【新刊紹介】最北端、宗谷海峡の謀略戦:佐藤哲朗著『スパイ関三次郎事件』

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戦後の混乱がまだ治まっていない頃、かつて南半分が日本領だった樺太(サハリン)から、ソ連のスパイだとされる関三次郎が密入国する事件があった。有罪判決が確定するが、毎日新聞記者だった著者が、関本人へのインタビューや現場取材を重ね、真相は全く違うことを暴いていく。

1953年夏、乱数表など「スパイ7つ道具」が入ったリュックサックを背負い、大金を持った関三次郎が、北海道の宗谷沿岸に現れた。沿岸監視員の通報を受け、関はその日の夜、稚内警察署のすぐ前にある旅館で捕まる。

それから10日後、ソ連の不審船が宗谷沖で、日本領海に入ったとして拿捕され、船長らロシア人4人が出入国管理令違反の現行犯で逮捕された。日本側がソ連船を拿捕したのは、戦後初めてだった。

日本本土最北端の宗谷岬と樺太の岬の間は、最短でわずか42.6キロメートルしかない。拿捕から間もなく、国境の海をはさんで異変が起きた。ソ連側が強力なサーチライトの光線を毎夜1時間おきに、対岸の日本側に放った。「ソ連船奪還の前触れだ。ソ連が攻めてくるかもしれんぞ」と宗谷沿岸の住民はおびえた。

日本の捜査当局は、関と不審船の事件を連結させ、「ソ連船は関を樺太から乗せて日本に送り、迎えに来た」と発表した。そして、「今後の課題として、国の安全を脅かすようなスパイ活動については、取り締まる法律が必要になる」と訴えた。

裁判は荒れた。ソ連船の船長は、関を見たことも、日本人を乗せたこともないと全面否定。何かにおびえたような関は証言を二転三転させ、精神鑑定まで行われた。結局、関とロシア人船長ともに、懲役1年、執行猶予2年の有罪判決が言い渡され、控訴しないまま確定した。

真相は「逆」だった

著者は北海道の司法記者として、この事件の捜査、公判立ち会いを担当した経験を持つ札幌検事正が、「証拠主義が徹底した近頃なら、公判請求(起訴)はとても無理だった」と語るのを聞いた。これを機に、独自の取材を続けていった。そして、この事件がソ連のスパイ事件ではなく、なんと、当時の北海道内外を我がもの顔にのし歩いていた米CIC(米国陸軍防諜部隊)の謀略によるものと気付いていく。

北海道生まれの関は漁師となり、1922年(大正11年)、19歳の時に乗っていたカニ工船が転覆して行方不明となるが、樺太で生きていた。終戦後はサハリンと稚内などを往復する密航船で荒稼ぎをしていたが、これを見つけたCICに脅され、スパイ協力者になったらしい。

著者は関と6回会った。関は自分の供述調書をねつ造したのは、「アメリカの謀略機関と日本の警察だべ」と証言していた。さらに関は、ソ連船ではなく、日本の船でサハリンから宗谷沿岸に来たと言っている。リュックや金は、経由した礼文島で渡されたという。上陸地点を誤り、捕まった関は途中からCICなどによって、ソ連スパイの脅威をアピールする存在にすりかえられたようだ。激しい謀略戦が展開されていた。

敗戦で樺太に残留となった日本人が無法地帯で生き抜くためには、ソ連の官憲とのつながりを持たざるを得なかった。関は核心部分では口を濁したが、米ソ両国のダブルエージェントだった可能性もある。

樺太生まれの著者は、「戦争のために旧樺太での生活基盤を奪われ、辛酸をなめた多くの人々の戦後史が闇に沈んでいることにやりきれない。宗谷海峡の戦後を問い直す必要を痛感する」と述べている。本書は、一つの事件に50年近い歳月をかけた記者魂を感じる力作である。

河出書房新社
発行日:2020年4月30日
四六判 282ページ
価格:2500円(税別)
ISBN: 978-4-309-02879-8

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