【書評】アメリカの文明とは対極にあるもの:トレヴェニアン著『シブミ』

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ミュンヘン五輪の選手村で、イスラエル選手がイスラム過激派の急襲に遭い、惨殺された。これに報復すべく、ユダヤ人の強硬派が犯人の殺害を目論むが、敵方に察知され返り討ちにあう。チームリーダーの遺児ハンナは、復讐を誓い、いまはバスク地方で隠遁生活を送っている伝説の暗殺者と接触、助力を請うが―。

 これはちょっと不思議な物語である。
 そもそも、「シブミ」という邦題に、「?」と思われる読者は多いだろう。原題も「Shibumi」となっており、「渋み」と漢字で表記すれば言葉の意味はわかるだろうか。これは日本人にしかわからないタイトルだと思うが、本書は欧米でベストセラーになっている。

 作家はどう説明しているか。
 重要な役回りの登場人物、旧陸軍の「将軍」が、「シブミ」とはなにかと問われ、こう答えている。
「ごくありふれた外見の裏にひそむきわめて洗練されたものを示している・・・シブミは、知識というよりはむしろ理解をさす。雄弁なる沈黙。人の態度の場合には、はにかみを伴わない慎み深さ・・・シブミの精神が<寂>(サビ)の形をとる芸術においては、風雅な素朴さ、明確、整然とした簡潔さをいう・・・」

「シブミ」を達成するためにはどうするのか、という問いかけには、
「達成するものではない・・・発見するのだ。それに、発見しうるのはごく少数の最高度に純化された人々だけだ・・・」

 それにしても、アメリカ人の作家が、しかも血なまぐさい暗殺劇を描きながら、なぜ「渋み」なのか。
 それは本書を読み進むうち次第に明らかになっていく。これは作品の隠されたテーマになっており、おおいに興味をひかれるところだ。

ローマ国際空港で乱射事件

 それでは物語をはじめよう。
 1972年9月、ミュンヘン五輪の最中、武装したアラブの過激派「黒い5月」が選手村に乱入、イスラエルの選手を人質にとり11名を殺害した。
 それが発端だった。ちなみに選手村へのテロは、実際に起きた事件である。

 イスラエルの独立戦争で活躍したユダヤ人で、反イスラム強硬派の活動家だったアサ・スターンは、このときの襲撃で息子を殺された。
 彼は報復のため、犯人の殺害を決意、5人のメンバーからなる「ミュンヘン・ファイブ」を結成し、「黒い5月」の動向を探っていた。

 その最中、アサ・スターンは志半ばで病死。娘のハンナ・スターンとその他のメンバーが遺志を継ぐ。そして彼らは、標的とするアラブ人が、今度は英国の民間航空機のハイジャックを計画しているとの情報をつかみ、ロンドンで復讐することにした。

 テルアビブを出立したハンナをはじめメンバーは、おりしも経由地のローマ国際空港からロンドンに向けて飛び立つところだった。
 午後1時半を過ぎた昼下がり、メンバーの若い男性2人と、少し遅れてハンナが税関と入国管理局のゲートをくぐり抜けてまもなく――、

「先頭の男が振り向いて人の列の中の誰かにほほえんだ・・・二人目が人垣越しにまわりを見た。のんびりした笑みが凍りついた。口を開けて無音の叫びを発したとたんにカーキ色のシャツの前が裂けて血が飛び散った。膝が床につかないうちに二発目の弾が頬をちぎりとった・・・」

「若者がリュックサックを放り出して悪夢のようなスローモーションでコイン・ロッカーに向かって走っていた。肩を撃たれて宙で旋回した・・・尻の肉が裂けぴかぴかの花崗岩の床に向かって横向きに倒れていった。四発目が後頭部をふっとばした」

 彼らは待ち伏せていた何者かに銃撃されたのだ。
 ターミナル内は騒然となった。犯人は2人の東洋人らしき男で、自動小銃をもっている。
 そこへ、今度は犯人めがけてイタリア製の自動小銃が乱射された。イタリアの警察が発砲したのか。空港警備員が駆け付け、犯人だけでなくそこに居合わせた一般乗客からも死者が出る惨事となった。

 このときの現場の様子が、密かに撮影されていた。

CIAが仕組んだ襲撃

 ここは米国ワシントンにあるCIAの関連施設である。
 その映写室に4人の男が集まっていた。
 指揮官が、CIA幹部のミスタ・ダイアモンド。
「四十代後半の筋肉質の男で素早い身のこなしに無駄がなく・・・」
いかにも切れ者で、そばにボスの顔色を窺うように補佐官がひかえている。
ダイアモンドの指示を待っているのが、中東部門の最上級現場工作員のダリル・スター。「刈り込んだ頭にパイロット・スタイルのサングラス」をかけたスタイルで、銃撃戦など荒くれ仕事を得意とする。もうひとり、CIAで訓練を受けている若いPLOのアラブ人がいた。

 彼らは、事件現場を撮影した映像を見て、その首尾を検証している。イスラエル人の襲撃は、CIAが仕組んだものだった。
 現場で射殺された東洋人は、ダリル・スターが雇っていた。衣服をはじめすべて日本製品を身に着けており、日本の赤軍派の犯行と見せかけている。
 彼らはイスラエル人を殺害すれば任務は終わると思っていた。しかし、まさか自分たちも射殺されるとは思ってもいなかった。

 彼らを不意打ちで襲ったのはスターらCIAの工作員。イタリア製の小銃を使用したのは、イタリアの警察が犯人を制圧したと見せかけるためだった。
 死人に口なし。CIAが手引きしていたことは表沙汰にはならない。

 黒幕は誰だったのか。
 CIAに、「ミュンヘン・ファイブ」の暗殺を依頼してきたのは、アラブの国である。「黒い5月」のハイジャックを予定通り実行させると同時に、過激なイスラエル人を排除したい。ハンナらの行動は、敵方に筒抜けになっていた。

 ところが、映像を検証していくうち、ダイアモンドは重大なミスがあったことに気づく。
 2人のイスラエルの若者は射殺したが、彼らに遅れて入管を通過したハンナ・スターンを見逃していたのである。
 間一髪、修羅場を脱出したハンナは、急いで別の飛行機に乗り換え、ロンドンではなくフランスの地方空港に向かった。

石油利権で手を握るOPECと米国

 米国生まれの作家トレヴェニアンが、本作を発表したのは1979年のことである。
 この物語では、中東の産油国が暗躍する。
 当時の石油をめぐる国際情勢を解説しておけば、1973年、第4次中東戦争によって原油価格が高騰、これが第一次石油ショックだ。それから6年後の1979年のイラン革命を契機として第二次石油ショックが引き起こされた。

 1970年代、国際政治の主要なプレーヤーだったのが、中東の産油国が加盟する石油輸出機構(OPEC)である。彼らは、原油の価格決定に大きな影響力をおよぼし、消費国である西側先進国を翻弄した。
 原油が国際政治を動かした。こうした史実が物語の背景にある。

 本作で、陰謀の中心にいるのがOPECとCIAである。そもそもアメリカは、表向きは親イスラエルだが、戦略物資である石油をめぐって、アラブの産油国とも水面下で密かに手を握っていたのである。

 ミスタ・ダイアモンドは、アメリカ駐在のOPEC代表者と今後の対策を協議している。
 ハンナは、フランスとスペイン国境に近い、バスク地方のある村を訪ね、そこで隠遁生活を送る伝説の暗殺者ニコライ・ヘルに会いに行く。
 ニコライとハンナの父アサは旧知の間柄で、父親は娘に、窮地に立たされたなら、彼に助けを求めるよう遺言を残していたからだ。
 だが、彼女の逃走先と目的は、先刻、敵方に把握されていた。
 ハンナを抹殺すべく、ダイアモンドらCIAの面々は現地へ向かった――。

太平洋戦争の最中に京都へ移住

 ここまで、お膳立ての部分を紹介したが、これで主要な登場人物が出そろった。あとは主人公を紹介するまでだ。
 ニコライ・ヘルとはどういう人物なのか。
 CIAのファイルには、「もっとも捉え難い危険な人物」として分類されている。「国家主義とかイデオロギーといった思想とはまったく無関係に行動するフリーランスの暗殺者」であると。現在の年齢は47歳から52歳と推定。謎の多い人物なのだ。

 作家は、物語の主人公ニコライ・ヘルの人物造形に相当の頁を割いている。彼は日本と深くかかわりあっている。どのように?
 そこへの関心が、読者をぐいぐい引っ張っていく。

 ニコライ・ヘルは、1920年代初頭、上海の共同租界で生まれた。母親は、ロシアから亡命してきた白系ロシア人で貴族の血を引いている。
 美貌と才知にたけた彼女はたちまち社交界の華となり、やがて、「非常な肉体美と卓越した運動能力をそなえた」若いプロシア人の伯爵との間に男子をもうけた。それがニコライである。

 その後の足跡を記す。
 1937年、日本軍が上海を占領。ニコライと母親は、駐留日本軍の上海特務機関長・岸川将軍の庇護を受けることになる。このとき彼は15歳だったが、将軍から多くのことを学ぶ。ことに将軍は、玄人はだしの「囲碁」を介して少年に教えを説き、「渋み」について触れる。
 本稿の冒頭に紹介したセリフは、岸川将軍である。

 太平洋戦争が激化し、母親は病死した。ニコライは将軍の手配で日本の京都に移住。将軍の盟友である囲碁の名人宅に身を寄せる。
 終戦後、ニコライは進駐してきた米軍の通訳となり、東京裁判に関わるようになるが、ここで岸川将軍の消息を知る。将軍は、満州でソ連軍の捕虜となり、ソ連側証人として、裁判に出廷するという。

 ニコライは、拘置所で岸川将軍と再会を果たす。将軍は、ソ連に利用されるのが本意ではなかった。ニコライは、彼の心情を忖度し、父親がわりだった将軍を、ある方法で死に至らしめる。
 今度はニコライが捕らわれの身となり、過酷な拷問で自白を強要される。なぜ岸川を殺したのか。しかし一切、黙秘のまま、瀕死の状態で放置され――。

彼らが戦争に優れている理由

 ストーリーは抜群に面白い。それ以上に、私にとっては作家の、アメリカという国あるいはアメリカ人に関する洞察が興味深かった。
 トレヴェニアンは、「渋み」の対極にあるものとして、アメリカの文化、文明といったものを酷評している。それはアメリカという国の本質を突いているのではないかと思う。

 たとえばこんな具合。
 ユダヤ人であるハンナは、アメリカで育ち、アメリカの大学に通っている。彼女はアメリカを愛し、イスラエルを支持してくれていると信じているのだが、そんな彼女に、ニコライは辛辣な言葉を投げる。

「きみは自分の国の良心の弾力性を過少評価している。彼らは例の石油輸出制限ではっきりと方針を変えたのだ。アメリカ人の名誉尊重は、セントラル・ヒーティングに対する関心に大きく左右される」

「勇気と犠牲心を瞬発的にしか発揮できないのがアメリカ人の固有性なのだ。それが、彼らが責任ある平和維持より戦争に優れている理由だ」

「彼らは危険に立ち向かうことはできるが、不便には弱い。彼らは蚊を殺すために空気を汚染する。電気肉切り包丁を使うためにエネルギーを消費する。ベトナムにいた兵隊は一度としてコカ・コーラに不自由したことがないのを忘れてはならない」

 ニコライはアメリカ人の嗜好を腹立たしく思っている。彼は、バスクの邸宅に、洗練された東洋系の美女と暮らしているが、彼女との会話。

「きみやわたしがバ―べキュー・パーティで落ち着かないのと同じように、彼らは正式の夕食会に出ると社交的めまいを覚える。彼らの上流社会の人間ですら、文化的には、国際旅客便で出る料理のように見かけだけでいんちきなのだ」

「彼らは勝ち負けを重要視する」

 岸川将軍は、かつて若きニコライにこう教えていた。
「彼らは非常に優秀な商人で、金を儲けた人間に深い尊敬の念を抱く。それらは薄っぺらな長所であるようにおまえは思うかもしれないが、それが工業社会のパターンに合致した能力なのだ」

「せいぜい良くいって、独特の傾向をそなえた科学技術集団だ。倫理のかわりに、彼らにはルーツがある。われわれは質を重視するが、彼らは大きさを重視する。われわれが名誉、不名誉を重視するのに対し、彼らは勝ち負けを重要視する」

 どうだろう。いまの、トランプ大統領のアメリカの姿そのものではないか。こうした辛口の批評やエピソードが随所に現れるのである。

 岸川将軍の教え、ことに「渋み」がニコライのその後の生き方を決定づける。
それがどうしてプロの殺し屋としての人生を送るようになったのか。彼は、依頼人を選び、独特な方法で暗殺を実行し、数々の実績をあげていく。
 バスク地方の描写は秀逸である。本書を手にして旅したくなる。

 あとは読んでからのお楽しみだ。ともあれ、ダイアモンドらCIAや「黒い5月」との対決が、本作の最大の読みどころであることはいうまでもない。
 本稿の読者は、ハンナの願いがかなえられるだろうと思っているかもしれないが、そう一筋縄にはいかないとだけ断言しておく。

シブミ

トレヴェニアン(著)、菊池光(翻訳)
発行:早川書房
文庫版:上巻359ページ、下巻365ページ
価格:上下巻とも840円(税抜き)
発行日:2011年3月15日(上下とも)
ISBN:上巻978-4-15-041234-0、下巻978-4-15-041235-7

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