女性記者たちが「当事者」として伝えたいこと:『マスコミ・セクハラ白書』に見るメディアの現実

Books 社会 仕事・労働

マスコミで働く女性たちが取材先や職場でのセクハラ体験を告発する。そこから見えてくるのは、日本のメディアが内包する問題だ。WiMN (メディアで働く女性ネットワーク) のメンバーで元朝日新聞記者の林美子さんに話を聞いた。

2月に刊行された『マスコミ・セクハラ白書』(WiMN編著)では、新聞・放送・出版などメディアで働く女性たちが仲間同士でインタビューしあうという形式で、社内や取材先でのセクシュアルハラスメント体験を語っている。現役記者たちが、取材する側ではなくセクハラ被害の当事者として語ることはこれまでに例がない。20代から60代まで世代も立場もさまざまだが、体験には共通点がある。職場はもちろんのこと、取材先からもセクハラを受けるリスクが高かったということ、そしてセクハラは「自己責任」としてうまくやり過ごしてこそ「一人前」だという意識を植え付けられていたことだ。そのために被害に関して沈黙を守ってきた人たちが多い。

麻生太郎大臣の発言に危機感

新人記者はまず地方支局で「サツ(警察)回り」をやらされるのが典型的だ。「夜討ち朝駆け」(予告なく深夜や早朝に取材先の自宅を訪問すること)を励行する男性中心の職場環境で、何をしてでもネタを取ってこいと男性上司や先輩からプレッシャーを掛けられる。社会経験の乏しい若い女性記者にとって、取材相手と対等な関係を切り結ぶことは難しく、セクハラを招きやすい。本書でも、地方支局で同僚や上司、警察など取材先から受けたセクハラ体験が目立つ。

「私も新人時代、新潟支局でサツ回りを経験し、当時の支局デスクに『おまえ、取材相手のキンタマをつかめるか?』と言われました」と言うのは、元朝日新聞記者の林美子(よしこ)さんだ。県で初めての女性記者を県警はまともに相手にせず、ネタが取れない日々が続いていた時に投げられた「アドバイス」だった。「要するに、この記者に頼まれたらなんでも話してしまうぐらい仲良くなれということなんです。今でもその時のデスクの言い方、表情まで思い浮かびます」。林さんが入社したのは1985年、男女雇用機会均等法施行の直前だった。「セクハラ」という認識がまだ一般的ではないころだ。7人の支局員のうち女性は林さん1人。「ボーイズクラブ」で居心地はとても悪かったという。

林さんは「WiMN」(Women in Media Network)を立ち上げたメンバーの1人だ。きっかけは2018年4月の財務省事務次官のセクハラ事件。「胸触っていい?」「抱きしめていい?」―テレビ朝日の女性記者に向けた事務次官の度重なるセクハラ発言を週刊新潮が報じ、事務次官は事実上更迭となった。

「この件で危機感を持ったのは、麻生太郎財務大臣・副総理が参院財政金融委員会で、事務次官は反省しているから訓戒程度で十分だという趣旨の発言をしたことです。政権でナンバー2の政治家が、セクハラを騒ぐほどのことではないという認識を示すなんて、決して放置してはいけないと思いました。世間の批判が大きくなって財務省がやむを得ず調査に乗り出しましたが、『被害者は名乗り出るように』と調査協力を要請したことは、女性の人権に配慮のない問題のあるやり方です」

テレビ朝日記者が、ハラスメントを告発するために取材テープを週刊新潮に渡していたことに対する批判も聞こえ始め、多くの女性記者たちの危機感は募った。元々セクハラ被害を報道すべきだと社内で相談したにもかかわらず対応してもらえなかったことから、このまま曖昧にはできないと新潮に情報提供した背景がある(後日テレビ朝日は財務省に抗議文を提出)。被害者を孤立させてはいけないと開かれた、セクハラ被害者へのバッシングに抗議する院内集会などをきっかけに、一気に連帯のための団体設立への機運が高まった。 

被害者が声を上げられない理由

18年5月1日にWiMNを設立、現時点で100人超のメンバーがいる。セクハラ防止の法整備について考える院内集会や合宿などさまざまな活動をしているが、多くのメンバー名は非公開だ。本書の体験談も仮名が多い。社内や取材先で仕事がしにくくなるのではという懸念があるからだ。また、あとがき(本書の編集委員を務めた田村文共同通信記者)によれば、自らの被害体験と向き合うのが精神的にきつくなり、一時的に連絡が途絶えた人や、話そうとしてもどうしても話せなかった人もいたそうだ。

もっと早く私たちが声を上げていれば、後輩たちの被害を避けられたのではないか―「そんな言葉を何人もの友人から聞きました。その気持ちはよくわかります」と林さんは言う。「でも、『声を上げなかったのが悪い、相手が黙っていたからセクハラだと気付かなかった、被害者にも責任がある』というのは、被害者に向ける一番無神経な言葉でしょう。声を上げることで不利益を被る構造的な背景があるのです。現に(本書では)正面から抗議したことで異動させられたり、パワハラを受けたりした体験も語られています。それに、声を上げることは、内面の深い傷を何度も掘り返すことになるつらい行為なのです」

「記者の場合、社内だけではなく取材先から被害を受けることがあります。それに対して社としてしっかり抗議して、記者を守ってほしい。さもなければ、傷つきながら仕事することで、被害者の生涯にわたって精神的な影響を及ぼしかねません。いまでも(現役記者たちから)相談を受けますが、財務省セクハラ事件を経ても、会社が被害を受けた記者を守り、しっかり対応する体制はまだできていません」

女性の同僚や上司に相談しても、必ずしも力になってくれるとは限らない。男性が支配的な職場で認められるために、その価値観を自ら内面化してしまう女性たちもいるからだ。「自分がしたい仕事ができるようになるため、記者としてより重要な仕事をするためには職場の価値観に染まらなければと思い込んでしまうのです」

朝日新聞を辞めるまで

朝日新聞社に30年あまり勤務した林さんは、地方と東京との間で異動を繰り返しながら実績を積んでいく。2000年代以降は過労死やパート労働などの労働問題を主に取材し、デスク職も経験した。特に出世を望んでいたわけでもないので、自然体でやりがいのある仕事ができていた。14年、東京本社で編集委員として自由に取材ができるようになった時、一つの壁にぶち当たった。

当時、アイドルやタレントにならないかと若い女性をスカウトして契約で縛り、本人の意思に反してアダルトビデオに出演させる悪質なやり口が横行していた。林さんは、被害者の支援団体を通じて「出演強要」の過酷な人権侵害の状況を知り、衝撃を受けた。当時その実態はほとんど報道されていなかった。だが被害者に取材したくても、なかなか会えない。メディアに話せば自分の存在が特定されてしまうのではないかという被害者の恐怖感が強いためだ。当時の男性デスクに、せめて支援団体への相談件数が100件に達したという状況を記事にしたいと訴えても、当事者を取材していないという理由で却下された。結局、被害者に直接会って話を聞き、記事にするまでに1年半の時間を要した。裁判になって問題が表沙汰になってからだ。「最初の段階で記事にできていたら、もっと早く社会に警鐘を鳴らすことかできたのではないか。そんな思いがずっと心に重くのしかかっています」と林さんは言う。

その後もセクハラ被害者に取材した記事を大幅に削られてしまうなど、納得のいかない思いをすることが多くなった。「遅れてきたフェミニスト」を自認する林さんは、セクハラや性暴力、ジェンダー問題の背景をもっと深く追求したいという思いが強くなり、16年11月早期退職の募集に応じた。朝日での最後の仕事は震災とジェンダーをテーマにした連載だった。災害被災地の避難所では、独身や夫を亡くした女性が性暴力の標的になりやすいという記述を巡り、「社内バトル」を繰り広げたという。いまはフリージャーナリストとして仕事をしつつ大学院で研究を続けている。昨年書き上げた修士論文は5人のセクハラ被害者にインタビューして被害の実態を掘り下げたものだった。

日本のメディアは変われるか

林さんの同期入社50人の中で女性は8人、現時点で社に残っているのは3人だ。女性記者の採用割合は当時より増えてはいるものの、この十数年はほとんど変化がなかったという。朝日新聞は4月1日「ジェンダー平等宣言」を発表。日本が「ジェンダーギャップ(男女格差)」ランキングで153カ国中121位と過去最低を記録したことを踏まえた動きだ。2020年入社の記者の女性割合もようやく5割に達した。翌日の紙面に掲載された関連記事によれば、19年9月現在で同社の全社員のうち女性比率は19.8%、管理職は12.0%。30年までに女性管理職の比率倍増を目指すことを宣言の一つに挙げている。本書に掲載されているメディアアンケート(19年9月末時点)を見る限り、女性の採用・登用に関して新聞・通信社、テレビ局は似たり寄ったりの状況だ。

女性記者たちの体験談は、メディアの現場をリアルに映し出す。いまの20代、30代の若手記者たちが置かれた環境は、50代の林さんたちの時代と大きく変わってはいない。読後感が重いのは、メディアの風土を変えなければ社会も変わらないという女性たちの切実な思いが伝わるからだ。

『マスコミ・セクハラ白書』(WiMN編著)

発行:文芸春秋
四六判:344ページ
価格:1600円(税別)
発行日:2020年2月13日
ISBN: 9784163911526

バナー写真:WiMN設立メンバーの1人、フリージャーナリストの林美子さん

女性 ジェンダー メディア 書籍 セクハラ