【書評】人生は短すぎる:崔岱遠著『中国くいしんぼう辞典』

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中華料理は世界三大料理として知られる。「食」をことのほか大事にする中華圏では多彩な食べ物が長い歴史の中で育まれてきた。春夏秋冬、旬の乙な味もある。本書は中華料理の奥深さを堪能したい食いしん坊にとって必携の一冊である。

250種を超す中華料理を網羅

中国語版の原題は『吃货辞典』(2014年刊)。吃货(チーフオ)、すなわち「吃貨」は日本語に訳せば「食いしん坊」のことだ。本書によると、「美食を愛し、生活の何たるかを知る者たちが自嘲し、あるいは互いを呼び合う流行語になった」

吃貨とは、贅沢な料理を追い求めるグルメではなく、美味しいものが好きだという人たちのちょっぴりユーモアを込めた呼称らしい。

本書は「家で食べる」、「街角で食べる」、「飯店(レストラン)で食べる」の3部構成。目次に掲載されている料理名は家が27種、街角が30種、飯店が26種の計83種に上る。しかし、本書巻末の索引「菜単(登場料理名一覧)」に出てくる料理名は優に250種を超す。

「一般に辞典というのは調べるために使うもので、順序どおりに頭から次々と読んでいく人は少ない。本書ももちろんそのように読むことができる。目次からあなたの興味の向いた料理のページを開き、お好みの一口を賞味して下さればよい」

この著者の言葉に甘えて、評者が食べたことのある料理のページをめくりながら、エッセンスを綴っていこう。

米副大統領も愛した北京の麵

著者は第1部の家の料理について「高価なものでこそないが、安心して、落ちついて食べられる。その濃厚芳醇な家庭の味わいは骨身に沁み、心を暖めてくれる」と定義する。豚の角煮「紅焼肉(ホンシャオロウ)」、ピータン「松花蛋(ソンホアダン)」、ちまき「粽子(ゾンヅ)」などである。

北京の代表的な家庭料理の一つが「炸醬麵(ジャージアンミエン)」だ。日本ではジャージャー麵などと呼ばれている。炒めた肉みそときゅうり、ニンジンなどの付け合わせを茹でた麵に乗せ、和えながら食べる。

炸醬麵の真髄は醬(ジアン)、みそである。「清朝の開祖ヌルハチはかつて『醬をもって菜(おかず)に代える』ことによって配下の部隊に栄養をつけさせ、のちには清朝宮廷の御膳にも四季に合わせた醬が欠かせないものになった」。清の時代から北京では醬を活用する食習慣が庶民に広がり、やがて名物の炸醬麵へと発展した。

米国と中国は現在、貿易戦争を繰り広げているが、オバマ大統領時代、バイデン副大統領(当時)は「北京を訪れた際にどうしてもと時間を作って食べに行った」という。炸醬麵は異国の首脳の胃袋もつかんだ。

「猫耳」の正体は中国のパスタ

山西料理で有名な北京の老舗レストラン、晋陽飯荘。名物料理に「猫耳朶(マオアルドゥオ)」がある。メニューを見て、本物の猫の耳が出てくるのかとびっくりする外国人旅行者も多い。

猫耳朶の作り方は簡単だ。冷水と小麦粉に塩を少々加えて練った生地を指先ほどの大きさに切り分け、親指で押し付けるように成形すると、生地の両側が反り返って丸まった小片に仕上がる。これが「猫の耳にそっくり」なのだ。いわば猫耳型パスタである。

「専門的な技術もいらず、ほとんどの人が作れるうえに、食べれば非常に軟らかくて喉ごしがよい」だけに、著者は家庭料理に分類した。食べ方は自由だ。「煮てよし、炒めてよし、蒸し煮にしても、あんかけでも煮こみでもいける」

羊のしゃぶしゃぶの極意

「北方の冬は吐く息も凍る。粉雪の風に舞う冬の夜に家族が家に集まるとき、ふつふつと沸き立つしゃぶしゃぶ鍋を囲んで涮羊肉(シュアンヤンロウ)の美味を味わえたら、なんとあたたかですてきなことではないか」。著者はこう問いかける。

涮羊肉は、羊のしゃぶしゃぶのことだ。涮(シュアン)というのは、「箸の先で軽く肉を二、三枚つまみ、鍋の中で三、四回振る」ことを指す。しゃぶしゃぶの極意は「時間は長すぎてはだめで、肉の色が変わったらすぐに湯を切ってタレをつけて食べる」ことだ。

羊肉の中でしゃぶしゃぶに適している部位は決して多くない。一番いいのは羊の首の後ろあたりの肩ロース肉。北京人は上脳児(シャンナオル)と呼ぶ。次は尻肉の大三叉(ダーサンチャー)だという。

タレは自分で調合する。ねりゴマに醤油、酢、ラー油などを合わせるが、小エビの魚醤「滷蝦油(ルーシアヨウ)」を何滴か加えないと本場の味にはならない。

鍋も工夫されている。しゃぶしゃぶ専用の「涮鍋子(シュアングオヅ)」の胴の部分は逆円錐形で、鍋自体は銅を打ち出して作る。「胴の部分の内側には銀色に輝く錫をメッキしてある。これはじかに調理することで銅が溶け出して中毒が起こるのを防ぐためだ」という。

涮羊肉は「やはり家で最も近しい人たちといっしょに楽しむもの」と著者は主張する。しかし、家庭で新鮮な羊肉や鍋などをそろえるのは容易ではない。評者は北京の老舗「東来順(ドンライシュン)」(1903年創業)が贔屓だ。1988年4月22日に初めて王府井の東来順飯荘に入ったのを皮切りに、計5年にわたった北京駐在中は何度も足を運んだ。

紹興の臭豆腐と茴香豆

上海、長沙、南京など長江(揚子江)下流域では発酵させた「臭豆腐(チョウドウフ)」を食べる習慣がある。臭豆腐は嗅ぐと臭いが、揚げるなど調理して味わうと結構クセになる。

「土地によって豆腐を発酵させる方法は異なり、食べ方も千差万別だ」。文豪、魯迅(1881-1936年)の故郷である浙江省の紹興では臭い発酵食品を食べることは「一つの生活様式」とさえいえる。この習俗は紀元前の中国春秋時代の越王、勾践(こうせん)の時代にまでさかのぼるという。

2千年以上の時を経て、「この臭いものを食う流行は燎原の火のごとき勢いで広まり、今や各地の夜市を席巻し、香港、台湾にまで伝わっている」。北京にも独自の臭豆腐があり、中華圏では一種のブームだ。

紹興といえば、「茴香豆(ホイシアンドウ)」も忘れてはなるまい。魯迅の短編小説『孔乙己(コンイーチー)』に出てくる料理で、紹興酒のつまみとして相性がいい。ソラマメをせり科の多年生植物、茴香(ういきょう)を使って煮染めたものである。

小説の舞台に設定されているのは紹興の「咸亨(かんきょう)酒店」。現在、同名の居酒屋が紹興にある。著者はここで茴香豆を口にしたが、「想像していたほど人を魅了するようなものではなかった」との感想を漏らす。それもそのはず、小説の主人公、孔乙己はインテリだが、科挙の試験に受からず経済的には困窮していたため、高価な料理は注文できなかったのである。

茴香豆はごく普通のつまみだ。評者は2004年1月23日、紹興の咸亨酒店で紹興酒とともに茴香豆を味わったが、臭豆腐と同じく一皿6元(当時は1元=約13円)だった。

臭豆腐も茴香豆も第2部(街角で食べる)に収められている。この部では手延べ牛肉麺「牛大碗(ニウダーワン)」、多種の付け合わせを添えたスープ米麵「過橋米線(グオチアオミーシエン)」、広東風ハーブティー「涼茶(リョンチャー)」なども紹介。著者は「素朴な街角の食べ物には、独特な味の響きがあふれている。たとえ千回口にしたことがあったとしても、心にかかり思い起こさせる」と総括する。

西湖醋魚は杭州に行くべし

第3部(飯店で食べる)では数多くの名店が登場する。「レストランに行くのは、精緻な味わいの料理を楽しむためであり、その名声を慕ってのことだ。それに加えて老字号(しにせ)の百年の物語や名優たちの逸聞が、器の中の料理に特別な味わいを添えてくれる」

中国には「上有天堂,下有蘇杭」という言葉がある。「天上に天国があるなら、下界(地上)には蘇州・杭州がある」という意味だ。蘇州も杭州も長江下流域の南岸を指す「江南」地方の代表的都市で、歴史も古い。それほど“蘇杭”は風光明媚で、飲食文化も栄えてきた。

なぜ、蘇州の方が前で杭州が後なのか。「陸文夫(りくぶんふ)の小説『美食家』における解釈によれば、それは蘇州の美味が杭州よりも多いからだ」。陸文夫(1928-2005年)は蘇州の文化や風俗を世界に発信した作家だ。

蘇州の代表的な名菜は「松鼠鱖魚(ソンシューグイユー)」。清朝の六代皇帝、乾隆帝(1711-1799年)がお忍び旅で蘇州の「松鶴楼」(1757年創業)を訪れた際に食べたとの伝説がある。

鱖魚(けつぎょ)は中国特産の高級淡水魚。一匹まるごと熟練の包丁技で切れ目を入れ、黄金色に揚げた後、甘酢あんをかけると、毛を逆立てた松鼠(リス)のように見えることから、この名が付いた。

一方、杭州で非常に有名な料理は「西湖醋魚(シーフーツーユー)」である。西湖で獲れた草魚の甘酢あんかけのことで、湖畔にたたずむ老舗レストラン「楼外楼」(1848年創業)の看板メニューでもある。あんは西湖産レンコンのでんぷんでとろみをつける。

「ゆるくなめらかなあんが魚用の楕円形の皿を満たしており、溶け合ってまるでひとかたまりの琥珀のようだ。琥珀の下に包まれてしまった魚はあたかも活きていてそこから抜け出そうとしているように見えた」。著者は初めて杭州に行き、楼外楼で西湖醋魚を頼んだときの感動をこう回想している。

評者も蘇州の松鶴楼には2002年9月3日、杭州の楼外楼には2003年11月10日に赴き、名物料理を楽しんだ。しかし、著者が「西湖醋魚を食べるなら、やはり杭州に行かなくては!」と書いているように、名菜を愛でるなら“現場”に足を運ぶに限る。

ジュンサイとスズキの故事

生前、ノーベル文学賞の候補になった詩人で英文学者の西脇順三郎(1894-1982年)の著書に『じゅんさいとすずき』(1969年刊)という随筆集がある。もちろん、中国の故事「蓴羹鱸膾(じゅんこうろかい)」から引いている。

蓴菜(じゅんさい)はすいれん科の多年生水草で、沼などに自生する。「蓴羹」はその吸い物。「鱸膾」は鱸(すずき)のなますのことだ。

中国の晋王朝の時代、都の洛陽で官位にあった張翰(ちょうかん)は秋風が立つころ、故郷江南の料理である蓴羹と鱸膾の美味が恋しくなり、毅然として官職を辞して帰郷した。「蓴羹鱸膾」は名利を求めるのではなく、故郷を思う美談を意味する成語となった。

西脇は随筆で「名利も求めず風流も求めない人が一番偉い人間にみえる」と前置きし、「私などは両方求める」と諧謔的に続けた。西脇自身は、独特の食感があるジュンサイは好きだとも告白している。

話を本書に戻そう。著者は「スズキの身で作ったジュンサイのスープは今でもあるようだが、私はまだ口にしたことはない」としながらも、蘇州で太湖産の銀魚(シラウオ)とジュンサイのスープ「銀魚蓴菜羹(インユーチュンツァイゴン)」は賞味したという。

そのときの感想は文学的だ。「濃い緑のジュンサイがその汁に散らされたさまは、まるで蓮の葉を小さく縮めたようで、あるいは開き、あるいは巻いて、小さな鉢の中の汁をまるで盆栽か水墨画のように雅趣あるものにしていた」

酢豚の隠し味は「英国黒醋」

欧米人が最もよく知っている中華料理は何か。それは「古老肉(グーラオロウ)」、つまり酢豚だろう。日本でも酢豚は中華料理の定番だが、その甘酸っぱい味は西洋人の舌を魅了した。

清朝時代、中国で貿易港として開かれた広州には多くの西洋人たちが集まっていた。本書によると、西洋人の好みに合わせて作り出された新しい料理が「古老肉」と名付けられた。

古老肉の味付けには砂糖と酢のほかに「秘密兵器が隠されている」。西洋料理に使う調味料、ウスターソースだ。中国では「英国黒醋」とも呼ばれる。ウスターソースは19世紀に香港から広州に持ち込まれ、改良を経て今や広東料理に欠かせない調味料として溶け込んでいる。創作料理だった古老肉は広東料理の古典になったのである。

北京ダックは南京から来た

中華料理といえば、「北京ダック」を外すわけにはいかない。本書ではアヒルの炙り焼き「烤鴨(カオヤー)」として触れている。北京ダックは中国語では「北京烤鴨(ベイジンカオヤー)」と表記する。

評者は1988年4月18日、名店「全聚徳」(1864年創業)の前門本店での宴会で初めて本場の北京ダックを味わった。北京駐在中は明代から続く老舗「便宜坊烤鴨店」(1416年創業)にもよく通った。

北京ダックの前身「金陵ダック」はかつて明朝宮廷の高級料理だった。本書によると、明朝の三代皇帝、永楽帝が15世紀初期に南京から遷都した際に、金陵ダックも北京にやってきた。当時は「烤鴨」ではなく「炙鴨子(ジーヤーヅ)」あるいは「南炉鴨(ナンルーヤー)」と呼ばれていた。

清末に誕生した全聚徳が独自の調理法による「北京ダック」を開発し、世界的に有名になったと伝えられる。ただ、この料理は当初「焼鴨子(シャオヤーヅ)」と呼ばれ、「烤鴨」という名称は1930年代以降、ようやく使われるようになったという。

本物の四川料理は辛くない

「涙を流すほど辛く、舌を突き出すほどしびれる」。四川料理はよく「麻辣(マーラー)」と形容される。「麻」は山椒のしびれる辛さ、「辣」は唐辛子のヒリヒリする辛さを表す。

ところが、意外なことに大昔から「麻辣」ではなかった。本書では「実のところ、四川の人々が唐辛子を食べ始めたのは清代も後期の同治年間になってからのことで、次の光緒年間になってようやく唐辛子が四川料理の調味料の主役になった」と解説している。

北京出身の小説家で劇作家の老舎(1899-1966年)が日本軍占領下の北京を描いた大作『四世同堂』で、「悪役の冠暁荷(かんぎょうか)の口を借りて『本物の四川料理というのは決して辛くないんですよ!』と言わせているとおりである」と著者は説く。

文字とイラストが醸し出す妙味

「人々が飲食に対して抱く思いは、往々にしてそれを口にした場所にこそ関わっている」が持論の著者は1968年、北京生まれ。紫禁城のすぐ隣の南池子で育った生粋の北京っ子である。

しかし、本書に掲載された様々な料理は東西南北、広大な中華圏全域を網羅している。著者が試みたのは「最もこの土地に馴染み、庶民に根づいた食べ物を文字によって記録することだ」

各料理に添えられた繊細で美しい単色の挿画(イラスト)も本書の魅力だ。直截的な写真にはない情緒が漂い、その料理がどのようなものかという想像力を掻き立てられる。

本書を通じてフランス料理、トルコ料理と並ぶ中華料理がどうように進化してきたかの一端を知ることができる。台湾の「川味牛肉麺(チュアンウェイニウロウミエン)」の世界一周物語など、近代史と絡んだ名菜ストーリーも読みごたえがある。

干潟に生息するというサメハダホシムシの煮こごり「土笋凍(トゥースンドン)」、ポルトガル由来の塩漬けの干鱈「馬介休(マーガイヤウ)」……。本書に盛られた料理には評者が知らなかったものも少なくない。

本書は、各種料理を故事来歴とイラストで紹介する極上のエッセイ集である。熟読すればするほど、料理の味やそのときの記憶が蘇り、またその場所に行って食べたくなる。評者の第二の故郷、北京への郷愁にも駆られる。中国各地の未知の料理にも挑戦してみたい。それにしても人生は短すぎる。

中国くいしんぼう辞典

崔 岱遠(著)、李 楊樺(画)、川 浩二(訳)
発行:みすず書房
四六判:392ページ
価格:3000円(税抜き)
発行日:2019年10月16日
ISBN: 978-4-622-08827-1

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