【書評】「コロナ後」の台湾と向き合うために:野嶋剛著『なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか』

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世界から注目される台湾の新型コロナイウルス抑え込み。徹底した検疫、透明性の高い情報公開、マスクの独自生産など、巧みな手法でウイルスの拡大を抑え込み、世界から注目を集めている。本書は、その台湾のコロナ対策を詳しく解剖しつつ、対中関係や国内政治、複雑な歴史など、感染症対策と台湾社会の興味深い関係性を浮かび上がらせている。

野嶋 剛 NOJIMA Tsuyoshi

ニッポンドットコム・シニアエディター。ジャーナリスト。大東文化大学特任教授。1968年生まれ。上智大学新聞学科卒。在学中に、香港中文大学、台湾師範大学に留学する。92年、朝日新聞社入社。入社後は、中国アモイ大学に留学。シンガポール支局長、台北支局長、国際編集部次長などを歴任。「朝日新聞中文網」立ち上げ人兼元編集長。2016年4月からフリーに。現代中華圏に関する政治や文化に関する報道だけでなく、歴史問題での徹底した取材で知られる。著書に『ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち』(講談社)、『認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾』(明石書店)、『台湾とは何か』(ちくま新書)、『故宮物語』(勉誠出版)など。オフィシャルウェブサイト:野嶋 剛

早かった対中遮断

本書は、台湾の蔡英文政権が新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大をどう防いだのか、について、2020年5月末までの状況をほぼ時系列に整理し、表題に掲げた問いかけを明快に解き明かしている。269頁という標準的な新書の分量ながら、巻末には参考資料として台湾、そして世界と日本の感染拡大に関する年表が付される。

緊急事態宣言のもとで、マスク不足に困惑していた大方の日本人にとり、テレビで伝えられた薬局で確実に必要量のマスクを手にする台北市民の姿は鮮烈であった。5月末日での感染者数は、16000人を大きく上回った日本に対して、台湾はわずか442人。日台の人口差を織り込んでも、台湾が初期の感染封じ込めに成功したことは揺るぎのない事実だ。

その理由について、本書は2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)の流行で、院内感染の広がりから職員と入院患者をそのまま閉じ込め31人の感染死と1人の自殺を招いた和平医院封鎖の悲劇を紹介し、SARSの教訓から「指揮系統の一本化、中央と地方の一致、対策の合理性、情報の透明化、必要な準備、法体系の整備」(87頁)という課題を台湾政府が「一から作りかえる作業」(同)に取り組んだ長期の取り組みを挙げる。

偶然とはいえ、台湾は民主進歩党(民進党)の政権下でSARSとコロナという2度の大きな感染症と向き合った。だが、いずれの感染症も台湾海峡をはさむ中国からもたらされた事実は、地理的な距離や経済・人文的な関係に照らせば、むしろ必然に近い。短期的な取り組みで決定打となったのは、「対中遮断を早期かつ徹底的に実施したこと」(119頁)に尽きよう。台湾が中国人の入国制限に着手したのは2020年1月下旬と世界で最も早い段階である。

世界保健機関(WHO)が親中派と目されるテドロス事務局長の下、2月を迎えてなお渡航制限に否定的な見解を取り、歯の浮くような中国への賛辞を重ねたことと比べてみれば、世界的な関心を集めながら台湾を排除した今年の総会を含めて、中国の意のままに動くWHOと、台湾の判断とどちらが正しかったのかは歴然としている。

コロナ後の国際秩序

蔡英文総統の下で、こうした果断な感染症対策を支えた大小の要因は多岐にわたる。かつての戒厳令時代から台湾の安全保障に直結してきた中国に対する「ヒューミント(人的諜報活動)」(26頁)の手腕は見逃せない。表面は至って緩く見えても、中国の軍事侵攻を想定した防空演習を欠かさない台湾社会の有事に立ち向かう意識も、政府の政策遂行を助けた。さらに、マスクの実名購入制をアプリ開発で実現した台湾の「天才IT大臣」(48頁)ことオードリー・タン(唐鳳)政務委員や、政権内の要所に起用されていた公衆衛生や医療の専門人材について、本書は随所で興味深いエピソードを紹介している。

新書という限られた紙幅で論点が多岐にわたることは、往々にして散漫な印象を読者に与える。本書は表題の具体的なテーマに沿いつつ、台湾の存立という国際政治の大きな命題にも踏み込む。台湾に軸足を置きつつ、他方で中国研究にも力を注いできた筆者の筆力によって、散漫になることなく自然と議論に引き込まれる仕掛けだ。

中国から広がったコロナ感染を前に、世界の政治は、現在進行形の感染症対策にとどまらず、その終息後に訪れる国際秩序の変動を見据えて動き始めている。戦後の秩序を構築し、東西冷戦の勝者となったはずの米国がコロナ後の世界で相対的な地位低下に見舞われるとみて、習近平政権率いる中国は露骨なまでの勢力拡大に突き進む。

かつて鄧小平が世界に公約した香港の「一国二制度」を国家安全維持法で公然と破り捨て、軍事力を背景に南シナ海をはじめ周辺の実効支配を強める。当然だが、周囲をにらむ中国の視野から、台湾がはずれることはない。本書は半年という限られた時間内で台湾政府が取った感染症対策の論考を通じて、中台の本質的な価値観の違いに踏み込み、コロナ後の台湾を見据えている。

中台の本質的な違い

国内でのコロナ封じ込め「成功」を高らかに掲げる中国だが、その手法は情報統制を含む強権の発動に尽きる。台湾が対策の中で依拠した「情報の透明化」は、実態を告発した医師への迫害を引くまでもなく、中国ではおよそ見る影もない。

本書で引用されている米紙ワシントンポストの論評そのままに、「中国がまったく信用できないパートナー」であると同時に、「台湾が掲げている価値は、中国に対する極めて大きな優位性を台湾に与えている」(204~205頁)という重大な価値認識を読者に思い起こさせる。仮に今後の局面で台湾がコロナ対策に苦しむ事態が起きたとしても、台湾と世界の自由諸国が価値を共有する限り、本書の生命力は根底のところでは失われないはずだ。

著者はWHOが公然と台湾を排除する理由を説明したなかで、中国が台湾統一の理論として掲げる「一つの中国」に触れる。台湾もまた政治上の立て付けとして大陸国家時代の枠組みを残すが、その論拠(いわゆる「法統」)が実質的な力を失った仮想現実に過ぎないことは、党派や省籍にかかわらず台湾社会で幅広く認知されていよう。

WHO問題に仮託して、著者は「世界は中国が設定したこの『一つの中国』という土俵になぜここまで巻き込まれなければならないのだろうか」(173頁)と問いかけているが、この一言こそ本書のテーマにとどまらず、台湾をめぐる本質的な課題である。この重大な命題をさらりと織り込んだ著者の筆を評価するか、あるいはもっと強く踏み込むことを期待するするのかは、読者の判断が分かれるところかもしれない。

なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか

野嶋剛(著)
発行:扶桑社
新書判:269ページ
価格:880円(税別)
発行日:2020年6月10日
ISBN:978-4-594-08538-4

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