【書評】人と人をつなぐ「ことば」の繊細なもどかしさ:李琴峰著『星月夜』

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日中両言語を操る台湾人作家・李琴峰の新作『星月夜』が刊行された。異なるバックグラウンドを持ちながら日本という国で真摯に生きる人々を描き出す作品を、ハイペースで発表し続ける李琴峰。本作は、台湾出身とウイグル出身という二人の女が、多様な「ことば」を通して築き上げる力強い純愛の物語である。

100パーセントの真剣勝負

 月並みなことは言いたくないが、この小説は――と書きかけて、そういえばどうして月並みなことって月並みって言うんだ? と疑問に思いググってみた。インターネットで調べてみると、月並みとは本来「毎月の恒例」くらいの意味で、それを陳腐とかありきたりというマイナスなニュアンスをこめて使い出したのは歌人の正岡子規が最初らしい。へー。日本語を第一言語にして40年、まだまだ初めて識ることがある。というわけで改めて、月並みなことは言いたくないが、この小説は大変に美しい小説だ。ここまで正面から文の美しさを追求した小説は、近年無いんじゃないかと思うくらいに。

 李琴峰作品を読んでいつも凄いと思うのは、美しい文を書くことに照れや迷いが一切無いこと。これは自戒も込めての話だが、物書きもある程度作文に慣れて悪達者になってくると、美しい文章を追求するのがなぜか恥ずかしくなり、斜に構えたり文を崩したりしはじめる。

 肩の力を抜いているふうを演出し、「俺はこんなこと真面目にやっちゃいませんよ」的な、ある種のマッチョイズムでもって小説を書こうとしてしまう。李作品にはそれがない。100パーセント、常に真剣勝負の文章。ゆえに、美文でありながら余計な装飾は徹底的に削ぎ落とされて、一瞬で読み手の間合いに入り、突きつけてくる。物語を。

二人の間を浮遊する「ことば」

 そのどこまでもソリッドな文章で描かれている『星月夜』は、ずばり「ことば」が大きなモチーフになっている。主人公は東京の大学で日本語教師をしている台湾人・柳凝月と、新疆ウイグル自治区出身の留学生・玉麗吐孜。異国で生活する二人の女は、数多の種類のことばに囲まれ、それを研究したり学んだり、教えられたり教えたりして過ごす。日本に生まれて生活している人の大半は、「中国語」にさまざまな種類があることも知らずに生涯過ごすと思う。

 「中国語」ではない言葉を使い大陸で暮らす人たちのことも、その生活にも、思いを馳せる人は少ないだろう。台湾人の凝月とウイグル出身の玉麗吐孜の生来親しんできたことばもそれぞれ違う言語だ。一見同じ漢字を使っているように見える日本語も、異なる意味を持って二人の生活圏を浮遊する。

 ことばというのはやっかいだ。コミュニケーションのためのツールのはずなのに、うまく伝わらなかったり、使い方を間違えてしまったり。凝月と玉麗吐孜は共にことばに深い興味を持ち、それを弛まず学び続けるが、それでも二人のコミュニケーションはスムーズではない。理解していると思っていたことが違っていたり、いざというとき何もことばを掛けられなかったり。

 そのもどかしさは、Youtubeの扇情的なサムネイルや勝手にポップアップしてくるウエブ広告の粗雑なことばとは対極にある、繊細な関係を浮かび上がらせる。月の光や星の瞬きと同じような、たしかにそこに在るのに手が触れられない、ぎゅっと掴んで囲い込んでおけない、そんなままならない関係と感情に胸が切なくなる。

不器用で真摯で寂しい出会いを描く

 この小説にはいくつかの断絶が描かれるが、そのほとんどが同じ第一言語を有する者の間で発生するのも興味深い。ことばは万能でなく、人と人を結び合わせる力はあまりに弱い。けれど我々はことばを頼り、ことばを使うしかない。

 私は舞台がどこであれ(多次元宇宙とか異世界でも)そこに生きる人の生活をしっかり描く小説が好きなのだが、『星月夜』は給料や家賃などのお金の話、えんえんと待たされ煩雑な手続きを強いられる入管の話、ウイグル人である玉麗吐孜が中国で受ける熾烈な差別、ムスリムとしての彼女の日々、そして日本で「外国人」がただ生活しているだけで直面してしまう警察権力の横暴――それも直截的な暴力ではない、ニヤニヤした半笑いとともに繰り出される不気味な圧力なのがまた厭だ――までも活写している。

 この物語を日本語で読んでいる己の立場まで、薄い刃のような研ぎ澄まされた文章で削り出されていくような、ヒリヒリした生々しい感覚が全編を覆う。そう、これは甘やかなロマンに満ちた物語ではなく、簡単に切り離したり取り替えたりできないものを背負った女と女の、じれったいくらいに不器用で真摯で寂しい出会いを描いている。

 同性同士が恋愛し、肉体関係を持つコンテンツは、その出来が良ければ良いほど「同性愛という枠を越えた」なんていう、褒めているつもりの侮辱を喰らってしまう。有史以来、いったいどれほどの同性愛がこういう言説で無神経に透明化されてきただろう。でも今は李琴峰の小説がある。すばらしく出来が良く、そして決して同性愛であることから目を逸らさせない物語を編む書き手がいる。こんな作家と同時代を生きられるのは、ちゃらんぽらんな同性愛者として僥倖である。この小説『星月夜』が誰かに読まれるたびに、たぶん世の中は私にとってちょっと息がしやすくなる。そんな予感がする。

星月夜

李琴峰(著)
発行:集英社
四六判:160ページ
価格:1500円(税別)
発行日:2020年6月13日
ISBN: 978-4-08-771719-8

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