線を挟んで反対側にいる隣人の韓国からは、北朝鮮はかつて「行きたいけれど行けない国」であった。近年の南北の緊張緩和で北朝鮮観光の人数は成長し、特に金剛山や開城は人気の場所となった。しかし、韓国人観光客射殺事件などトラブルが相次ぎ、両地への韓国人観光はいまのところ中断している。

観光にはどうしても政治がつきまとう。北朝鮮と韓国だけでなく、中国と台湾も冷戦期に作り出された「分断国家」であるが、中国人の台湾観光が解禁されたのは2008年の国民党・馬英九政権のときであった。現在の民進党政権は、中国との関係が冷却しているので、中国は一種の「制裁」として台湾観光の制限を行なっている。

経済価値からみれば、観光は製造業や貿易ほど、大きな経済効果をもたらすわけではないが、物が売れ、ホテルが埋まるなど、人々が目の当たりする心理的影響を含めると、やはり外交のカードになりえるのだ。現在、韓国の文在寅政権下で関係改善が期待されている南北朝鮮関係だが、そのメルクマールの一つになっていくに違いない。そして、関係が悪化したときに真っ先に切り離されるのだろう。

また、観光にきた海外の人々と接触することで、自国民の意識が変わることを、当局がどう捉えるかという問題もある。北朝鮮観光の活発化で「南北の理解の幅が広がり」、北朝鮮の飲食業などのサービスが改善されたというが、一方で、そのことが北朝鮮当局の警戒を生んだと言われる。開城や金剛山に対する韓国人観光が近年制限されていることについては、筆者は「北朝鮮が予想した以上に、韓国人による観光が国内社会に悪影響を及ぼしたと捉えられた可能性はある」と見ている。

礼賛一色だった70年代までの訪朝記

この本の主題からは少し外れるが、長年北朝鮮関連の日本語資料を収集してきた筆者の本領発揮が見えるのが「日本人は北朝鮮をどう見てきたか」というタイトルの一章だ。日本で過去に出版された北朝鮮の旅行記を、広い意味で観光の一貫として取り上げているが、その網羅の仕方がちょっと並ではなく、資料としても価値がある。

その記述によれば、1950-1970年代にかけては、北朝鮮の旅行記は礼賛一色だったという。メディアの訪問団には、朝日新聞など「北朝鮮礼賛」のイメージが強いメディアだけではなく、読売新聞や産経新聞なども加わって北朝鮮にプラスなことを書いていた。当時、北朝鮮礼賛は、研究者や政治家らにも共通した現象であったという。

その時代はネットもガイド本もなく、旅行記が有力な海外事情理解の道具として熱心に読まれていた時代であった。筆者による「旅行記は北朝鮮側の体制宣伝が有効に左右していたものが多かった」という指摘は、冷戦期における日本において、中国などその他の社会主義国への旅行記にも共通する現象だったに違いない。

北朝鮮と観光

磯﨑 敦仁(著)
発行:毎日新聞出版
四六版240ページ
発行日:2019年7月30日
ISBN:978-4-620-32593-4

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