【書評】「武漢の研究所からウイルス漏出」説の世界的毒物学者が解明:アンソニー・トゥー著『サリン事件死刑囚 中川智正との対話』

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毒物研究の世界的権威の著者は、オウム事件解決のため日本の警察に協力した。さらに、オウムの化学、生物兵器の計画を調べるため、医師の中川智正死刑囚と6年間に15回の面会を重ねていた。それを基にした本書は、二人の約束通り死刑執行(2018年7月)の直後に出版された。現在のパンデミックの中、再び著者が注目されている。「新型コロナウイルスが武漢の研究所から生物兵器の試作段階で、何らかの不手際で漏出したとしても不思議ではない」と発言したからだ。

オウム事件の解決に協力をした著者

今年90歳の著者トゥー氏は、毒物と化学・生物兵器の専門家で、米コロラド州立大学名誉教授。日本統治下の台湾で教育を受けたので、とても日本語がうまい。台湾名は杜祖健(と・そけん)。

1994年に7人の犠牲者を出した「松本サリン事件」の後、日本の化学誌の依頼でサリンの記事を書いた。それを読んだ日本の科学警察研究所から、突然、捜査協力の依頼を受けた。当時の日本には神経ガス・サリンの捜査資料はなく、警察は誰がどこで作っているか、わからなかった。

トゥーが日本に送った方法で、警察はオウムの本拠地、山梨県上九一色村(現富士河口湖町)の土の中からサリンの分解物を検出し、ついにサリン製造の証拠をつかむのだ。トゥーは後に、旭日中綬章を受賞している。

兵器レベルの研究施設と見られる武漢の「実験室」

現在のパンデミックを起こした新型コロナウイルスの発生源について、中国・武漢市の野生動物を扱う海鮮市場が指摘されてきた。その後、「中国科学院武漢病毒(ウイルス)研究所」の関与をめぐり、米中両国で激しい論争が起きている。早い時期に注目すべき発言をしたのが、本書の著者であるトゥーだ。

「私見だが、武漢の病毒研究所やその関連施設などで培養、研究していた新型ウイルスが未完成のまま、何らかの不手際で外部に漏れたと考えるのが一番適当な説明だと考えている」とトゥーは主張している。

そう考える理由はこうだ。
「同研究所の付属施設として、最も危険なウイルスの研究、実験が可能な設備(武漢国家生物安全実験室)があり、専門家らは兵器レベルの実験、研究が主眼の施設だと見ている」
「新型ウイルス問題発生後、米国のCDC(疾病対策センター)が専門家を武漢に派遣し、感染拡大阻止への協力を中国に申し出た際、中国側が黙殺した。中国側に知られたくない事情があると疑われる。また、中国人民解放軍が1月末、武漢に中国で最も優れた生物兵器の専門家とされる女性少将を派遣したことも、いぶかしい」

では、どのようにウイルスが漏れたのか。トゥーはこう推測する。
「(研究施設などの)現場の人間が金銭欲しさに使用済みの実験動物(コウモリなど)を焼却せず、市場に横流しするなどの行為はあり得ることだ」
(以上、ニッポンドットコムに3月25日掲載された吉村剛史氏のインタビュー記事から要約)

中国側はこうした疑惑を全面否定している。

麻原教団代表の主治医

本書に戻るが、松本サリン事件の翌年の1995年3月、東京で14人が死亡、約6300人が負傷した「地下鉄サリン事件」が起きた。化学兵器を使った、世界でもまれな大都市圏での無差別テロ事件だった。同5月、首謀者の麻原彰晃教団代表が逮捕され、その翌日、サリン製造に加わった中川も逮捕された。麻原は国会上空からサリンを撒き、国家を転覆し、国王になる計画も立てていたという。

中川は麻原のヨガ道場をのぞいたのが、オウムとの出会いになった。麻原の主治医として教団幹部になり、また、教団の科学者として毒ガス製造などにも関与した。逮捕から16年後の2011年11月、計25人の殺人に関与した中川の死刑が確定した。

トゥーは中川が死刑確定する前に文通を始め、死刑確定の翌月から面会が始まる。トゥーの目的は、なぜオウムはテロの暴力に走ったか、いかにして化学、生物兵器のプログラムを作ったかを調べることだった。中川もトゥーの名を知っており、面会に応じて、オウムの内側からの貴重な情報を話した。裁判で語られなかったものも少なくない。死刑囚との面会は1回10分だが、日本側は事件解決に貢献したトゥーには特別に配慮して、毎回30分を認めていた。

最初の面会で、警察が上九一色村に土を採取に来た時のことについてのやり取りが記されている。
中川「先生の論文を読んで、サリンは土壌の中から検出できることは知っていましたが、警察がそんなに早く先生の論文を応用するとは予想していませんでした」
トゥー「あれは私が警察のお手伝いをしたのです」
中川「そうでしたか。今、初めてわかりました。(しばらく無言)そんな先生と私が今ここで一緒になっているとは、不思議な縁ですね。でも、先生のおかげでオウムが早くつぶれて、よかったですよ。でなければ、もっと殺人がありましたよ」

ウイルスに目をつけたオウムの生物兵器計画

中川は、計画が失敗したため、あまり注目されなかったオウムの生物兵器についても、詳しく述べている。オウムは感染力が強く、「最強の感染症」とも言われるエボラ出血熱のエボラウイルスに目をつけたが、菌が入手できないと断念。フグ毒の9000倍というボツリヌス菌や、アメリカのテロで使われた炭疽(たんそ)菌の培養を試みているが失敗した。

アメリカ側は、なぜオウムが失敗したかの原因を知りたかった。中川は「生物兵器の責任者(のちに死刑)が獣医師だったので、細菌培養の経験もなく、無害の菌種を選んでしまったからだ」と説明している。不幸中の幸いだったのだ。

オウムは次に化学兵器の製造を乗り出した。その中心にいた幹部は教団内で最も化学知識を持ち、文献調査して一人でサリンを作った(のちに死刑)。中川はさらに、トゥーを仰天させることを告げる。その中心幹部は、トゥーが書いた神経ガスの記事を読み、すぐに猛毒の「VX」を作ったことを。トゥーの記事は警察に役立ったが、オウムには悪用されてしまった。

6回目の面会(2014年10月)で、トゥーは中川に麻原への忠誠心について質問した。中川は「逮捕当時はまだありました。もう今はありませんよ。もう20年たっているのですよ」と笑いながら答えた。マインドコントロールから解放されるのに、実に長い年月がかかった。

17年2月にマレーシアの空港で、北朝鮮の金正男氏暗殺事件が起きたが、中川は獄中から使用毒物がVXであることをいち早く見抜き、弁護士を通じてトゥーに知らせた。そんなことが出来たのは、オウムがVXを製造中、信者が誤って中毒になると、医師の中川が治療していたからだ。中川は当時、世界でただ一人のVX治療経験のある人物だったのだ。

その翌年の3月、中川は東京拘置所から、広島拘置所に移送された。「13時間の長いバスの旅で、すっかり体にこたえましたが、移動中、故郷岡山の山々を見て懐かしかった」と述べている。同7月、麻原、中川らの死刑が執行された。

「日本の専門家も死刑囚と面会を」

その数日前に中川から送信されたメールにはこんなことが書かれていた。「私は医者ですから、別に化学兵器や生物兵器について知らないと言っても通ります。私が論文を書いたり、(トゥー先生ら)研究者に協力しているのは、私がやったようなことを他の人にやって欲しくないからです。被害者も、加害者も出て欲しくないと思っています」

トゥーは東京での「地下鉄サリン事件の集い」で聞いた参加者の発言を紹介している。「日本人の専門家にも(トゥーと同じような死刑囚との面会の)機会を与え、オウムの悪行の根源を調べるべきである。さっさと死刑を執行したら、真実は永遠に消えてしまい、後世に教訓を残せない」

本書はオウム事件を語るのに欠かせない一冊になった。激しくなる「新型コロナ」発生源論争の中で、著者が生物兵器について発言した背景も本書から理解できたと、筆者は感じている。

サリン事件死刑囚 中川智正との対話

アンソニー・トゥー著
発行:角川書店
四六判 227ページ
価格:1400円+税
発行日:2018年7月26日
ISBN:978-4-04-102970-1

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