【書評】中国報道の「時代の変わり目」を伝える:峯村健司著『潜入中国 厳戒現場に迫った特派員の2000日』

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強国として着実に力をつけている中国。一方で、習近平体制になって特に報道への締め付けは強まっている。その中国に日本から派遣され、第一線で報道を行うメディアの特派員たちはどのような圧力と緊張のなか、スクープを掘り起こしているのか。近年、中国特派員として抜きん出た活躍を見せた記者が、その内情を初めて明らかにした。

峯村 健司 MINEMURA Kenji

朝日新聞国際報道部記者。1997年入社。中国総局員(北京勤務)、ハーバード大学フェアバンクセンター中国研究所客員研究員などを経て、アメリカ総局員(ワシントン勤務)。優れた報道で国際理解に貢献したジャーナリストに贈られるボーン・上田記念国際記者賞受賞(2010年度)。著書に『十三億分の一の男』(小学館)など。

「親中朝日」とのイメージギャップ

著者が所属する新聞社であり、以前、私が仕事していた朝日新聞は「親中メディア」の代名詞になっている。確かにそうした時代はあったし、朝日新聞に24年間身を置いた私自身も少なくとも1990年代までは社内でも「中国とは仲良くしなければならない」「台湾には深く関わってはいけない」という有形無形の圧力を感じることがあった。

だが、正直な実感としては、記者の世代交代もあり、報道内容の親中傾向は少なくとも2000年以降は見えなくなっていたように思う。過去の経緯から朝日新聞を「親中」と批判する人々は現在もいるが、本書『潜入中国』を手にとって読んだ読者は、朝日新聞の親中イメージとのギャップに戸惑うのではないだろうか。

著者は2007年から2013年にかけて北京駐在の特派員を務めた。その日数はおよそ2000日にわたる。その間に「金正日訪中」「中国ステルス機の試験飛行」「中国初の国産空母開発」など、次々と世界的なスクープと迫真の現地ルポを発信した。その報道は、大げさではなく、日本のみならず、世界のチャイナウオッチャーの刮目するところであった。

この本は、その報道の舞台裏の取材秘話を入り口に、サイバー部隊や宇宙戦争などを含めた最新の軍拡や習近平体制の政治状況を伝える構成になっている。

やはり本書の読ませどころは、当局との息の詰まる攻防であろう。同じ社内にいたとはいえ、著者がこれだけの危機を経験していたとは知らなかった。

中国ではスパイ罪の最高刑は死刑に処せられる。過去、外国記者で死刑に処されたケースはないとされるが、長期拘束や追放はいくらでもある。著者が一時拘束された回数は20回を超えたという。特に、ステルス機の飛行実験をスクープした時は相当な危険水域であった。

いかに切り抜けたかは本書に詳述されているので、そちらを読んで欲しいが、基本的には、譲れない記者の立場を、強い精神力と冷静な対応によって堅持できたことが大きかったように思える。事実に迫りたい、そのために努力を積み重ねてきた。本書に明かされた取り調べのやりとりでは、その点に対し、中国の取調官も納得するほかになかったようだった。もし、仮に日本政府への情報漏洩など少しでも疑わしいところがあれば、スパイとして徹底的に調べられただろう。記者の仕事に徹していたことが最後は筆者を助けたと言えるだろう。

「今だったら無事に帰れなかった」

読み応えのあるインテリジェンスと分析をちりばめた本書のなかで、職業柄かもしれないが、私がもっとも引きつけられたくだりは、以下のところだった。

「今、自分が北京特派員だったら、当時と同じようなルポができるだろうか。軍事施設などを取材して無事に帰ってこられるだろうか。断言できる。答えは『NO』だ」

そして、著者はこう記す。

「振り返ってみれば、私が中国にいた頃が、各地を縦横無尽に駆け巡ってルポができた最後の特派員の時代だったのかもしれない」

確かに、いま中国の政治報道は冬の時代を迎えようとしている。著者の活劇のような仕事ぶりが、近い将来、ほかの記者によって再現される可能性は高くはない。

本書を読めば、「銃口から政権が生まれる」ことを基本原理とするほど軍事を重視する中国共産党が、国力に応じた軍事力の構築に一歩一歩着実に励んでいることは、ひしひしと伝わってくる。その中国が、実力に見合った情報の透明性を拒み、その実態が外からは見えないことは極めて大きな懸念材料だ。中国の国内メディアがほぼ絶望的な状況に追い込まれたなかでは、海外メディアへの期待は大きい。

しかし、習近平体制の情報統制が過去の政権にないほど厳しくなり、著者が経験したような際どいケースでは、今後は逮捕、追放など甘くない処分が下されるリスクが、過去に比べて格段に高まっていると、著者自らが本書の中で指摘している。記者は現場に身を置いてこそという心理が働かざるを得ないだろう。

もう一つは、習近平の一強体制が続くなか、いわゆる中南海の政治秘話には、過去ほどニュース価値がなくなっている点も指摘したい。鄧小平を軸に、改革派と保守派が競い合った時期や、江沢民と胡錦濤が主導権を争った時期は、政治報道に必要な「対立」構図があり、その動静が中国の将来を大きく左右した。

変化する特派員の役割

しかし、習近平一強は、内部に細かな摩擦はあっても、彼が大きな病気さえしなければ、向こう10年以上は揺るがないだろう。習近平の背後で蠢くものは外交や情報に携わる人間にはとても重要なインテリジェンスであるが、一般向けの読者を対象とする日刊紙の国際報道には必ずしもそぐわない面がある。その難しさは、原稿の掲載率を常に意識する特派員たちが日々深刻に感じていることだろう。

もちろん、大国・中国の重要性は圧倒的に高まっている。ただ、日本社会が求めるものも、中国経済や社会問題、中国テクノロジーなどにシフトしつつある。中国特派員の役割も変わってくるはずだ。著者の貴重な体験の吐露にあふれた本書は、中国報道における時代の変わり目を人々に伝える一冊になるかもしれない。

それにしても、新聞記者は本を書いて一人前だと、私自身も入社してからいつも先輩記者に教えられてきた。特に実名で日々記事を書き続ける海外特派員については、長い海外駐在の任期を終えたあと、本を出すことは一種の卒業論文であり、読者の間に広がった知名度と得難い経験に対する説明責任を果たす、という役割もあると私は思う。

一方で、本を書くことは新聞記者の本業ではない、という価値観もあるだろうし、組織内力学のなかでは、社員である記者が本を書くことは必ずしも評価のアップにつながるわけではなく、余計な嫉妬や面倒を招くことも多く、特派員の本は決して多くはない。その意味で、著者が本書や2015年のヒット作『十三億分の一の男』などで中国報道の成果をこのように書き残していることは、国際報道を目指す次世代の記者にとって、貴重な贈り物になるのではないだろうか。

潜入中国 厳戒現場に迫った特派員の2000日

峯村 健司(著)
発行:朝日新聞出版
新書判248ページ
発行日:2019年9月13日
ISBN:9784022950321

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