【書評】時宜を得た超入門講座:竹村亞希子著『「経営に生かす」易経』

Books 文化 経済・ビジネス 社会 医療・健康

中国の『易経(えききょう)』は東洋最古の書物といわれる。難解な古典をわかりやすく説いた本書は、人生を前向きに生き抜く指南書となろう。新型コロナウイルスが世界を揺るがす劇変の時代。経営者や政治家はもちろん、幅広い読者に役立つ。

難解な『易経』を口語体で説く

『易経』をテーマにした著者の講演に出向いたことがある。2014年7月11日、京都の建仁寺で開かれた暁天坐禅会の緑陰講座で、演題は「龍が教える帝王学」。京都の夏は暑いが、清々しい早朝の空気の中で聴く「龍の物語」は劇的な展開が目に浮かぶような語り口だった。

本書を読み進むうち、6年前の講演の記憶が鮮やかによみがえってきた。口語体で書かれた本書は、まるで講演を聴いているように、すらすらと読めるからだ。

それもそのはず。本書は平成25年(2013年)7~12月に開催された致知出版社主催『易経講座』での講演録をもとに一冊の本に編集したものである。

本書の奥付に「著者紹介」が載っている。それによると、「易経研究家。東洋文化振興会相談役。22歳より本格的に『易経』の研究を独学で始める。(中略)定期的に開催される連続講義は、毎回満席でキャンセル待ちが出るほどの人気ぶり。大手企業や官庁などでも講義を行い、特に企業経営者からの支持が厚い。これまでに約40年、10万人以上に『易経』の教えを説き続けてきた」とある。

編著書も多い。『「易経」一日一言――人生の大則を知る』、『人生に生かす易経』(ともに致知出版社)、『超訳 易経』(新泉社)などだ。

『易経』を学ぶには、「太極(たいきょく)」、「卦辞(かじ)と爻辞(こうじ)」、「君子占わず」、「易の三義(変易、不易、易簡)」、「時中(じちゅう)と時流」、「吉と凶」、「君子と小人(しょうじん)」などのキーワードや陰陽六本の「爻(こう)」で示された「卦(か)」の記号を理解しなければならない。

本書はベテラン講師でもある著者が、難解とされる『易経』の概要について平易な言葉で縦横に語る“超入門講座”といえるだろう。

「帝王学の書」であり「処世の書」

『易経』は四書五経の筆頭に挙げられる儒教の経典である。発祥は「占いの書」であったが、「帝王学の書」、「処世の書」として知られるようになった。

『易経』には春夏秋冬の循環などに象徴される「時の変化の法則」が書かれている。英語でThe Book of Changes(変化の書)と呼ばれる所以だ。時代や環境が刻々と変化していく中、人生で起こりうる様々な出来事に対処できる智慧(ちえ)がちりばめられている。

「もし易経をよく学んでいれば、その変化の法則、原理原則に照らし合わせて、自分がどの『時』にいるかを知り、その出処進退を自分で判断できるようになります」。著者はこう説く。

著者は「東西の数多くの古典の中にあって易経の一番の特徴といえば、『時』と『兆(きざ)し』の専門書であるという点です」とも指摘する。

「この『時』とは、私たちが日常使っている『時間』とは別の概念です。易経の『時』は私たちの存在、『時』と『処』と『位』がすべて含まれています。言い換えれば、時は『天』であり、処は『地』であり、位は『人』にあたります。位とは地位だけをいうのではなく、存在しているすべてを指しています」

『易経』は、「時」について説き、「兆し」について言及している書物で、いかにすれば禍を避け得るかが書いてある。いわば人生の羅針盤となる実用書でもある。

本書は「易経に学ぶ人生の智慧――中国古典としての易経」、「『陰陽』の原理原則――冬の時代は積極的に備える」など五章で構成されているが、『易経』の全容を網羅しているわけではない。著者によると、「本書は難解といわれる易経をわかりやすく解説することで、易経を読むためのきっかけづくりをするという役割があります」

人生の“時”を示す六十四の「卦」

『易経』における「時」の概念について、著者は「日時だけをいうのではなく、どこで何があったか、その時に誰がいて、どのような立場にあったか、それらすべてが総合されたものです」と改めて解説する。こうした広い意味での「時」のことを『易経』では「卦(か)」と表現する。

『易経』は「時」が六十四種類の「卦」として書かれている。「卦の一つひとつはドラマのテーマと舞台設定のようなものです。その『時』にいろいろな問題が起こり、たくさんの登場人物によって、その問題をめぐって進行していきます」

そして六十四の卦はそれぞれ、その卦の示す時の全体像と対処法を説く「卦辞」と、その時の変化の成り行きを六段階で説明する「爻辞」によって成り立っている。

さらに『易経』には六十四卦の解説文ともいうべき「十翼(じゅうよく)」がある。「易経の本経『六十四卦、卦辞と爻辞』が鳥の本体であって、十翼というのは十の翼です。鳥の翼が本体を飛ばすことができるように、易経を読み解く助けになるための解説文が十あるということです」

『易経』の成立には諸説あるが、約5千年前に記されたともいわれている。本書によると、古代中国の伝説上の三皇のひとり、伏羲(ふっき)が「易経の基本となる陰陽の組み合わせとしての八卦(はっか)と六十四卦を考案したとされています」

紀元前1100年頃、周の文王(ぶんのう)が「六十四卦の卦辞(かじ)、つまり卦(時)の示す意味を説明する文章をつくったと伝えられています」。爻辞をつくったのは「文王の息子である周公旦といわれています」。さらに紀元前479年に亡くなった孔子が「最終的に易経を整理したといわれています」。十翼は孔子がつくったとの説もある。

『易経』は千年、数百年単位という悠久の歳月をかけて、聖人や賢人たちによって紡ぎ継がれてきた深遠な書物である。その核心は人生の「時」を物語る六十四の「卦」であり、それぞれ名前(卦名)が付けられている。

最初の卦「乾為天」が龍の物語

本書では、六十四卦のうち代表的なものを詳しく読み解いていく。『易経』の最初の卦は「乾為天(けんいてん)」で、第二章「乾為天 天の法則――龍の物語に学ぶリーダーの条件」の主題だ。

「易経が帝王学の書として発展したのは、易経の最初に龍の物語があったからです。この物語は、古代の王様の教科書として読まれてきました」

「龍の物語は、地に潜んでいた龍が修養を重ねて成長し、大空を翔(かけ)る立派な飛龍(ひりゅう)となり、やがて力が衰えていくまでのプロセスが、天下を治める王様の物語として描かれています。龍は王様のたとえであり、現代においては企業の代表取締役などの組織のリーダーを象徴しています」

「潜龍(せんりゅう)」→「見龍(けんりゅう)」→「乾惕(けんてき)」→「躍龍(やくりゅう)」→「飛龍」→「亢龍(こうりゅう)」という六段階の変遷をたどるストーリーだ。

龍の物語は「古今東西を問わず歴史の栄枯盛衰(えいこせいすい)に共通した姿を表しています」。つまり、龍の物語には「個人の、または会社や組織の、あるいは国家の栄枯盛衰について、どのような条件が揃(そろ)うと勢いが盛んになって成功していくのか、そして大成功して非常に盛んな勢いの組織が、どのような条件を満たす時に衰退していくのか」が書かれている。

「坤為地」は牝馬が教える地の法則

「乾為天」と並んで六十四卦の中で最も基本的なものは「坤為地(こんいち)」である。乾為天では龍が主役だったが、坤為地では「牝馬(ひんば)」が登場する。

本書では第三章「坤為地 地の法則――大地と牝馬に学ぶ大自然の智慧」で詳しく紹介されている。

メスの牝馬は繊細で従順ながら反抗心が強く、オスの牡馬(ぼば)に比べて扱いにくいといわれる。しかし、牝馬は「一度人を信頼して馴れたら、どこまでも一生懸命に働きます」。坤為地には「牝馬のように従順に従うならば、その時は大いに通っていく」と書かれており、牝馬の物語を通じて、天から注がれる太陽の光と雨を受け容れる母なる大地の働きに学ぶよう説いている。

ところで、『易経』の根底には「陰」と「陽」の概念がある。すべてのものは陰と陽で成り立っているが、この世の中はすべて変化し、陰も陽も固定されることはない。「陰が極まれば陽になり、陽が極まれば陰となります」と循環していく。

「自然を天と地に便宜(べんぎ)的に分けるとすれば、天が陽で地が陰になります」。例えば、陽は「剛、大、日、暑、男、親」であり、陰は「柔、小、月、寒、女、子」と見ることができる。

「陰と陽を別々のものと考えずに、陰と陽は循環しながら助け合い、補い合いながら新しいものに変化し、成長発展していくという原理原則を理解しておくことで、易経が読みやすくなります。陰だからいけない、陽だから素晴らしいという発想にとらわれていては、決して易経を読むことはできません」

話を戻せば、乾為天は帝王学の基となる龍の物語で、「天(陽)の法則」に学ぶ“リーダーのための易経”といえる。これに対し、牝馬の物語である坤為地は「地(陰)の法則」に学ぶ“みんなの易経”ということになる。

著者によると、「私たちは天地の法則に従わなければ生きていけません。それで易経は天地の法則に従い、大自然にならいなさいと教えています」

コロナ禍時代を生き抜く智慧

著者はかねて、日本は2011年3月11日の東日本大震災などを経て本格的な「陰の時代」を迎えていると訴えてきた。昨今の世界を覆うコロナ禍も陰の時代に影を落としている。

本書では、六十四卦の中で著者が一番好きだという卦「天雷无妄(てんらいむぼう)」を第五章で取り上げている。

天雷无妄には天災と人災の話が出てくる。「ここでは天災よりも人災の方が怖いと書かれています。この人災を『眚(わざわ)い』といいます。自然に逆らう時は先ず人災があり、人災が天災を呼び、天災と人災が増幅するといいます」

「自然の火山活動や地震は天災ですが、環境破壊からくる気候変動によってもたらされる豪雨や川の氾濫などは、天災のような人災といえます」とも綴っている。

著者は今年6月18日、北大阪経営塾での易経講座「不測の災害への対処と心構え~変化・変通の理・革新」で講演し、天雷无妄についても言及した。この中で「新型コロナに翻弄されず、起きている変化の意味を洞察すること」が二次災害、三次災害の「眚い」に増幅させないためにも大事だと強調した。

講演では「新旧交代の時であり、コロナはきっかけに過ぎない」と看破し、「いままで着実に力をつけてきた企業は、老舗もブレイクスルーする」と予言した。半面、「変化に対応できない企業は、大企業であれ、中小企業であれ衰退する」と警鐘を鳴らした。

『易経』には、陰の時代を生き抜くための智慧が詰まっている。著者は本書で、坤為地を引いて「陰の時は徹底的に従うことで、大地にならって豊かな土壌づくりをしなさいというのです。人間としての徳を積み重ねること、すなわち陰徳を積み重ねて自分の層を厚くしないさいと教えています」と伝授している。

東洋最古とされる書物は、現代の日本にも深く根付いている。「君子豹変(ひょうへん)す」、「虎の尾を履(ふ)む」、「形而上と形而下」、「観光」、「革命」、「同人」、「化成」……。『易経』由来の言葉は少なくない。株式会社資生堂の社名も、実は『易経』から来ている。

コロナ危機に見舞われた令和の日本は“激動の時代”に突入しつつある。昭和時代の歴代首相や財界人に『易経』の教えが少なからず影響を与えたことはよく知られているが、今ほど政治家をはじめ各界のリーダーたちの責任が問われている時代はない。

 「リーダー学の書」、「人生の指南書」の入門書である本書の出版はまさに、「時宜(じぎ)にかなう」(六十四卦のひとつ「雷地予」)のではないか。

 「経営に生かす」易経

竹村 亞希子(著)
発行:致知出版社
四六判:352ページ
価格:1800円(税抜き)
発行日:2020年7月10日
ISBN:978-4-8009-1236-7

中国 書評 本・書籍 新型コロナウイルス 易経