【新刊紹介】消えた名家・名門の運命:敗者の歴史研究会編『カラー版 敗者の日本史』

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歴史の表舞台から消えた名家・名門は、その後、どんな運命をたどったのか。「敗者の歴史を追えば、もう一つの日本史が見えてくる」を合言葉に大学教授、フリーライター、編集者らが集まった研究会のメンバー6人が執筆した。

戦国時代に天下統一目前まで迫った織田信長。本能寺の変の後、織田家は豊臣秀吉に飲み込まれてしまうが、わずか3歳で跡継ぎとなった秀信(幼名は三法師、信長の孫)は、信長ゆかりの岐阜城主(13万石)となる。しかし、関ヶ原の合戦で西軍に属したため、領地は没収され、高野山で幽居。20歳代半ば、若くして亡くなった。

信長の血統は、次男の信雄の子が二人、小藩ながらも出羽天童藩と丹波柏原藩の藩祖となり、大名として存続していく。また、信長の七男と九男の子孫が旗本の格式高い高家(こうけ)となった。徳川幕府は信長の栄華を忘れることなく、名家として扱っていた。

「歴史は勝者がつくる」と言われるが、本書には、あまり知ることのない“敗者”となった古代豪族、武家、皇族・貴族など53の一族のその後が書かれている。それぞれが1~10ページと短いが、歴史のこぼれ話がきれいなカラーの絵画、地図、写真などと一緒に紹介されている。

源平合戦で、壇ノ浦に消えたと言われている平家一門。だが、源頼朝が鎌倉に迎え、厚遇した生き残りがいた。清盛の異母弟の頼盛だ。頼朝が平治の乱で父と共に敗れ、平家に殺されそうになった時、助命してくれたのが頼盛の母、池禅尼(いけのぜんに)だったからである。

頼盛の娘が公家に嫁ぎ、生まれた陳子(のぶこ)がその後の、後堀河天皇を産み、頼盛一家は天皇家の縁戚に連なっていく。繁栄した頼盛の子孫は、武家平氏の血筋を後世に伝えることになった。

関ヶ原合戦で敗軍の将となった石田三成は処刑されたが、子らにはさほど厳しい処分はなかったようだ。長男は出家。娘の辰子は豊臣家の養女として陸奥弘前城主に嫁ぎ、跡継ぎをもうけて、子孫は藩主家(10万石)で明治に至った。

歴史上よく知られる人物の血が今日も受け継がれているとは、興味深い。そんなことを本書は感じさせてくれる。

宝島社新書
発行日:2020年4月24日
223ページ
価格:1280円(税別)
ISBN:978-4-299-00459-8

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