【書評】イスラム過激派は、なぜ自爆テロに走るのか:フレデリック・フォーサイス著『アフガンの男』

Books 政治・外交 国際 歴史

9・11に続き、アルカイダが密かに準備する大規模テロ、暗号名「アル‐イスラ」と呼ばれる作戦の全貌を探り出せ!――、米英両情報当局は共同し、イスラム過激派に偽装した工作員を潜入させて、その秘密を探ろうとする。アルカイダの目論見を打ち砕くことができるか。

 2019年12月4日、アフガニスタンで支援活動を行っていたNGO代表で医師の中村哲氏が殺害された。
 列強が覇を競った「グレートゲーム」の舞台となったこの国では、いまだに様々な武装組織や部族が群雄割拠している。イスラム世界の紛争の実相は、日本人にとっては複雑すぎてなかなか理解しにくいだろう。

 そこでお勧めするのが本作である。
 F・フォーサイスならではの、テンポの速い筆の運びである。読者は、緊迫感に満ちた物語を夢中になって読み進むうち、いつのまにかアフガニスタンの情勢に精通することができる。
 さらに、それ以上の収穫がある。イスラムの過激派は、なぜ欧米を憎み、自爆テロに走るのか。著者は、彼らの論理をしっかり書き込んでいる。紛争の歴史が、すべてを物語っている。それが本作の最大の読みどころである。

特別に神聖な意味をもつ言葉

 それでは物語をはじめよう。
 9・11から5年後の2006年9月、パキスタンの町ペシャワールで、アルカイダの資金調達部門の幹部が逮捕されようとしていた。
 彼は、首領のオサマ・ビン・ラディン、N02でエジプト人医師のアイマン・アル・ザワヒリに直接つながる大物である。

 参考までに、パキスタンに潜伏していたビン・ラディンが、米軍によって殺害されたのが2011年5月2日である。本作が描く物語は、9・11と彼の最期との、ちょうど中間にあたる。

 その幹部の潜伏先の情報は,英国秘密情報部(SIS)からパキスタンの内国諜報部(ISI)にもたらされたものだった。しかし、まさにISIの隊員がアジトに踏み込んだ刹那、彼は所持していたノートパソコンを床に叩きつけて破壊、5階の窓から飛び降りて自ら命を絶った。

 とはいえ、いまの技術では、壊れたパソコンからハードディスクを取り出して、そこに記録されたデータを見つけることはいともたやすいことである。そこからいくつもの文書が見つかった。 

 米英の情報当局は、9・11を阻止できなかった教訓から、緊密に情報交換し、連携を取り合うようになっている。パソコンから取り出されたデータも共有された。

 米国国家安全保障局(NSA)では、見つかった文書の中身を解析していた。なかでも注目されたのは、アラビア語で書かれた手紙にあった「アル‐イスラ」という言葉。なにかの暗号のようでもあるが、これはなにを意味するのか? 
 アラブの世界に通じた専門家が招集された。彼らによれば、「アル‐イスラ」とは、「預言者ムハンマドの人生に起きた、ある啓示」を指すもので、イスラム教徒にとっては特別に神聖な意味をもつという。めったなことでは使われない言葉。
 専門家は警告を発した。
「アル‐イスラを軽視してはならない。彼らにとって、それは世界を一変させる何かなのだ」

白羽の矢が立てられた「プロ中のプロ」

 アルカイダは、前回を超える大規模テロを計画しているのか。
 9・11以降、米軍は報復としてアフガニスタンに侵攻、掃討作戦にやっきとなっている。そこへもたらされた重要な情報である。
 しかし、米英両情報当局があらゆる情報網を駆使して探るものの、「アル‐イスラ」の内容を突き止めることができない。その作戦の存在じたいが、アルカイダの一人握りの上層部にしか知られていないようなのだ。

 いよいよ行き詰ったときに浮上した、ある作戦。
「アルカイダにだれかを潜入させ、司令部を発見して報告させるという手もありますよ」
 アラブの専門家がふと漏らしたアイデアが採用され、ある人物に白羽の矢が立てられる。

 その男の名前はマイク・マーティン。英国の元SAS(空挺師団から特別に選抜された兵員で構成される特別空挺部隊)大佐で、いまは25年の軍務を終えて退役、44歳で独り身の彼は、片田舎で隠遁生活を送っている。
 なぜ、彼が選ばれたのか。ひとつにはその風貌。祖父がインド人の娘と結婚したことでその遺伝子を受け継ぎ、髪と目は黒く、肌の色は褐色だった。

「まさしくアラブ人そっくりじゃないか」
 と、米国側で全権を委任されているCIAの工作担当の副長官マレク・グミーニィは感嘆する。

 おまけにアラビア語にも通じている。マイクの父親は石油会社の経理担当者で、イラクに赴任していた。マイクはイラクで生まれ、13歳まで現地で生活し、ネイティブの言語を身につけている。

 軍歴と工作員としての能力には申し分なかった。
 英国側で全権委任されているSIS本部中東担当の上級管理官スティーヴ・ヒルも太鼓判を押す。
 マイクは、空挺連隊と特殊部隊とのあいだを行き来し、アフガニスタンに駐留していたこともある。一番の功績は、湾岸戦争のさなか、イラクのバグダットに潜入し、サダム・フセイン大統領の秘密警察が監視の目を光らせるなか、一介の庭師に偽装して、政府の内部告発者から流される貴重な情報を本国に送り続けていた。
 彼はプロ中のプロである。

「替え玉作戦」に選ばれた男

 しかし、マイク・マーティンが首尾よく敵方に潜入できたとしても、「アル‐イスラ」を知るアルカイダ幹部と接触するのは容易なことではない。
 イスラム過激派に偽装して、ただ紛争地に潜入するだけではないのだ。

 SISのスティーヴは、CIA副長官のマレクに「替え玉作戦」を提案する。
 架空の人物に偽装したところで、上層部に近づくことはできないだろう。誰か実在するしかるべき人物に成り替わるしか手はないのだが、それには難題がある。
「自分がなりすまそうとしている人間がまだ生きていたとしたら、アルカイダが幹部に取り立てているだろう。死んでる場合も、やはり知っているはずだ」

 ところが、うってつけの人物がいたのである。朗報は、後日、今度はCIAのマレクからもたらされた。
「恰好のやつがいるんだ。十歳も若いが、年よりずっと老けて見える。身長と体格も似てる。黒い顔も同じだ。アルカイダの古参兵さ」
 スティーヴも同意する。
「見込みありそうじゃないか。しかし、なんで仲間と一緒にいないんだ?」

  その男の名前はイズマート・ハーン。
 アラブ人ではなくアフガン人で、5年前からキューバのグアンタナモ湾にある米軍基地内の収容所に収監されている。
 彼は、いまや知る人ぞ知る、伝説上の人物になっていた。アフガン戦争から勇敢に戦ってきた戦士で、米軍に身柄を拘束され、収容所に送られてからも拷問や苛酷な尋問に耐え、黙秘を通し、仲間を売ることをしなかった。
 彼は、収容所では隔離され、他の囚人と接していない。故郷は廃墟になり、親戚縁者もあらかた戦争で死んでしまった。彼のことを知る人が少なければ好都合だ。それだけ偽装であることが発覚する可能性は薄くなる。

「替え玉」作戦が発動された。
 イズマート・ハーンは、グアンタナモで軍法会議にかけられ、もはや危険人物ではないとの判決が下され、故国へ送還されることになる。
 実際には、米軍機で密かに米国に送られ、一切、外部との接触が不可能なカナダ国境に近い山奥の施設に幽閉された。
 代わって、マイク・マーティンが「アフガンの男」に扮し、グアンタナモからイスラム過激派の世界へ送り込まれることになる。

15歳で「ムジャヒディン」の戦士に

 おぜん立ては整った。
 いよいよマイクの単独行が始まるというわけだが、その前に著者は、マイクとイズマートの来し方を丁寧に追いかけていく。わたしには、とりわけイズマートの境遇が興味深かった。ここでアフガン紛争の実相が、時代に即して克明に描かれているのだ。まるで実在した人物であるかのように。
 ひとりの「アフガン戦士」の物語である。

 イズマートは、1972年、アフガンとパキスタンとの国境にある高地の村に生まれた。そのあたりで生まれ育った人々を、「パシュトー人」という。勇猛果敢で知られる山岳人である。
 生まれてから最初の8年間、山羊と羊を飼い、果樹園で桑を摘む。村は平和につつまれていた。ところが、
「アフガニスタンは民主共和国あるいは英語の略称でDRAと自称していたが、よくあることだが、これは誤称だった。政府は共産主義者で構成されていたし、ソビエト連邦に大きく依存していたからである」
 と著者は指摘する。地方の人々は信心深いイスラム教徒で、無神論の共産主義は受け入れられない。これがその後に続く悲劇の予兆だった。

 共産主義に毒された政府に反発し、1978年、「神の戦士」を名乗る「ムジャヒディン」が武装蜂起する。その勢いが全土に広がるにおよび、79年12月、ソ連の軍事介入が始まった。
 ソ連の掃討作戦は容赦なかった。山地の村々は空爆され、イズマートは難民キャンプに身を寄せる。

 この、各難民キャンプに設置されたコーランを学ぶ学校の宗教指導者が、イスラム教のなかでも最も厳しい、不寛容な教義のワッハーブ派だったという指摘が興味深い。著者によれば、
「アフガンの若者の一世代が洗脳されて、過激派になろうとしていた」

 イズマートは、15歳になったとき、父親から、故郷に帰ってレジスタンスに参加し、「ムジャヒディン」になれと命じられた。イズマートは戦士になったが、
「懐かしい里の景観は滅茶苦茶に壊れていた。どの峡谷でも、石で造った粗末な小屋でさえ、まともに建っているものはほとんどなかった。スホイ戦闘爆撃機とハインド攻撃ヘリがパンジシール以北の峡谷、さらにパクティアからシンカイ山脈にかけての谷を徹底的に叩き壊したのだ」

 レジスタンスは、アメリカから武器の提供を受け、戦争は長期化した。
「一九八六年以降、アメリカのスティンガー・ミサイルがムジャヒディンの手に渡って攻撃が展開されると、ソ連の空軍機は高度を上げて飛ばざるをえず(略)さもないと対空ミサイルの餌食となった」

「それは野蛮なまでに残酷な戦争だった」
 と、著者は書く。
「捕虜はほとんどなく、即死した者はむしろ幸運だった。山地の部族はとりわけソ連空軍の搭乗員を憎んだ。生きて捕らえられると、腹を切り裂かれて日向に立てた杭に縛り付けられた。やがて内蔵が傷口から流れ出して陽光に焼かれ、死によってようやく、その業苦から解放された」
 ソ連軍は、やみくもに空爆を繰り返した。
「山地に何百万個もの地雷を投下し、そのためアフガニスタンは松葉杖、義足、義手の手のあふれる国になり果てた。終戦までに百万のアフガン人が死亡し、同じような数の人間が障害を負い、五百万人が難民になった」
 ソ連の軍事介入が、戦乱に明け暮れるアフガニスタンの原点であろうか。

パシュトー語で「タリバン」

 1989年初頭、ソ連軍はアフガニスタンから撤退した。11月になるとベルリンの壁は打ち壊され、ソ連は崩壊した。

 しかし、アフガニスタンに平和は訪れなかった。
「群雄割拠していた軍閥が我利我欲でいがみ合い、つかみあい、遺恨合戦を繰り返す日和見主義者の小集団に分解してしまったため、安定した政府をつくるどころか全く逆で結局、内戦がはじまってしまったのである」

 1990年代半ば、イズマートは「タリバン」に身を投じた。彼らは宗教家オマール師の弟子を自称した。パシュトー語では「弟子」を「タリブ」といい、その複数形が「タリバン」である。
 最大勢力になった彼らは代替政府を樹立するが、「イスラム世界で最も厳しい支配体制」を敷くことなる。すなわち、女学校は閉鎖され、女性は頭からすっぽりかぶる、「ブルカ」と呼ばれる外衣の着用が命じられ、歌舞音曲、娯楽の類は一切禁止された。

 その反動で、またしても内乱。その機に乗じて、入り込んできたのがビン・ラディン率いるアルカイダだったのである。
 1998年8月、アメリカは紅海に浮かぶ巡洋艦などからアフガニスタンに向けて巡行ミサイル「トマホーク」を撃ち込んだ。アルカイダの訓練キャンプと彼らが居住する洞窟を狙ったものだった。
 2001年9月11日、ニューヨークを襲った自爆テロの報復で、アメリカはアフガンへ本格的な軍事介入を開始した。
 最終的には、イズマートはアルカイダではなかったものの、彼らとともに戦い、米軍に捕らわれの身となって、グアンタナモへ送還されるのだ。

襲撃された囚人護送車

「替え玉」作戦に話は戻る。
 マイク・マーティンは、本物のイスラム過激派のように振るまえるよう、徹底した訓練を受ける。お祈りの作法、コーランの教義、イスラム諸派の違いについてエトセトラ。わかりやすい講義なので、読者もイスラム世界について学ぶことができる。

 ここで、マイクの訓練を担当した、アラブ世界に通じた女性教官が忠告する。
「髭をはやして、大声で怒鳴りまくるやつは気にすることはないの。警戒すべきは、髭をさっぱり剃り、タバコも酒もやり、女とも遊んで、われわれの一人として通用するような人間よ。完全に西欧化しているやつだわ。憎悪を押し隠している人間カメレオンなの・・・」
 こうしたスリーパー(休止工作員。普段は一般生活を営み、特別な任務の際に活動をする)の存在が、予期せぬテロを可能にしている。
 本作にも、それに該当する重要人物が登場する。

 いよいよ敵地に乗り込むときが来た。
マイクはまず、アフガン国内の米軍基地に輸送される。そこから夜間、護送車で同国の刑務所に送られる手はずだった。
 ところが、人気のない山道で、なにものかによって襲撃される。翌朝、ドアを斧で破壊されたバンが発見されたときには、拳銃を握った看守2名とタリバン2名の死体が残されていた。互いに撃ち合ったと思われる。
 護送されていた囚人の姿は見当たらなかった。

 さて、そこからマイクは、どうやってアルカイダの幹部と接触していくのか。身元がバレることはないのか。どうやって「アル‐イスラ」の謎を突き止めていくのか。そしてまた、マイクは大規模テロを阻止することができるのか。
 物語の後半「旅路」と題された章は、まさにそうした読者の興味にこたえるべく、ち密にその手順が書き込まれている。このあたりのくだりは、まさにフォーサイスならではのもの。あたかも実際にあったかのような迫真のドキュメンタリーになっている。

 アルカイダの作戦計画は、用意周到に練り上げられた、手の込んだ仕掛けになっている。偽装工作は完璧で、そう簡単に、見破れるものではなかった。
 ここで紹介されたアルカイダの作戦は、氷山の一角でしかないだろう。彼らには豊富な資金と、テロリスト予備軍が十分残されている。
 本作を読み終えて、ビン・ラディン亡き後も、大規模テロの危機は去っていないと考えざるをえない。そのことを思い知らされる。

アフガンの男

フレデリック・フォーサイス(著)、篠原慎(翻訳)
発行:角川書店
文庫版:上巻254ページ、下巻270ページ
価格:上・下巻とも552円(税抜き)
発行日:上・下巻とも2010年7月25日
ISBN:上巻978-4-04-253726-7、下巻978-4-04-253727-4

アフガニスタン 書評 書籍 米同時多発テロ アルカイダ ビンラディン