【書評】組織の日本と個人の韓国:伊藤亜人著『日本社会の周縁性』

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東アジアの中華文明圏の“周縁”に位置する日本社会の特質とは何か。本書は「近くて遠い国」といわれる韓国との様々な対比で日本の特殊性、日本人のアイデンティティを再認識させてくれる。混迷を続ける日韓関係を考えるうえでも示唆に富む。

日本と韓国の社会「大きな差」

著者は東京大学名誉教授で、専攻は文化人類学、民俗学。琉球大学や早稲田大学で教授を務め、ハーバード大学客員研究員、ロンドン大学SOAS上級研究員、ソウル大学招聘教授なども歴任した。1970年代初めから韓国に住み込むなどフィールドワークを続け、両班(ヤンバン)の旧家に居候したこともある韓国研究の専門家である。

日本論はこれまで数多く出版されてきたが、本書の特色は主に韓国の社会・文化と比較しながら、日本社会の特殊性、日本人の思考や行動様式を浮かび上がらせた点だ。「身近な他者の目を通して我が身を振り返る」という手法である。

日本と韓国は「互いに自文化優越意識と民族的な自尊心が災いして対話がうまくゆかず、感情的に対立することも多い」。東アジア文明の大伝統を共有しながらも「土着の文化伝統を基盤として、それぞれの社会・文化伝統には様々な特質が見られる」。しかも比較すればするほど「意外に大きな差」がある。

著者は韓国で長年観察してきた実体験があるだけに、具体的なエピソードも豊富だ。文芸、民芸、舞踊、武道、食文化、空間認識、歴史観などを通じて日本の「周縁性」という特質を明らかにしている。

日本の贈答文化、趣味、おたく、アニメ、お笑い、霊が乗り移る憑依(ひょうい)、形見などについての記述も興味深い。客観的で冷静な筆致で日韓を比較しており、日本の周縁性をむしろ肯定的に描いている。

東アジア文明圏の日本の位置

中華文明の中心であった黄河中流域の中原(ちゅうげん)の地から四方を見ると、日本列島は東夷(とうい)の外れに位置する。3世紀末の魏志倭人伝(『三国志』魏志の東夷伝倭人条)によると、当時の中原の漢人たちにとって日本社会は野蛮に映り、「朝鮮半島よりさらに周縁の民として記されていた」という。

中華文明圏、あるいは東アジア文明圏は、人間を中心とする秩序が基本とされる。体系的であり、論理的で、抽象的な概念や精神の内面性などを重視する。これに対し、地理的にも周縁に位置する日本社会は非体系的、多元的、包括的な思考伝統、実践志向、経験主義が根強い。

東アジア文明圏で社会統合の基礎となったのは、漢字という書記技術の共有だった。そして儒教や仏教の受容であった。

「朝鮮半島では漢文に触れる機会は日本より早く、しかも広範囲に及んだと思われる。漢字識字層も日本より早く成立し、その水準も高かった」

韓国にはキリスト教徒が多い

「東アジアにおいて普遍的な人間像を説き、それを基本に個人から家、国家・天下に至る社会理念を提示して、論評・注釈を加えながら漢籍によって蓄積され展開されてきたものが儒教である」

儒教発祥の地、中国では1911年の辛亥革命など近代化の過程で、儒教は旧社会の思想として批判された。今年建国70周年を迎えた中華人民共和国でも、文化大革命の際には孔子像が撤去、破壊された。

朝鮮半島と日本では、儒教の受け入れ方がかなり異なる。韓国では今でも、年長者に対する礼節、理念重視など儒教の伝統が色濃く残る。「儒教社会の遺産」は日本より重い。

仏教は朝鮮半島を経由して日本に伝わった。日本では現在、「信仰のために寺院を訪れる人は少ない」。檀家制度に象徴される寺院との関係は「家」を単位としており、地域で組織化されている。

これとは対照的に、韓国の仏教徒は「特別な行事がなくても個人で寺院に定期的に参詣するのは普通のこと」。韓国の仏教信者は自覚的な信仰の持ち主であり、「宗教統計をみるかぎり仏教徒の人口は今なお最多を占めている」のだ。

「韓国では、宗教はどこまでも個人の信仰によるものであって、夫婦でも親子でも互いに干渉しない」

評者は2004年3月25日、ソウルで金大中・前大統領に単独会見したことがあるが、彼はカトリック教徒(洗礼名はトマス・モア)だった。しかし、夫人はプロテスタントである。夫婦で別宗教といった事例も韓国ではさほど珍しくない。

「個人の精神的自立を重視してきた東アジア文明社会の伝統では、精神生活においても組織は排除すべきものなのである」。著者がこう指摘するように、宗教生活にも「組織の日本、個人の韓国」という対比が見え隠れしている。

韓国では日本植民地時代、キリスト教会が抗日運動を支えた歴史的経緯もあって、クリスチャンが多い。カトリックとプロテスタントを合わせたキリスト教徒人口は「一時は韓国総人口の四分の一を超えるまでになった」ほどだ。

フランシスコ・ローマ教皇が今年11月に来日したが、フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝えたのは1549年。江戸時代まで禁教令が敷かれたが、本書によると、「日本では、明治以来キリスト教が百年以上かけて布教を展開してきたにも関わらず、信者数が一%を超えることはない」

日本がこだわる「ものづくり」

「玩物喪志(がんぶつそうし)」という言葉がある。出典は『書経』だ。本書では「人間以外の物に馴れ親しみ弄ぶ者は志を失うことを意味し、内面の徳を養うには身の回りから無用な物を極力遠ざけるように諭している」と解説する。韓国はその教えに忠実だ。

「韓国では、子供が将来学問や文筆に関わる職業に就くことを期待する気持ちは今も変わらない。(中略)このため、わが子が幼い時から道具や物に気を取られることのないように、子供の身の回りに余計な物を置かないよう心がけていた。それは決して昔のことではない」

著者は「その点、日本ではむしろ逆ではなかろうか。子どもの時からできるだけさまざまな物に触れさせ、物に関心を持つように心がけてきたのではなかろうか」と自問自答し、「私も、小学生の時分から物や道具になじみ、誰にも負けないほどの工作少年となり、機械などにも関心を持つようになった」と告白している。

「職業の貴賎に対する関心は今も変わらない」韓国では、親が子供に高級公務員やサムスンなど一流企業社員、弁護士、裁判官、学者などになってもらいたいとの願いが強い。

日本では職人や料理人がプライドを持ち、社会的にも評価されている。著者は人類学的な調査で韓国の職人も訪ねたが、「自分の経歴も含めて仕事や技についても積極的に語ろうとしない。あたかも自分の恥部を隠すかのように話をそらそうとすることもある」という。

人と物の関係をめぐって日本と韓国とは様相を異にする。「日本では、さまざまな物についてよく知っていることが評価され、知識の中で物の占める比重が大きい」。半面、「韓国における自然界の物に対する関心の薄さ、物に対する淡白さは、物の名を知らないこと、詳しく知ろうとしないことにも表れている」

著者は「生産や消費などの経済領域もすべて人と物との関係に外ならない」と見抜く。「素材に対する知識とこだわりと見極め、その扱い方と細やかな気配り、経験と技、段取り、その専門性など、すべてが日本では『ものづくり』という言葉に凝縮されている」。物を重視してきた日本が製造大国になったのは決して偶然ではないだろう。

組織主義に陥った植民地政策

本書では日本による朝鮮に対する植民地支配にも触れている。「日本社会における組織重視と地域社会の共同体的性格についても日本人がどの程度自覚していたか、また共同体とは相容れないと思われる個人関係を基礎とする韓国社会における属人主義的な伝統についてもどこまで気づいていたか、かなり疑わしい」と分析する。

日本が植民地での農村振興運動の基本政策として導入を試みたのは「中華の中心から遠く離れた列島社会で、生態系と土着社会の閉鎖系のもとで効果を発揮した組織主義・共同体志向であった」

だが、こうした政策は「東アジア文明の文人たちが描いてきた普遍的な人間像・社会像とは相容れず、むしろ逆行するものであった」。当時の日本は、朝鮮が組織よりも個人関係を重視する社会であることを十分に理解できていなかったのではないか。

日本に国際的指導性はあるか

明治維新を経た日本は、非西洋社会の中で唯一近代化に成功したといわれてきた。しかし、著者は近代化論のモデルとしては例外的だと主張する。

「日本社会の真の特殊性とは、東アジアをはじめとする文明的秩序の周縁に位置しながらも、それが自覚されることもないまま、さりとてその周縁的な正体も暴かれることなく、また文明世界から排除されることもないまま、独自の伝統社会として存続してきたということにほかならない」

いわゆる「空気を読む」のも日本的なのだろう。「その場の状況をふまえ、和を乱さないように互いに気を配り、批判を避けて自分の主張を控える」。日本では論議を尽くして合意に至ることはなかなか難しい。こうした全体の趨勢に同調する姿勢に著者は批判的だ。

「自制が過ぎて意見を吐く勇気も萎えてしまえば、正論を見定めることもなくなる」からだ。安定と調和を優先する日本社会の特色は「日本的な全体主義の温床となることも自覚すべきであろう」と警告する。

著者は「日本社会に論理体系性や国際的な指導性を期待するのは、無いものねだりであって無理といわざるを得ない」と手厳しい。しかし、経済規模で米国、中国に次いで世界第3位の日本は今後も、立ち位置を自覚しながら国際社会で指導力を発揮すべきではないのか。

「文明の衝突」が国際政治で論じられるようになったのは、サミュエル・ハンチントン米ハーバード大学教授がフォーリン・アフェアーズ誌1993年夏号で有名な論文「文明の衝突?」を発表してからだ。ここでも「日本文明」は中華文明から独立した独自の文明と規定された。

日本はある意味で“孤立文明”なのかもしれない。著者は日本社会の「持ち味である非体系的な思考とアプローチの普遍性と健全性そして有効性を自覚することが先決であろう」と問題提起する。

「非体系的で多元的かつ包括的な認識、持続的で柔軟な対応などに集約される日本社会の特質については功罪両面から検証が求められよう」との本書の結語はまさに正鵠を得ている。

日本社会の周縁性

伊藤亜人(著)
発行:青灯社
B6判:272ページ
価格:2500円(税抜き)
発行日:2019年9月25日
ISBN:978-4-86228-108-1

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