【書評】境界線なき地図を想い描く:『与那国台湾往来記 「国境」に暮らす人々』松田良孝著

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日本でいちばん「西」にある島、与那国島。その先にあるのは台湾だ。与那国と台湾の間にいま引かれている国境線は、かつて存在しなかった。その事実を、人々の言葉で埋め尽くす本を手に、私は与那国に向かった。

沖縄県の与那国島へ、仕事で数日行くことになった。人口およそ2千人、面積30平方キロメートル足らずの小さな与那国島に関する本は少ない。nippon.comの筆者でもある松田良孝さんが2013年に刊行した「『与那国台湾往来記 「国境」に暮らす人々』を手に取った。羽田から石垣、そして与那国へ。フライトの機内で読み始めた本書の内容に私はすっかり引き込まれ、国境線を軽々と乗り越えてつながる両地のダイナミズムに夢中になっていた。

筆者は、八重山毎日新聞で長く記者を務め、いまは台湾と日本との間を往来するライターとして活躍している。新聞記者時代に著した『八重山の日本人』は台湾でも翻訳され、その本をもとに台湾でドキュメンタリー映画も製作されている。「台湾と与那国(あるいは沖縄)」の問題を追いかけてきた。その実力は、本書でもいかんなく発揮されている。

日本統治前からつながる与那国と沖縄

日本は台湾を植民地統治した。だが、その前から、与那国と台湾はつながっていた。筆者はこんな歴史記述を見つける。

「日本が台湾を統治する前から、八重山や与那国など沖縄一帯から多くの漁民が(中略)亀山島付近の海域で魚を捕り、近くの蘇澳で魚を売ったあと、日用品をいくらか買って戻っていった」

蘇澳(スーアオ)とは台湾の東海岸で宜蘭(イーラン)という土地にある漁港の町で、距離的にいえば、台湾のなかで、与那国から最も近いところにある。亀山島(クイシャンダオ)は宜蘭の沖合にあり、好漁場で知られる島だ。筆者はこの記述から、当時の蘇澳に琉球人集落があったことにたどりつく。台湾には日本統治の前から、多くの琉球人が暮らしていたのである。

こうした琉球と台湾の関係は、日本が琉球王国を解体して編入し、台湾を清朝から獲得したあと、さらに深さと広がりを増していく。

戦後日本の価値観からすれば、日本が先進地で、台湾が日本の発展を追いかけるというのが一般的な理解であろうが、戦前は、むしろ台湾ほうが日本の多くの地方より豊かで進んでおり、出稼ぎや移民が大挙して日本から台湾に向かった。特に多かったのが沖縄出身者で、なかでも与那国の人々は台湾にまるで隣町に行くように渡った。筆者はその状況について、こう記す。

「島で学校を終えると、台湾へ。台湾には、同じようにして島を出ていった兄や姉、先輩たちがいる。その先輩を頼って弟や妹、後輩たちが続く。戦前の与那国にはそういう流れができていた」

当時の記述によれば、与那国の人口は4千数百人。一方で、台湾は大都市台北だけで30万人の都市を形成していた。なんと島民の600人が出稼ぎで台湾に渡っていたという。8人に1人の計算である。

本書によれば、1933年に与那国から台湾への輸出は主に鰹節や鮪節などの海産物が中心で、台湾から与那国へは、日用品や工業材料などが輸出されている。完全に、与那国は台湾経済の一部だったのだ。

そういう事実は、日本の台湾統治50年において「日本が助けた台湾」、あるいは逆に「日本が搾取した台湾」という二項対立、黒か白かの歴史観からは浮かび上がってこない。本書の貢献は、日台の裏面史を、当事者の証言を丹念に粘り強く集めながら、「与那国と台湾の往来」のリアルな姿を読者に実感させてくれる。

日本の敗戦で始まる「密貿易」

日本統治時代は一体化していた与那国と台湾だが、やがて変化の時が訪れる。日本の敗戦による台湾の放棄だ。米軍の管轄下に置かれた沖縄と、中華民国が接収した台湾との間には、境界線が再び引かれることになった。

だが、その境界線はしばらく機能を果たさず、「人びとは、自分たちで手配した船で往来を続けていた」(本書)という。台湾から日本には、多くの人々が帰還を始めていた。人々は、国境管理の制約などないまま、台湾から与那国などを含んだ沖縄各地に戻っていったのである。その姿は、中国やシベリヤなどからの「帰還」をめぐる物語には包摂されてこなかったものであるが、筆者はその体験者一人ひとりを訪ね歩いて、当時の帰還の様子まで生々しく浮かび上がらせていく。

筆者が紹介するこんな女性の言葉が、読む者の胸を打つ。
「蘇澳からね、ポンポン船が、これに乗って帰ってきた。蘇澳からすぐ与那国。わけわからんよ。真夜中に乗せられて。(船体は)ちょっと大きかったね。したらよ、船が荒れると、みんな泣いてるさね、女の人たち。引き返すか、引き返さん。なんでね、命からがらでが乗ってるのに、ここで死ぬなら、死ぬ運命であるよ。なんで乗ったか」

台湾と与那国の往来は、朝鮮戦争による冷戦の本格化で国境管理が厳しくなると次第に監視下に置かれるようになるが、与那国の人々の暮らしは苦しく、戦争で荒廃した沖縄全体の物資が不足していた。そんななかで、与那国の「台湾復帰論」も島のなかでは真剣に議論されたという。

やがて始まったのが両地の間をつなぐ密貿易だ。食料品や農産品が足りている自然豊かな台湾と、米軍が持ち込んだ物資がある沖縄。その両方を交換する密貿易が大掛かりに行われ、その最前線となったのが与那国であった。

ただ、密貿易とはいっても、与那国の人々にとってみれば過去からその時まで、変わらずに続けてきた生活の営みにすぎない。「『ヤミ』とか『密貿易』とかと呼ばれるのは、それが国境や境界を超えるのに必要な手続きを踏んでいなかったという事情があるからである」との著者の言葉は、とても説得的である。

こうした歴史をたどりながら、筆者はこう語る。

「植民地台湾と与那国の間に築かれた人びとのつながりは容易に断絶されるものではなかった」

近年活発になっている沖縄と台湾の交流や、いま、与那国の子供たちが修学旅行で台湾を訪れていることが、この言葉から思い浮かぶ。

111キロの距離ともう一つの地図

与那国と台湾の距離は111キロだという。台湾から与那国が見えることはまずない。しかし、与那国からは年に数回、台湾が見えるという。夏は水蒸気が多いためあまり見えることはなく、冬の晴れた日に、まるで屏風のような台湾の4000メートル級の山々が広がる姿が見られるという。

あいにく、私が与那国を訪れたタイミングは夏であったので、台湾が見えることはなかった。しかし、与那国の島の最も西にある灯台のところにある「日本最西端の碑」を見たとき、かつては台湾が日本の最西端であったことを想起した。

人為的に国境が引いたり消されたりする前に、与那国を含めた琉球の島々と台湾は深いつながりを有していた。本書は私たちに、いまの地図に描かれないもう一枚の境界線なき地図の存在を認識させる好著である。

与那国台湾往来記 「国境」に暮らす人々

松田 良孝(著)
発行:南山舎
B6判:370ページ
価格:2300円(税別)
発行日:2013年9月30日
ISBN:9784901427302

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