【書評】香港人の涙はいつ止まるのか:小川善照著『香港デモ戦記』

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香港情勢が再び、波乱の時を迎えようとしている。逃亡犯条例改正の撤回や民主化を求めて当局とデモ隊が衝突した香港。新型コロナウイルスで一時休戦になったかと思っていたら、中国全国人民代表大会で「香港版国家安全法」の制定が可決された。9月に予定される立法会選挙に向けて、香港の試練はさらに厳しさを増しそうだ。その香港で繰り広げられた2019年の抗議運動のリアルな姿を描き出す。

小川 善照 OGAWA Yoshiaki

1969年、佐賀県生まれ。週刊ポスト記者として事件取材などを担当。『我思うゆえに我あり』で、第十五回小学館ノンフィクション賞を受賞。社会の病理としての犯罪に興味を持ち続けている一方、雨傘運動以来、香港へ精力的に足を運び「Forbs」「日刊ゲンダイ」などの連載でその様子を綴っている。

「戦場」だった香港

著者自身もあとがきで「本書の取材で心がけたことは、小さな物語を集めることだった」と述べているが、本書の魅力の一つは、香港の人々の生の声が多く収録されているところにある。その声には、明るさと開放感があった2014年の雨傘運動と比べて、2019年の抗議デモでは、緊張感と悲壮感が漂っていた。

黒いマスクをつけ、黒いシャツに身を包み、顔認証のカメラを避けるため、素顔の撮影を頑なに拒んでいた抗議者たち。雨傘運動では笑顔で撮影に応じていたことを思い出す。それだけ、香港情勢は緊張の度合いを格段に増したのだ。

それでも、マスクを外せば一人ひとりが普通の人間だった。
「香港デモの参加者たちは、それぞれの思いとともに、守りたい大事なもののために戦っていた。火炎瓶の炎や催涙ガスで見失いがちだったが、勇武派の覆面の下にも、雨傘のときと変わらない人懐っこい笑顔があった」
著者は、本書のあとがきでそう記している。

再逆転した警察の評価

第四章「市民たちの総力戦」で描かれる警察とデモ隊との攻防が興味深い。警察のことを市民たちは「黒警」と呼んだ。香港では「黒社会」はヤクザのことだが「黒警」は「ヤクザ警察」というような意味になる。1960年代までは警察とヤクザの癒着が深刻で、市民は警察を「黒警」と呼んでいた。その悪名が、数十年ぶりに復活したことは、香港警察に対する市民の評価の再逆転を物語っている。

雨傘運動以前の香港警察は、市民による政府への抗議に対しては、中立的な態度で警備をしていたという。「2019年からは、その香港警察が市民にとって憎悪の対象となっていった」といい、デモ隊の主要敵は、事実上、警察だった。

著者によれば、その反警察感情は多くの事態の積み重ねで悪化していった。

「六月一二日以来のデモ制圧のための催涙弾の多用、沙田(シャーティン)のショッピングセンターでの無差別暴力(七月一四日)、元朗(ユンロン)白T軍団との共謀疑惑(七月二一日)に加え、女性を逮捕する際に下着を脱がせた性暴力(八月四日)などが次々と発生し、日々批判の声が強くなっていった」

こうした相次ぐ不審な事態に、抗議デモは、警察の暴力行為に関する独立調査委員会の設置を当局に強く要求した。

デモ隊のみならず市民からも敵視された警察は、その暴力性をさらに高めるという悪循環に陥った。警察が追い詰められていたことはわかる。群衆に囲まれ、火炎瓶や石などを投げられる恐怖に打ち克つには、もっと大きな恐怖を相手に与えるしかない。警察は、デモ隊だけでなく、マスコミも敵視していたので、彼らの動線に入ろうものなら途端に怒鳴られ、下手をすると警棒を振り下ろされた。

香港では、警察は正義の味方だった。1980年代のジャッキー・チェンの「ポリス・ストーリー 香港国際警察」にはじまり、1990年代の「インファナル・アフェア」シリーズ、2000年以降の「コールド・ウォー 香港警察」シリーズなど、どの作品でも正義感にあふれた香港警察の姿が描かれている。

1974年に腐敗公務員を取り締まる独立機関・香港廉政公署の設立から次第に改善し、市民の味方になっていったが、今回の抗議デモで香港警察のイメージは再び地に落ちてしまった。その意味で「黒警」の称号の復活は時代の移り変わりを象徴している。

黄色経済圏と分断

ただ、香港には親中派を中心にそうした警察を支持する人々もいる。彼らは「藍色」と呼ばれ、デモ隊を支持する側は「黄色」と呼ばれる。香港ではいま「黄色経済圏」という言葉が流行しているが、デモ隊に同情的な店は黄色に分類される。

「黄色い店は、心情的にデモ隊支持でも、さすがにそれを明確に宣言するには、いろいろとリスクがあるようだ。それでも、宣言した店については、市民たちが並んででも通うため、けっこう繁盛している。逆に藍い店は、それまでは無自覚に通っていた市民たちがボイコットすることで、売り上げが低下して、閉店する店すら出てきた」

こうした本書の描写は、日本人にはピンとこないかもしれないが、分断が極限まで進化した香港社会では日常の姿になりつつある。

政治によって社会が完全に分断されているのがいまの香港で、しかも、その分断は今年に入って、さらに深まりそうな情勢になっている。

本書の刊行とほぼ同時期に、中国の全国人民代表大会で、香港の「憲法」とされる香港基本法に、国家安全法が導入されることが決定され、条文作成の準備がいま進んでいる。国家の分裂や転覆を阻止するという名目で、幅広い取締りの裁量権が当局に付与される懸念がある。2003年に50万人デモで一度は廃案に追い込まれた国家安全法だが、香港での導入を求める中国は、全人代で香港の「頭越し」に進めることで、香港人が関与できないやり方を選んだ。一国二制度を形骸化させる動きだが、香港人に打つ手はなく、国際社会の対中圧力を待つしかないところが苦しいが、我々日本人も傍観して同情しているだけでいいはずがない。

本書のカバーには「絶対に、沈黙しない」とある。香港版国家安全法が導入されたあとも香港人は沈黙しないでいられるだろうか。いや、そのような問いの立て方をするべきではない。もし香港人が無理やり沈黙させられるような法律になるならば、導入させてはいけないと、私たち日本人は考えるべきである。香港人が「多くの涙を流し続けた。これからも流し続けなければならないのだろうか」という著者の問いかけは、ますます重くなっている。

香港デモ戦記

小川善照(著)
発行:集英社
新書判:256ページ
価格:860円(税別)
発行日:2020年5月20日
ISBN:978-4-08-721121-4

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