【書評】地べたに転がるポリティクス:ブレイディみかこ著『子どもたちの階級闘争』

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イギリスの貧困地域にある託児所で働いたら、階級社会が見えてきたーー。いま話題の『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の著者の原体験は、「底辺託児所」で働いた日々にあった。ユーモラスなのになぜか胸が痛み、とことん考えさせられる一冊。

ブレイディみかこさんの著書『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』が売れている。すでに40万部を突破し、「本屋大賞」の2019年ノンフィクション賞大賞も受賞した。それも当然で、めちゃくちゃおもしろいうえに、ダイバーシティやインクルージョン、共感について改めて考えさせられることこのうえない。
さすが、の一言だ。

私がはじめてブレイディみかこさんの著書に衝撃を受けたのは、2017年に出版された本書『子どもたちの階級闘争』を読んだ時だった。
『ぼくはイエローで……』にも著者が保育士として働いていたエピソードがちょこちょこ登場するが、当時の日々が綴られている。

わたしも「底辺保育士」だ

読み始めてすぐ、平易で痛快、それでいてこちらの胸の真ん中にドカンと突き刺さる文章に引きずり込まれてしまった。

2008年のある日、「私たちは緊急の状況にある家庭や、失業者、低所得者の子どもたちを無料で預かる付設託児所を運営しています。(中略)そんな子どもたちと一緒にあなたも働いてみませんか」と書かれたチラシを目にした著者は、ボランティアとして『底辺託児所』で働き始める。

「もちろん当該託児所は『底辺』などという名前ではなく、わたしが勝手にそう呼んでいるだけである。当該センターは自ら『英国最低水準1パーセントに該当するエリアの施設』と宣言しているし、ならばそこで働きながら保育士になったわたしも『底辺保育士』だ」

2年半ボランティアとして働いて保育士の資格を取得した後、著者は給料をもらえる民間の保育園に転職する。
「それは、インスタントコーヒーを水筒に入れて持ち歩いていた人間が、スタバに入ってコーヒーが飲めるようになった程度の出世でもあった」という(なんとわかりやすい例えだろう)。

だがその民間保育園が閉鎖され、2015年に再び底辺託児所へと戻る頃には、イギリスはガラリと変わっていた。
保守党が13年ぶりに労働党から政権を奪還し、緊縮財政の名の下に公的福祉を大幅にカット。底辺託児所への補助金も削減されてランチの予算も減り、新しいおもちゃも買えない状況へと追い込まれていたのである。

変化は、託児所を利用する親子にも起きていた。
以前は生活保護を受け、「セックス、ドラッグ&子育て」を地で行くようなイギリス人のシングルマザーが多かったが、生活保護が次々と打ち切られた結果、彼女たちはフルタイムの働き口を探さざるを得なくなり、保育時間が短い底辺託児所から姿を消していった。
とはいえ誰もがうまくいくわけもなく、ソーシャルワーカーに育児はできないと判定され、子どもを里親に出されたケースもある。

彼女たちの代わりに増えたのが、かろうじてまだ補助金の対象となっている英語教室に通う移民の親と、その子どもたちだ。

2部構成となっている本書では、1部は著者が底辺託児所に“復帰”してから、2部が民間保育園に就職する前の“ボランティア”時代の話になっている。

クリスマスにチキンナゲット

底辺託児所の毎日は、なかなかにアナーキーだ。
日本の保育園を見慣れていると、最初は言葉を失うかもしれない。

「クリスマスは楽しかった?」という保育士の質問に、5歳のローラは
「マミイがベネフィット(生活保護受給金)をクリスマス前に全部使ってしまったから、クリスマスにはターキーじゃなくて、チキンナゲットを食べた」と答える。

まったく笑わない2歳児アリスは、他の子供の顔の肉や耳をつかんで引っ張りまわしたり、腕や足に食らいついていったり、首を絞めながら頭をがくがく揺さぶったりする。暴力的なのはアリスに限ったことではなく、底辺託児所は噛みつきあい、殴り合いも珍しくないバイオレントな環境だ。保育士さんに手を引かれてののんびりお散歩、など存在していない。

しばらく断酒に成功していたのに飲み始めてしまいソーシャルワーカーと話し合っている母親もいれば、育児不適格の烙印を押されて子どもを取りあげられることを恐れ、自分は着古したジャージ姿なのに、娘には新品の服ばかり着せる母親もいる。
移民の母親たちは、イギリスの「下層民」と同じ託児所は嫌だと訴え、「ホワイトが世界で一番優秀だ」と親に教え込まれた5歳児は差別用語を連発中だ。

保守党は、社会の底辺クラスがイギリスに様々な社会問題を引き起こしている様を「ブロークン・ブリテン」と呼んで選挙戦を戦い、政権の座に返り咲いた。
底辺託児所の主役は、まさにそのブロークン・ブリテンの主人公たちでもある。

同じ空間にいたら、声をかけるのをちょっとためらってしまうだろうし、同じ託児所に通わせる勇気が出せるかどうかも相当怪しい。
なにしろ「保育士」サイドにいる著者に対して、親からも子どもからも「このファッキン・チンク(東洋人)!」という罵声が飛んでくるのだから。

それでも底辺託児所に引き寄せられるのは、著者が感傷的にも批判的にもなることなく、目の前の親子にとことん向き合い、ときに揺れ動く自分の感情も包み隠さず書いているからではないだろうか。感情豊かなのに、徹底してリアリストなのだ。

決して労働党の肩を持つわけでもない。ブレア(元首相)のことは、「ドラッグ・ディーラーのごとくに無職者に生活保護を与え続け、麻痺させて黙らせていたのである」とばっさり切り捨てている。

目の前にいる、子どもと親たち。彼らは、現実から逃げ去ることなどできはしない。そこに注がれる著者の視線は、やっぱりとても暖かい。

「底辺託児所のガキどもが描く愛のモチーフには夢もなければ明日もない。
が、愛というものは、いつも美しい空や小鳥のさえずりとともにやってくるものではないのだ。腐りきった関係だって、愛に満ちていることがある」

階級から移動できる選択肢

第一部の最後で、利用者が激減した底辺託児所は閉鎖され、フードバンクへと変貌する。
保守党政権下で増加した貧困層の、最後のセーフティーネットがフードバンクである。

ちょうどそのころ、アメリカでは「Make America Great Again」と訴え、移民排斥を公約にしたドナルド・トランプが大統領になった。
彼の支持層は、移民に職を奪われたと怒るミドルクラスの白人たちだと言われている。

数年後、社会はどう変わったか。
富めるものはますます富み、貧しい人は貧しいまま。社会の階層にそびえ立つ壁は、ますます高く強固になっているように見える。

日本も、同じ道をたどろうとしているのではないか。

ポストトランプ時代を知ってから読むと、本書は「遠く離れたイギリスの物語」ではなく、未来を予言していたようにも読める。むしろ今こそ再読したくなる。

イギリスは階級社会といわれる。
「階級というのは、そこから移動できる選択肢を持っているか、いないか、という違いにつけられた名称」「間違っているのは、下層階級の人間がそこから飛び出す可能性を与えられていない社会だ」
とは、著者の元同僚保育士の言葉だ。

底辺託児所を利用していた親子に、階級から飛び出していける日はやってくるのか。
そもそも、この世界に正解はあるのだろうか?

いまや階級社会は、イギリスだけの話ではない。
「政治が変わると社会がどう変わるかは、最も低い場所を見るとよくわかる」
「地べたにはポリティクスが転がっている」

現代日本に、著者の言葉が重くのしかかる。

子どもたちの階級闘争

ブレイディみかこ(著)
発行:みすず書房
四六判:296ページ
価格:2400円(税別)
発行日:2017年3月3日
ISBN:978-4-622-08603-1

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