【書評】美しき軌跡:ベルナデット・マクドナルド『アート・オブ・フリーダム』

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大勢のシェルパを頼み、スポンサーの支援を受け、遠征隊を組んで山を攻める。そんな現代的なスタイルを嫌い、自らの身体と信頼できる最小限のパートナーとで“壁”に挑み続けたクライマーがいる。その生き方は時に人を遠ざけ、また時に人を惹きつけてきた。ポーランドが生んだ名クライマー、ヴォイテク・クルティカの評伝。

ふと思う。
7000m、8000mという高さの山からは、どんな景色が見えるのだろう。
青空、雲海、雪、氷、岩肌……。
日差しは暖かいだろうか。
鳥の声は聞こえるのか。

ポーランドの伝説的クライマーであり、本書の主人公ヴォイテク・クルティカは、「特定の山々に対して恋に落ちるような気持ちになる」と山の魅力を語っている。

クルティカについては、登山家というより、“壁”を登るクライマーと表現する方が正確だろう。
チョー・オユー(8201m)の南西壁、ガッシャブルムⅣ峰(7932m)の西壁、シシャパンナ(8008m)の南西壁など、まるで空に向かってそそり立つ岩壁を、最小限の装備をかつぎ、雪をかぶった岩にピトンを打ちこみながら、少しずつ登っていく。
クルティカが辿ったルートの多くは未踏であり、そのスピードや大胆さ、美しさは、登攀から20~30年が過ぎた今でも高く評価されている。

クルティカは、安全確保のためにフィックスロープを渡したり、シェルパに頼んでキャンプを設営したりというスタイルではなく、彼の言葉を借りれば「アンリーシュド(紐なし)」、いわゆるアルパインスタイルで壁に挑む。

「それは本質的に、自分自身を超えようとする困難な試みです。これは、自由に向かって手を伸ばすということなのです」

山の世界では登攀した山の高さが評価につながることが多いが、クルティカが自らに課すハードルは、高さではなく美しさだ。

彼の日記には、こんな言葉が並ぶ。
「桁外れの美しい山」「なんと美しいクライミングだろう」「美とは、光を介して天上の世界とつながること‥‥‥そういうことを、中央峰まで縦走する途中で学びました」

クルティカにとって山は彼に何かを伝えてくる尊い存在であり、そこに美しいルートを切り開くことこそ、価値のある挑戦なのだ。
実際、8000m峰14座の全山登頂を狙う友人について「ピーク(頂上)ハントは感情的な消費の一つの形であり、登山家が収集への欲望に負けた証である」と、厳しく批判している。

クルティカを動かすこだわり

著者は、カナダ人の山岳ジャーナリスト。クルティカからの信頼も厚く、多くの時間を共にしながら、7年かけてこの評伝を書き上げたという。

本書の前半では、第二次世界大戦で600万人以上の市民が亡くなり、廃墟と化していた1947年のポーランドで生まれたクルティカが、壁に魅せられていくまでが丁寧に描かれる。

クルティカのこだわり――それは気難しさ、とも言い換えられる――は、徹底している。目指す山に登るためには法を逸脱することをいとわず、あらゆる知恵を使って目的地へと潜り込む。
たとえ目指す山が同じでも、大規模な遠征隊のスタイルを否定し、アルパインスタイルで共に登るベストパートナーを広く探し求める。
彼にとって人生の最優先は常にクライミングであり、その結果、結婚生活は破綻を迎える(が、それはそうだろう、と思う)。

最初は眉をひそめたくなるようなこのこだわりが、読んでいるうちに長所に感じられるようになるのは、著者もまた山に造詣が深く、クルティカに敬意を抱いていることが伝わってくるからだろう。
クルティカが修行僧のように自らを律し、揺らぎのない価値観に基づいて生きていることがわかってくるうちに、自分がクルティカと共に壁にとりついて、一歩ずつ登っているような錯覚が生まれてくる。
どっぷり本に浸っている感覚、とでも言えばいいだろうか。

なかでも、1985年にオーストリア人のパートナーと挑んだ、ガッシャブルムⅣ峰のクライミングを取り上げた章「シャイニング・ウォール」はすごい。
1日かけても、わずか100mしか進めないような凄まじいコンディションを、
「悲惨だ。強風。ひどい睡眠不足。吹き付ける雪。食料は尽きかけている。太陽が恋しい」
とクルティカは日記に綴っている。

ときには一晩中、身動きの取れない雪世界に閉じ込められるような極限状況の中、2人は幻覚や幻聴を経験し、死を強く意識する。
それでもクルティカは太ももをつねる痛みで生きていることを確認しながら、一歩一歩、雪をかぶった壁を登っていった。

「彼らの奮闘は驚異的だった。山に11日間滞在し、7000m以上で7回のビバークを繰り返し、6900mで2回ビバークし、2晩は眠ることができず、3日間食べるものもなく、2日間は水分もとれず、24時間行動し続けてベースキャンプに帰り着いた」

世界中で「世紀の登攀」と称えられているクライミングを、こうやって文字で追体験できることが嬉しい。

山は征服するものではない

クルティカと同世代のポーランドのクライマーの多くが、山で命を落としている。
だが、クルティカは生き残った。

何が違ったのだろうか。
山に対する勘が高度に磨かれているからだという周囲の見方があり、リスクへの許容度が低いというクルティカ自身の分析もある。

本書を読み終え、ここにはクルティカと山との関係性が何らかの影響を与えているのではないかと感じた。
クルティカにとって山は征服するものではなく、その中に足を踏み入れて五感で感じ、軌跡を残して帰ってくるものだ。

彼は言う。
「これらの美しい場所にいられるなら、何でもやるでしょう」

クルティカは、山の中で常に落ち着いている。
吹雪の中に閉じ込められても、アイゼンを落としても、頂上に上れなくても、その姿は変わらない。そのベースに、山に対する敬意があるように見える。
だから、リスクを取らないことを恥じないのではないか。

クルティカは、俗世的な栄誉を嫌い、クライマーたちの世界からも距離を置き続けた。登山界のアカデミー賞と言われるピオレドールの審査員や功労賞が届いた時は、困惑の姿勢を隠さず、かたくなに拒んできた。

エピローグで、そんなクルティカが再三のノミネートに押されて、生涯功労賞を受け取るくだりが描かれる。
クルティカのこだわりがここでも存分に発揮されるのだが、こんなこだわりならば、誰もが称賛の拍手を送り続けるに違いない。

70歳を過ぎた今でも、ポーランドで暮らすクルティカの脳裏には、山をめぐる美しい風景が浮かんでいることだろう。

稀代のクライマー、ヴォイテク・クルティカ。
その魅力に囚われる一冊だ。

アート・オブ・フリーダム―稀代のクライマー、ヴォイテク・クルティカの登攀と人生

ベルナデット・マクドナルド(著)、恩田真砂美(翻訳)
発行:山と渓谷社
四六版:351ページ
価格:3000円(税抜き)
発行日:2019年9月10日
ISBN:978-4-635-34033-5

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