【書評】死が日常に溶け込む時:下村幸子著『いのちの終(しま)いかた 「在宅看取り」一年の記録』

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あなたはどこで死にたいですか? 患者の最期の時に寄り添う訪問診療医に密着して見えてきたのは、死をめぐる様々な家族の在り様だ。いつか来る、自分の、そして家族の「その時」に向けて、深く考えさせられる一冊。

私は昔、身近な人の死から逃げたことがある。
高校生の時、幼いときから遊んでくれていた祖母が亡くなった。
しかしもっともらしい理由をつけて、葬儀には出席しなかった。

当時は、自分の感情がうまく理解できなかったが、今ならわかる。
「祖母が死ぬ」ことに直面するのが、怖かったのだ。
だから葬儀に出ないことで、その事実を受け入れることから逃げた。

祖母が体調を崩し、病院で過ごす時間が増えたことも大きかった。
まるで関所のようなナースステーションの佇まいや、静寂が支配するフロアにたちこめる独特の匂いなど、病院そのものが死を象徴する場所に感じられ、長い時間を過ごすことに耐えられなかった。

今でも、病院――特に大きな総合病院を訪れるのは苦手だ。

臨終に立ち会わない医師

本書は、「自ら軽自動車を運転し、自宅で最期を迎えたいという患者を診てまわる日々」を送る80歳の医師に密着取材した記録である。

著者は40代の女性ディレクター。2011年以降、東日本大震災の証言番組など「命の現場」に関わる番組を多く担当し、2017年に本書執筆のきっかけとなる、「在宅死」のテーマに出会う。

本書の取材に「身も心も現場にどっぷりとつかる覚悟」を持って病院の女子寮の空き部屋に泊まり込み、24時間体制でカメラを回した。200日に及ぶ撮影で64人の患者に出会い、そのうちの10人以上の“死に様”を取材する中で精神的に不安定になり、禅寺に駆け込んだこともあったという。

番組制作こそ自分の人生のミッションだと打ち込んできた彼女だが、「最期の瞬間にカメラを携えて立ち会わせていただくことは本当に心苦しくもあり、つらい経験だった」とあとがきで書いている。

本書の主人公は、「少しくたびれた白い麻のスーツを着て、お医者さんというよりはヘミングウェイ風の優しい目をした、背の高いダンディーなおじさま」である小堀鴎一郎(おういちろう)医師。
小堀医師が中心となって4人の医師と2人の看護師で構成された訪問診療チームは、地域に住む140人の患者たちを定期的に訪れ、診察している。その多くが高齢者だ。

病院で死ぬことと、家で死ぬこと。
医師の間でも考え方が全く違うと、著者は小堀医師の言葉を引きながら書く。

「住み慣れた家で、いかに心安らかに最期を迎えさせられるか」を目指す訪問診療医に対し、病棟医の目標は「病気に打ち勝ち、一分でも長く命を保つ」こと。小堀医師自身、外科医だったころは「救命、治癒、延命」と念仏のように唱えていたという。

ところが、東大病院に勤務するエリート医師は、67歳で大きくキャリアを転換する。
自ら軽自動車を運転して、地域の患者を診て回る日々。
「最期のときは、家族だけで――それが先生の看取りのモットーなのだ」

患者のひとりに、80代の末期の肺がんの男性がいた。
まもなく死を迎えようという時、小堀医師は一人で介護してきた全盲の娘の手を父親の喉に当てて言う。
「ここにきて喉を触ったらわかるよ。口も動くしね。ここ触っていたらわかるでしょう。ほら、最期の、これが最期の呼吸だよ」

そして彼女と周囲で二人に声をかける親せきを見守りながら、そっと病院に戻っていく。法律上死亡時刻は医師が決めることになっているが、小堀医師は臨終に立ち会うことを重視していない。むしろ、あえて席を外す。

父親の喉が動かなくなったと連絡を受けて再び訪れると、待っていたのは死を看取った家族たちの晴れ晴れとした表情だった。
「先生と、看護師の皆さんと、親戚の皆さん、たくさんの方々に助けられて父もここまで頑張って来られたと思います。ありがとうございました」

家族が呼び寄せられ、ベッドの傍らで医師や看護師とともに息を引き取る瞬間を待つ。現代社会では当たり前になっている、そんな「病院での死」とはまったく違う光景が本書には次々と登場する。

家族までケアする訪問診療医たち

描かれるのは、決して美談ばかりではない。

「夜になると、壁から手が出てくるなどと言って騒いだりするんですよ。もう、二時間ごとに起きないとだめな感じです」
と、母の介護による疲弊を訴える息子。
「一時はこの人を殺して自分も死のうかと思ったくらいです」と振り返る、95歳の夫を介護してきた84歳の妻。

末期がんの娘を看病する母親もいれば、独居を貫く96歳の女性もいる。
家で死ぬことを願いながらも、容体が悪化して医療施設へ移らざるを得なくなった人も出てくる。

だがどんなケースであっても、訪問診療チームは最後まで患者や家族に寄り添い、穏やかな日常や、ほっとする笑顔を家の中に連れてくる。

家族の疲弊に気づけば、100歳を越えた患者に「ちょっと家族に楽をさせようと思うんだったら、ショートステイですよ」と外出を勧め、気丈な患者の気持ちの変化を察したら、「つらいときは我慢しないで、電話くださいね」とそっと声をかける。

いくら訪問診療を受けていても、肉親との別れを喜んで受け入れる人はいないだろう。それでも本書を読んでいて「ああ、よかった」と感じるのは、患者家族の日常の中に死が溶け込んでいるからではないだろうか。
訪問診療チームと頻繁に会話し少しずつ死との距離を縮めていくことで、送る側も去る側も否応なく覚悟ができていく。在宅での看取りには、目に見えないそんな空気が醸成されているように感じる。

家族を看取ることは、怖くないのかもしれない――。
本書を読み進めていくうちに、気持ちが揺れ動く。

直面する大きな問い

大切なのは、最期の時を家族が一緒に過ごせること。
そして、家で死にたいという患者さんの気持ちに寄り添うこと。

小堀医師をはじめとする、訪問診療チームの目標はクリアだ。

「人は死を意識するべきであって、残された時間が限られているのなら、それを伝えるべきだ」というのが、小堀医師の死の哲学だという。
だから患者にも命が長くないことを隠しもせず、家族にもさりげなく、”その時“が近いことを示す。

「赤ちゃんに戻っちゃったみたいね」
モルヒネを打って横たわる娘の髪を撫でながら、母親が言う。
ふたりを夕方の木漏れ日が照らす。
末期の子宮頸がんを患う52歳の娘と、彼女を自宅で介護する77歳の母親の姿だ。

この翌日、患者は亡くなった。
果たして病院にいたら、母娘は同じような最期の時間を過ごせただろうか。

自分は人生の最期に、どこで、誰と死を迎えたいのか。
この問いを鋭く突き付けられ、考えさせられる本である。

いのちの終(しま)いかた 「在宅看取り」一年の記録

下村 幸子(著)
発行:NHK出版
四六版272ページ
発行日:2019年9月10日
ISBN:978-4-14-081795-7

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