【書評】いつか離れるその日まで:北上次郎著『息子たちよ』

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自称「五時間の父親」が綴る書評エッセイは、実は2人の息子たちへ宛てた愛情たっぷりのラブレターだ。これから親になる人にも、親稼業真っただ中の人にも、そして親業を離れた人にも読んでほしい、「子どもが愛おしくなる」1冊。

我が家には2人の子どもがいる。
4歳の兄と、まもなく1歳半になろうという妹だ。

いつか2人とも成長し、親元を巣立っていくとわかっているのに、朝から晩までが一瞬で過ぎていく暮らしの渦中にいると、この時間が永遠に続くかのように感じられる。

顔中に米粒をつけながら、手づかみでご飯をもりもり食べる姿。
階段を下りるとき、ぎゅっと握ってきた手のひらの小ささ。
兄の後ろを、キャッキャキャッキャ声を上げてついていく妹。

このふたりが家からいなくなるなんて、とても想像がつかない。

でも残念ながら、その日はいつかやってくる。
本書を読んでその哀しい事実を思い知ると同時に、子どもたちがどれほど自分に元気を与え、我が家を明るく、豊かにしてくれているのか痛感する。
育児は、幸せなんだな。

ありがちな表現になってしまうが、電車の中で読むのは相当危険だ。
からだの内側をぎゅっと掴まれ、目頭が熱くなる。
「危ない危ない、山手線で泣くところだった」
そんなことが、何回もあった。

家族は続く~Family must go on

著者は文学評論家。1970年代に作家の椎名誠とともに『本の雑誌』を創刊し、以来40年余りにわたって書評を書いている。
本の帯文などで名前を見かけている方も多いだろう。私もファンのひとりだ。
年平均10冊以上の文庫本の解説を書いているというから、40年で400冊強。読んでいる本の数は……想像を絶する。

著者曰く、本書は「本を読んだ時に湧き上がった感想を書きとどめる『書評エッセイ』」だ。だが、とてもただのエッセイではない。70歳を越えた父親が息子たちに宛てた、とびっきりのラブレターなのである!

そもそもタイトルが『息子たちよ』。

「しかし、何かあるたびに、たとえば心が落ち込んだとき、わが子が幼かった日のことを思い出すのである。あの笑顔を思い出すのである。長男と次男がまだ幼いころ、私が帰るといつもぶつかるように駆けてきた光景は、まだ記憶に鮮やかだ」

その頃、著者は週に1日しか家に帰らず、オフィスに泊まり込む生活を続けていた。日曜の夕方7時に帰宅し、5時間をともに過ごし、翌朝は彼らが学校に出かけた後に起きる。「私は毎週、『五時間の父親』であった」とある。

それでも子どもたちは、父親の帰宅に胸を躍らせ、駆けてくるのだ。

どの家族にもあるだろうこの「絆」のようなものが、一体どこから来るのか私もわからない。
家族といれば、ときには、口をききたくないほど腹が立つこともある。
それでも壊れないのは、家族の生活は今日も明日も続くからだろうか。
Family must go on、いろんなことがありながら、家族は前へと進んでいく。

台風の目に入るとふっと風が凪ぐように、子育ての嵐のど真ん中にいる間は、自分たちがどんなに幸せな物語の中にいるのか気がつかないのかもしれない。

いつの日かきっと私も、ドアを開ける音を聞きつけて「お帰り!!」と叫びながら子どもたちが階段を上ってきた足音を、懐かしく思い出すのだろう。
もう二度と味わえないものとして。

初めて渡す自らの著書

本書に収められた46編のエッセイでは、2人の息子を筆頭に、家族にまつわる物語とそこから想起される本が紹介されている。

たとえば「兄と弟」では、長男を慕う次男の様子(とわずかなコンプレックス)に重ねて著者自身の兄への感情が語られ、主人公とその兄という共通項から“スポーツ少年小説の傑作”『一瞬の風になれ』やトマス・H・クックによるミステリ『緋色の迷宮』が登場する、といった具合だ。

すでに読んでいる本でも「こんなこと書いてあったっけ?」と感じるのは、引用される場面の多くが、小説の本筋とは別だからだろう。
へえ、そんな読み方ができるのか。読みたいな。
どれもこれも手に取りたくなる。

著者は、宮本輝の『海辺の扉』から息子たちの結婚を想像して、彼らの「暗く、沈んだ表情を見たくない」と願ったり、天童新太『悼む人』を読んで、「私が死んだら、長男と次男は、私のことをいつまでも覚えていてくれるだろうか」と考えたりする。

自然と「今私が死んだら、1歳の娘の記憶には何も残らないだろうな」など考えてこれまた堪らなくなるのだが、一方で、視点をずらすだけで、ここまで本の貌ががらりと変わることに驚かされる。

主題を追うばかりが小説の楽しみではないと、パッと目の前が広がる本でもあるのだ。

読み終える頃には、著者の2人の息子にもすっかり親しみ(しっかり者の長男に安心し、ちょっと危うい次男にドキドキする)、ドラマの続きが気になるように、彼らのその後に興味が湧く。

その意味でもあとがきは必読なのだが、なにより胸に残ったのは「本書は、最初から彼ら(=息子たち)に渡そうと考えている」という下りだ。

これまでの著書は気恥ずかしくて一冊も渡したことがないのに、今回は息子たちに渡すと決めて書いた60冊目の本。
詰めこまれた愛情が溢れ出し、これでもかとこちらに届く。

こんな素敵な本を息子たちに渡せるなんて、羨ましい。

残念ながら私にできるのは、子どもと過ごす愛おしい日々を全力で満喫することくらいだ。イライラすることも山ほどあるが、いつか私の手を振りほどいて駆け出すその日まで、思う存分子どもの魔力に溺れてみよう。

息子たちよ

北上次郎(著)
発行:早川書房
四六版:256ページ
価格:1700円+税
発行日:2020年1月9日
ISBN:978-4-15-209908-2   C0095

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