【書評】日本の葬儀はかくも変わった:上野誠著『万葉学者、墓をしまい母を送る』-日本エッセイスト・クラブ賞受賞

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本サイトで「『令和の時代』の万葉集」を好評連載している奈良大学教授の上野誠氏(60)が、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。この作品は、上野氏の母親の介護から葬儀までを綴った体験記である。しかし、そこは気鋭の万葉学者であるだけに、民俗学や古典の知識を動員した興味深いエッセイに仕立てている。

上野 誠 UENO Makoto

1960年福岡県出身。奈良大学文学部教授。国学院大学大学院文学研究科博士課程満期退学。文学博士。万葉文化論の立場から、歴史学・民俗学・考古学などの研究を応用した『万葉集』の新しい読み方を提案。『魂の古代学―問い続ける折口信夫』『万葉挽歌のこころ―夢と死の古代学』『万葉文化論』など著書多数。万葉集を題材にしたオペラの執筆上演で話題を博すなど、いま注目の気鋭の万葉学者である。

書きたかったのは「小さな歴史」

 9月7日、日本記者クラブで行われた授賞式に先立って、上野氏に執筆の動機を聞いてみた。
「私が書きたかったのは、小さな歴史です。個人が体験し、歩く、見る、聞く、食べる、から構想し得る歴史です」
 と、上野氏は語る。
「私は民俗学こそ、小さな歴史を記述する学問だと考えています。個人の心性を始発点として、死の歴史を語りたかった。おそらくここに書いた40年は、家族墓の成立から崩壊までの歴史であり、それはとりもなおさず、近代家族の終焉の歴史だと考えています」

 このようにコメントを紹介すると、堅苦しい学術書を想像されるかもしれないが、そうではない。死にまつわる重たいテーマを扱っているものの、ときにユーモアを交えた語り口で、肩の凝らない読み物になっている。楽しみながら、自然と教養が身に付くのもお得。

「こげな立派な墓はなかばい」

 本書は、今年3月末に出版されたエッセイである。
 執筆のきっかけは、2016(平成28)年冬に、7年の介護を経て上野氏の母親が亡くなったこと。そこから43年前、1973(昭和48)年夏の祖父の葬儀までさかのぼり、「死と墓」についての個人的な体験を綴っていく。
 そこからなにが見えてくるのか。

 上野氏の実家は、福岡県甘木市(現朝倉市甘木)にあった。もともと小さな呉服商だったが、商才に長けた祖父(明治28年生まれ)は、洋装の時代が来ると見越して洋品店に鞍替えした。大正中期、これが見事に当たり、財を築く。のちに上野デパートと改称し、この地域で初めてエスカレーターを導入した店舗となる。50人ほどの従業員も抱えるほどの大繁盛だったという。

 1930(昭和5)年、祖父は二階建て、霊廟のような豪華な墓を建てた。家族の間では語り草になっている。

「こげな立派な墓はなかばい。家一軒分の金ば、じいちゃんは使うとりなさるばい」
 地域で群を抜いて立派な「上野家累代之墓」である。祖母は、
「昔は、家と家との縁組をしたり、嫁に取ったり、養子を取ったりするときはたい、相手の家の墓を見に行ったもんばい」
 なぜ、祖父は墓にこだわったか。上野氏は、そこに「墓資本主義」とでもいうべき国民の経済力の向上があったという。成功者が競って立派な墓を建てようとする。柳田国男の説も引用したその指摘は、なるほどと思わせる。

 その後、上野家の稼業は傾いていく。維持費もばかにならない巨大な墓はどうなったか。これも興味津々。

「寄り合いの民主主義」

 さて、祖父の死である。甲子園で「当時『怪物』と呼ばれた江川卓投手を擁する作新学院が敗退するのと前後」した、1973(昭和48)年8月16日のことだった。
 当時、著者は中学2年。本書は、この葬儀をめぐるドタバタ劇から始まる。

「仮通夜」「本通夜」「告別式」にいたるまで、田舎ならではの、煩雑な手順と「しきたり」がある。近隣から女衆が集まり、弔問客をもてなすために料理を作る。親類間の取り決めで3品まで出すと決めており、どんな時間帯にやってきた客にも必ず振舞わなければならない。

 葬儀は喪主である祖母の一存で決めるわけにはいかない。親類間での序列があり、規模は他家とのバランスを取らなければならない。最大の課題が、焼香の順番だった。地縁血縁、集まった男衆が、夜を徹して「だらだら」と葬儀の進め方を語り合う。
<祖父の葬儀の算段も、一晩かかって仮通夜の午前四時に決まったと思う>
 一見、揉めているようだが、落としどころは決まっている。それは円満な合意にもちこむための、「寄り合いの民主主義」であった。

「愛惜」と「畏怖」の「湯灌(ゆかん)」

 本書で、もっとも興味深いのは、仮通夜が終わった早朝に行われた「湯灌」と呼ばれる儀式である。これは、死者の遺体を洗い清めるもので、この地のしきたりでは、妻と娘が行う「女たちの仕事」であった。
 13歳の著者は、祖父の亡骸を風呂場まで運ぶ手伝いをする。

「チンチンもよう洗わんかったら、あの世にいけんとよ。よう洗おうねぇ」
 祖父を裸にして、著者の母は言う。

 なぜ、男衆は「湯灌」を手伝わないのか。少年の著者は、まだ男衆ではない。
 女だけで行うのには理由がある。「愛惜」と「畏怖」という相矛盾する感情が、そこには横たわる。著者は、『古事記』のなかから、「イザナキノミコト」「イザナミノミコト」の「国生み神話」を引用して考察する。これは秀逸。

 少年だった著者には、死者の身体を清める「湯灌」は「恐ろしい」体験でしかなかった。本書の後半に「二〇一六年の『ご湯灌』」という章がある。上野氏の母親が亡くなった。葬儀社がタブレット端末で提示した葬儀のオプションに、「ご湯灌」という項目がある。係員は説明する。
「〃ご湯灌〃は、かなり高額となっておりますが、サービスを見ていただきますと、お値打ちと存じます。特別編成のチームでおこなうものですから、こういう価格になっておりますが・・・・・・」

 祖父のあの日の情景がよみがえり、著者は依頼することにした。
 当日やってきたのは5人編成のチーム。<みな、黒いエプロンをし、名札をつけている。>
 葬儀社による現代の「湯灌」とはどのようなものなのか。著者は、仕方なかったと思いつつも、<湯灌のことだけは、心残りである>と記している。

「介護は情報戦」というアドバイス

 著者の母親は、福岡県で兄夫婦が面倒をみていた。しかし、兄が病死し、母親の介護は自らの肩にかかってくる。
 著者は、奈良県に住み、奈良大学で教鞭をとっている。母親を病院に預けていても「三か月ルール」というものがある。その期間を過ぎると、国の方針で保険料率が引き下げられるので、病院は赤字。患者は自宅療養に戻るか、転院するかを迫られる。

 母親の介護をめぐる顛末は、同じ境遇にある読者にとっては、たいへん参考になるだろう。著者は、福岡を離れて30年になる。福祉施設を経営する知人がアドバイスする。「人的ネットワークのないところで、病院や施設を探してもむずかしい」
「介護というものは、じつは情報戦なんですよ。どこに、どういう病院があり、どういう施設があるのか、知らないと話になりません」

 著者は、母親を奈良に呼び寄せることを決意する。市街地図を買い、病院や施設のある場所を書き入れ、自ら行脚する。介護とは、
<地域内の施設と病院のうち、とにかく入れるところに入り、渡り歩くということなのだ>
 施設なら6か月、病院なら3か月だ。<どうせ、入退院のくりかえしだ。短期でつなげばよいのだ>という境地にたどりつく。
 とはいえ、故郷を離れたくない母親と、ひと悶着ある。どうやって連れてきたのか。

「死の外注化」と「葬儀の私事化」

 2016年冬、母親は病院で亡くなった。
 それより40年前、医師は家で死ぬことを奨励した。祖父祖母は自宅で亡くなり、大勢の人が葬儀に集まった。著者の父親は、病院で亡くなったが、家で葬式をした。

 母親はどうであったか。著者は、簡素な家族葬を選択した。手配は、手慣れた葬儀社に任せる。基本料金に、あとはどれだけオプションをつけるか。
<死を前にして、息子に騙されて故郷を離れ、七年間も病院と施設をタライまわしにされた挙句のはて、葬儀場から旅立った。死の外注化が、どんどん進んでいるのである。>

 著者はこう概観する。
<死すべき最期の場所は、家から病院へと変わり、看取りや葬儀にかかわる人は、少しずつ少なくなっていった・・・死にゆく生者と、死を取り囲む空間は、少しずつ小さくなっていったような気がする・・・多くの民俗学者が指摘する葬儀の私事化である。>

 今日、金銭的、心理的負担を考えれば、選択肢は限られる。
 日本の葬儀の在り様は、たった半世紀の間に、かくも変わってしまったのか。

バナー写真:日本エッセイスト・クラブ賞贈呈式でスピーチする上野誠氏

「万葉学者、墓をしまい母を送る」

上野誠(著)
発行:講談社
四六版:185ページ
価格:1400円(税別)
発行日:2020年3月30日
ISBN:978-4-06-519239-9

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