【書評】“茶酔”の境地に至る:佐野典代著『ものがたり 茶と中国の思想――三千年の歴史を茶が変えた』

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中国では古来、茶は不老長寿の仙薬とされた。健康飲料でもある茶は道教や仏教、儒教と深くかかわり、歴史を動かしてきた。歴代の皇帝や文人、庶民に愛された喫茶の文化。本書はその魅力と魔力が渦巻く深遠な世界へと読者をいざなう。

30数年の中国茶人生の結晶

「体がふわりと宙に浮いた。いや、そんな感じがしたのだ。…(中略)…鳳(おおとり)の背に乗っているような、この世のことかと怪しい不思議で愉快な感覚に、脳か体かはわからないが、満たされていったのだった」

著者は希少な烏龍(ウーロン)茶である「岩茶」を初めて飲んだときの神秘的な体験をこう綴る。茶に酔う“茶酔”という現象だ。

1984年春、中国福建省の北西部に位置する武夷山(ぶいさん)を訪ねたときのことだ。これがきっかけとなって中国茶にのめり込んだ。88年には都内で日中文化交流サロン「岩茶房」を開店した。毎年のように中国各地に旅し、数え切れないほどの名茶を飲んできた。

「人は良いお茶に酔う。三十数年間のわたしの人体実験結果である」。何度も茶酔を体験した著書は、「茶の力」が中国の思想や歴史に与えた影響やエピソードを著名な人物や漢詩を引用しながら縦横に語る。本書は半生を懸けた中国茶人生の結晶である。

特別な烏龍茶「岩茶」に心酔

茶は中国古代の神話上の農業神、神農(しんのう)が発見したとされる。茶を飲料とし、茶樹を栽培したのも中国から始まった。茶の種類は星の数ほど多い。一説には5千以上ともいわれる。産地や形状、水色(抽出したときの色)、味、香りはひとつひとつ違う。

茶はどれもツバキ科の茶樹(学名カメリア・シネンシス)の葉が原料。中国では、茶葉の発酵の度合いによって緑茶、青茶(烏龍茶)、黄茶、白茶、黒茶(プーアル茶)、紅茶の六つに大きく分類される。

緑茶は茶葉を摘んですぐに蒸したり、釜炒りしたりして熱を加え、茶葉に含まれる酵素の働きを止める不発酵茶である。白茶は微発酵、青茶は半発酵、紅茶は完全発酵だ。黄茶と黒茶は、緑茶を発酵させた「後発酵茶」と呼ばれる。黄茶は緑茶に近い軽度の後発酵、独特の風味を持つ黒茶はコウジカビによる後発酵を施している。

著者が心酔する岩茶は、六大茶類のうち青茶、すなわち烏龍茶の一種だが、特別のものだ。武夷山の特産で、武夷岩茶とも呼ばれる。

岩茶の最大の特徴は「岩韵(がんいん)」があること。岩韵(岩韻)とは、武夷山の風化した岩肌の養分(ミネラル)を吸収した茶葉が抽出されたときに醸し出す味と香り。後味と残り香の余韻も独特だ。

「三十六峰九十九岩」の異名がある武夷山は大小135の奇峰と奇岩が連なる山系である。恐竜が繁栄した白亜紀の地殻変動により上昇し、形成されたという。

「岩茶には、太古の岩のミネラルが奏でる複雑でかぐわしい味と香りがシンフォニーのように重層的に響き合っている魅力がなければならないという。これが岩韵。岩韵は、人の肉体と精神に良い影響をもたらす重要な味であり、香りなのだ」

伝説の皇帝献上茶「大紅袍」

岩茶にも「鉄羅漢」、「水金亀」、「白鶏冠」など様々な銘柄がある。最も有名なのは世界一高価な「大紅袍(だいこうほう)」だ。著者は「味も香りも複雑、重厚、おいしくて健康増進に役立つお茶の最高峰は武夷岩茶、武夷岩茶の王は『大紅袍』である」と折り紙をつける。

病が直ちに治ったなど伝説のベールに包まれた大紅袍の原木は武夷山の天心岩地区の急峻な崖の中腹にある。「現在、古木三本が天心岩の絶壁に根を張り、およそ五百年、生き永らえている」。ときの皇帝に献上され続けてきた、まさに最高級茶だ。

「毛沢東サンは『大紅袍』を飲んでいた……、そういう話を、ある筋から密かに聞いたことがある」。著者は本書でこう明かす。著者自身も大紅袍を飲んで魂が抜けるような不思議な体験をしたことを詳述している。

大紅袍の原木は厳重に管理されており、門外不出。一般の人は入手できない。1980年代から挿し木技術などを利用して、量産できるようになった。ただ、市販されている大紅袍のほとんどは土栽培の贋(にせ)だという。著者は「高額で売れるからであり、本当の味、香りを知らない中国の金持ち消費者が『大紅袍』という名前に群がるからである」、「中国人は贋作名人でもある」と手厳しい。

茶聖、陸羽は「良い茶を探す旅人」

「茶は南方の嘉木(かぼく)なり」――。中国の唐の時代の8世紀、茶聖、陸羽が著した『茶経』(上中下3巻)は世界最古の茶の専門書として知られる。

「一之源(茶の起源)」から始まり、「十之図(茶の図)」で終わる十部構成。『茶経』は茶の歴史、製茶法、茶器、飲み方などを網羅した茶の聖典といえる。翻訳もされ、今日まで読み継がれる不朽の名著だ。

本書『ものがたり 茶と中国の思想』も「その一」から「その十」まで十部で構成されている。『茶経』を手本としているようで、陸羽にまつわる記述も繰り返し登場する。著者の陸羽への想いは熱い。

「茶に取り憑かれた陸羽は、千三百年後の未来に解明されていく脳の記憶のメカニズムを見透かしているような、とんでもなく大胆で、おもしろい男だ。しかも茶の始まりから、型などどうでもいいんだというところなど、そこはかとなく恐ろしい男の匂いさえする」

陸羽は皇帝献上茶第一号の生みの親でもある。その茶は「顧渚紫笋茶(こしょしじゅんちゃ)」。浙江省長興にある顧渚山(こしょざん)で生産される緑茶だ。茶名は『茶経』にも明記されている。

捨て子だったとされる陸羽は現在の湖北省天門の寺院で育てられた。一時は戯曲家になるなど、人生は曲折に富む。儒学を学び、文才もあったが、権力には近づこうとせず、政治とは無縁だった。

茶に生きる道を見つけた若い陸羽と交流し、応援したのは左遷組の官僚で権力に屈しない詩人、書家としても名高い顔真卿(がんしんけい)や僧侶で詩人の皎然(こうねん)らだった。彼らもまた茶に魅了されていった。

陸羽は良いお茶を探す旅人でもあった。その人生を凝縮させたのが『茶経』だった。一方で、岩茶に恋をした著者は年に一度は武夷山に通い、「これまでに中国各地で二百種類を超える緑茶を飲んだ」。著者は自らの人生を陸羽に重ね合わせているのかもしれない。

「不老不死」の裏に庶民の犠牲

「中国人がなぜお茶を重用(ちょうよう)してきたか。そこに不老不死の思想があったからである」

中国の皇帝が最後にほしい「不老不死」を目指す思想は、道教である。「道教信者となった皇帝や権力者は、じわじわと体に効いていく仙薬・茶に、死なない命の望みを託した」のである。

皇帝献上茶に象徴されるように、中国の茶は権力者の飲みものとして始まった。永遠の命に憧れる皇帝たちは薬効のある最上の茶の生産を命じた。半面、茶摘みに数万人の農民が駆り出されるなど、茶づくりと都までの運搬を担う大勢の庶民たちは重労働を強いられた。

本書では唐代中期の孤高の詩人、盧仝(ろどう)の有名な詩「茶歌」が紹介されている。盧仝は思いがけず贈られた顧渚山の新茶を賞味して「わたしは仙人になったようで、とてもいい気分だ」と詠っているが、茶歌はこう続く。

「貢茶(皇帝献上茶)を飲んで、確かに良い気分になったが、この茶のために、どれほど多くの人びとが犠牲を払ったことか。険しい崖から落ちて、苦しんでいる人民がいることを、皇帝はわかっているだろうか」

茶歌からは「反体制的な匂いが嗅ぎ取れる」。求められても役人になるのを拒んでいた盧仝はその後、文宗(ぶんそう)皇帝時代の官僚と宦官の争い「甘露の変」(835年)に巻き込まれ、命を落とす。

唐・宋・元・明・清と続く茶史

中国で茶が一般に普及し始めたのは7~10世紀の唐の時代だった。本書を通読すると、歴代王朝と茶についての歴史を俯瞰できる。

唐代では茶葉を蒸して固めた固形緑茶「餅茶(へいちゃ)」を削って煮出して飲む方式だった。ところが、宋代(10~13世紀)になると、餅茶は姿を消し、より複雑精巧な固形茶「団茶(だんちゃ)」が登場する。宋代の第八代皇帝、徽宗(きそう)は茶好きで知られ、『大観茶論(たいかんさろん)』を著したとされる。

元の時代(13~14世紀)も武夷山や顧渚山に皇帝専用の「御茶園」が設けられた。モンゴル軍を倒して明代(14~17世紀)の初代皇帝に就いた朱元璋(しゅげんしょう)は貧農の出身だったため、「わしは茶なんて好かん。農民をいじめる茶はつくるな。飲みたい者は葉っぱで飲め」と命じたという。

「農民を救済したかった朱元璋は、簡単につくれる茶葉に切り替えさせた。日ごろわたしたちが飲んでいる葉状の茶は、このとき始まった」

宋代の贅を極めた「団茶」は滅んだ。明の時代は、固形茶にせずに茶葉のまま飲む「散茶(さんちゃ)」が推奨された。緑茶は釜炒りで発酵を止めるものが主流となった。烏龍茶が武夷山で生まれ、新しい茶道具として茶壺(急須)が使われるようになったのもこの時代である。

清代(17~20世紀)は中国の茶文化が大きく花開いた時代だ。銘柄茶が続々と誕生し、各地に茶館ができた。第四代皇帝、康熙帝(こうきてい)は江蘇州太湖に足を運んだ際、芳香の緑茶を気に入り、「洞庭碧螺春(どうていへきらしゅん)」と命名した。

清朝第六代皇帝、乾隆帝(けんりゅうてい)は歴代皇帝の中で最も茶を愛した。浙江省杭州の最高級緑茶「西湖龍井(せいころんじん)」を絶賛し、湖南省岳陽産の珍しい黄茶「君山銀針(くんざんぎんしん)」にも惚れ込み、毎年献上するよう命じたという。

皇帝献上茶は清朝まで続いた。やがて中国茶は受難の時代を迎える。1949年の新中国(中華人民共和国)成立後、毛沢東時代に「茶は王侯貴族の贅沢品、封建時代の遺物と決めつけられ、茶畑は無残に荒廃した」のだ。文化大革命のあおりで、多くの茶館が一時閉鎖された。

「現代の茶が本格的に復活したのは、経済活動奨励政策が活発になった一九九〇年以降である。中国各地には、歴史が語る茶がたくさんある。茶農家、文化人、茶を飲む中国全土の普通の人たちが復活させたのだ」

中国茶は「明るく、体に良い」

本書の魅力は、中国茶をめぐる「光と影」をバランスよく描いていることではないだろうか。

「紀元前五、四世紀の老子、孔子に始まり、唐、宋代に至る間に優れた思想家、宗教家、詩人、書家、皇帝、政治家が大勢現れ、大山脈をつくった」。著者はこう前置きしたうえで、大山脈を形成した人びとを“通奏低音”のようにつないだ横糸が、お茶であったと結論づける。

「中国茶は歴史から見ても、薬効を重要視する道教と深い関係があり、源泉とすることは明らかである。…(中略)…茶の世界からいえば、中国人はみな道教徒である。死ぬまで元気に、健康という究極の快楽を求めて……。そこに道教思想が見える」

中国には「茶に取り憑かれれば財産を失う」という格言がある。中国茶の旅人となった著者も、貯金を取り崩しながら、茶税や貿易に関する中国の諸規制、煩雑な手続きなど困難な問題を乗り越えてきた。信頼できる中国人と出会い、貴重な岩茶を入手するルートも築いた。

どんな高級茶も飲めば、体内にすっと消えてしまうが、茶酔は浮遊感を伴う。中国茶の奥深い世界に引きずり込まれた著者は、神仙思想の「羽化登仙(うかとうせん)」のような境地へとたどり着いた。

「おいしければ、楽しい。楽しいところに人は集まり、心通い合う関係を築くことができる。そういう人たちと飲むお茶は明るく、体に良い。それが中国のお茶である」

ものがたり 茶と中国の思想――三千年の歴史を茶が変えた

佐野 典代(著)
発行:平凡社
B6変判:224ページ
価格:2200円(税抜き)
発行日:2020年3月25日
ISBN:978-4-582-83835-0

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