【書評】多民族の豊かさを知る:山本博之編著「マレーシア映画の母 ヤスミン・アフマドの世界」

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その才能が本当の意味で世界に知られる前に、病によって姿を消してしまったマレーシアの女性映画監督・ヤスミン・アフマド。没後10年に合わせて、その作品の魅力と思想を紹介する本が出版された。マレーシアの難しさと面白さの両方が詰まった彼女の映画づくりを徹底解剖する一冊だ。

山本 博之 YAMAMOTO Hiroyuki

京都大学東南アジア地域研究会准教授。混成アジア映画研究会代表。ナショナリズムと混血者・越境者、災害対応と社会、混成アジア映画などを専門にする。

一冊まるごとヤスミン・アフマドの世界

優しさと切なさに満ちている映画であった。決してハッピーエンドではないのだけれど、見終わったあと、自分のなかに何か暖かいものが残されるような気持ちになれる。マレーシアの映画監督、ヤスミン・アフマドの『細い目』を、東京・吉祥寺で観たときに思ったことだ。

ヤスミン・アフマドのことを知ったのは、少し前に彼女の最後の長編『タレンタイム〜優しい歌』を見たときで、本著『マレーシア映画の母、ヤスミン・アフマドの世界』を手に取り、今回、劇場上映第1作の『細い目』日本上映を機に映画館に足を運んだ。『細い目』はマレー系の少女と中華系の少年が出会い、恋に落ちていく過程を描いた作品で、マレーシア・アカデミー賞の最優秀作品を獲得している。

この本、とにかく分厚い。480ページ。一人の監督の映画に、これだけの精力を注いで本にする、ということ自体が驚きであり、関わった人々の熱量が感じられる。ヤスミン・アフマドの長編全6作と短編1作について、複数の書き手がさまざまな角度から解説を加えているほか、映画の粗筋やキャストの詳細な紹介を載せ、彼女の世界をまるごと理解できる作り方になっている。

ヤスミン・アフマドは1958年にマレーシア・ジョホールで生まれ、米国留学を経て帰国後、広告会社などでCM制作に関わり、2005年から映画の世界に入った。10年余りの活動期間に『細い目』『グブラ』『タレン・タイム』など話題作を続々と発表し、多くの映画賞を獲得した。アジアを代表する映画監督としての名声を勝ち取りながら、2009年、51歳で脳出血のため急逝した。

民族と宗教と社会の箍(たが)

ヤスミン・アフマドの映画の特徴は、マレーシアに存在しない「もう一つのマレーシア」を描こうとしたところにある。

英国の植民地を経て、戦後、東南アジアで初の工業国になり、マハティール首相という個性的な指導者がいる。そんなイメージのマレーシアだが、一歩踏み込んだ中身が語られる機会はあまり多くない。

マレーシアは、マレー系、インド系、中華系が暮らす「多民族、多言語、多宗教」の国家だ。民族問題や宗教問題は、この国で最もアンタッチャブルで、核心に触れる領域である。しかし、ヤスミン・アフマドの作品は基本的に「多民族、多言語、多宗教」の世界を描いている点に特徴がある。

マレーシアの多民族は、第一世代ではなく、「祖先がマレーシアに来て何世代も経っており、自分もマレーシアで生まれ育ってマレーシアの国籍を持ち、マレーシアを祖国と考える人たちである」(本書)。民族ごとに宗教が異なる人々が隣り合って長く暮らすなか、「諍いを殴り合いや奪い合いに発展させない工夫を積み重ねてきた。手放しの自由を認め合うのではなく、互いに箍を嵌め合うこともそうした工夫の1つである」(同)と紹介されている通りで、マレーシアは一定の距離を民族ごとに置いている分断社会でもある。

その箍(たが)は、時に社会に窮屈さを生む。マレーシアには、多数派であるが華人系やインド系に比べて経済力の弱いマレー系を優遇する「ブミプトラ政策」もある。その政策に不満を表明するのはこの国最大のタブーである。

だが、ヤスミン・アフマドの映画の登場人物たちは、そんな社会の箍を踏み越えようと苦しみ、もがく。『細い目』の恋人の2人がまさにそれだ。主役の少女が、同じマレー系の同級生と、中華系との恋愛について論争するシーンでは、少女に「マレー男は多民族の女を妻にしてきたでしょ。マレー女が同じことをして何が悪いの」と語らせているが、あまりのストレートさに背筋が凍る思いがした。

本書によれば、ヤスミン・アフマドの作品に対して、マレーシア国内では好意的な反応ばかりではなかったという。「華人とマレー人の交際を周囲が祝福するはずがない」という意見も出た。しかし、おそらくヤスミン・アフマドは、だからこそこうした作品を撮り、理想として思い描く「もう1つのマレーシア」を見せようとしたのだ。そこには多民族社会だから輝く豊かさがあふれている。

異文化の理解や共生は口でいうには容易いが、成すことは難しい。共生を実現するためには、血も流れるし、涙も流れる。唯一支えになるのは「寛容」だ。ヤスミン・アフマドの映画のなかには、その寛容さを抱いて生きている人々が多数登場する。人生は複雑で、過ちも犯す。その過去が相手を傷つけるときもある。それでも寛容さで受け止めようと苦しむ。そんな彼らの営みを、ヤスミン・アフマドは、そのまま描き出す。それが彼女にとっての映画人としての寛容さであると、この本を読んでいるうちに気付かされた。

作品をマレーシア理解の入り口に

私は、シンガポールや台湾など多元的な文化を有する社会に暮らした経験がある。マレーシアにもシンガポールから定期的に通った。多元的社会の暮らしぶりを文章で伝えるのはやはり簡単ではない。いちばん良いのは現地に一年でも半年でも暮らしてみることだ。そうすれば、1つ1つの会話や目にする景色がその社会のルールを教えてくれる。ただ、生涯をかけて研究者にでもなろうとしない限り、海外の特定の国に長期にわたって暮らすのは難しい。

その異文化体験の入り口には、その国の映画を見ることがいちばんである。編著者の山本博之・京都大学准教授が本書あとがきで述べているように、「異文化の読み解き力を高めるには(略)、映画の読み解きが効果的だと思う。映画をみて面白いと思ったり、つまらないと思ったりしたら、なぜそう感じるのかを考えるとともに、気になったセリフや場面や音楽について調べて、製作者がなぜそのような表現をしたのか考えを巡らせてみる」ということだ。

マレーシアに関する多くの研究書や専門書が出ているが、どうも初級者としては敷居が高い。そんな風に感じている人は、ぜひこの本を手にとって欲しい。マレーシアという日本の友人に近づくためにも、マレーシアのことをもっと詳しく知るべきで、ヤスミン・アフマドの作品は最良のイントロになる。それが本書を完成させた人々の願いであろう。

彼女はもういない。だが、「珠玉の作品」と呼ぶのにふさわしい作品は残された。本書の中には、生前、彼女が漏らした言葉が紹介されている。「私の名前は忘れてもいい、でも私が作った作品のことは忘れないでほしい」。作品は忘れられず、彼女の死後さらに評価を高めている。そして、ヤスミン・アフマドという名前も忘れられることはないはずである。

「マレーシア映画の母 ヤスミン・アフマドの世界――人とその作品、継承者たち (シリーズ 混成アジア映画の海 1)」

山本博之編著
発行:英明企画編集
A5版:480ページ
価格:2500円+税
発行日:2019年7月25日
ISBN:978-4-909151-21-6

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