【書評】現代に甦った『ドクトル・ジバゴ』:ラーラ・プレスコット著『あの本は読まれているか』
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そして黙々とタイプを打つ
本作のプロローグは、CIAで働くタイピストたちの描写で始まる。
彼女たちは、「だれもが一族で最初の大卒の娘」であり、将来を夢見てCIAに就職していた。有能で向上心がある。だから、
〈わたしたちの大半が、タイプ課での仕事を一時的なものとみなしていた・・・これは大学を卒業したての男たちが手に入れるものへの第一歩だと。いずれ幹部職員になり、柔らかな光を放つ照明、高級な絨毯、木製のデスク、自分たちの言葉を書き取ってくれるタイピスト付の、専用オフィスを持つのだと。〉
しかし、現実の壁は厳しかった。当時はまだ、女性の社会進出が阻まれていた時代だったのだ。
男たちは10時に出社してくる。彼らはタイピストに指示を出す。
〈わたしたちはじっと耳を傾け、記録する。彼らの覚書、報告書、原稿、昼食の注文を耳にする、たったひとりの聞き手なのだ。〉
そして黙々とタイプを打つ。それが彼女たちのキャリアの最終到達点だった。
なかには、CIAの前身、OSS(戦略諜報局)時代の生き残りで、戦時中は伝説的存在だった女性スパイも、お払い箱となってこの職場に配属されていた。かつての同僚だったアイビーリーグ出身の男性たちは、いまや幹部に出世し、彼女らの上司になっている。
〈彼らはわたしたちを名前ではなく、髪の色や体の特徴で呼ぶことがあった。たとえば、金髪、赤毛、巨乳。〉
ただし、彼女たちは影の存在ではあったが、ときとして重要な役割を担っていた。この物語は、不遇におかれた彼女たちに光を当てたものである。主人公は、女性であり、とりまく人物にも個性溢れる魅力的な女性が多く登場する。
それがこの作品の最大の読みどころである。
「われわれは隠れた才能を発掘する」
本作は、アメリカとソ連での物語が交互に描かれる。
米国側の主人公は、20代前半のイリーナ・ドロツドヴァ。彼女は国境が封鎖される直前のソ連から脱出してきた移民の子である。
父親は、蒸気船に乗る寸前に逮捕され、妊娠3カ月の母親だけが大西洋を渡ることができた。のちに、父親は取り調べ中に亡くなったことが判明する。
イリーナは、アメリカで生まれた。母親は洋裁の仕事で生計を立て、ロシア系移民の顧客をそれなりにかかえていた。住まいはワシントンにある貧相なアパート地下の部屋だったが、彼女は大学に進学することができた。
卒業後、イリーナはCIAのタイピスト募集の求人に応じて、面接試験を受ける。〈タイプの速さは応募者たちのうち下から二番目だった。〉
当然、落ちたと思っていたが、2週間後、CIAの担当者から電話がかかってきた。彼は言う。「我々は隠れた才能を発掘するのが得意でね」
彼女は、ソ連課のタイピストとして採用された。1956年秋のことである。
本稿の冒頭、プロローグで紹介したが、彼女の経歴は職場のなかでは異色である。上層部の狙いはなんだったのか。
パステルナークとの出会い
ソ連側の主人公は、オリガ・イヴァンスカヤ。出版社に勤務する20代の女性編集者で、高名な詩人にして作家ボリス・パステルナークを崇拝している。
オリガが初めてボリスと出会うのは1949年、ある朗読会の会場だった。
〈スポットライトを受けて銀髪が輝き、ひいでたひたいが光っていた。目を大きく開き、子どものように大きな動作で自分の詩を朗読する彼の声は、波さながらに聴衆へと伝わった。〉
彼女にとって、その光景は感動的だった。
それから一週間を経ずしてふたりは再会する。ボリスが彼女の勤務する出版社の編集長を訪ねてきた。そこで紹介される。
〈間近で見るボリスは、舞台に立っていたときよりもいちだんと魅力的だった。五十六歳だったけど、四十歳でも通っただろう。〉
ほどなくしてふたりは恋仲になる。
ただし、不倫関係だった。ボリスには糟糠の妻ジナイダがいる。
オリガには2度の結婚歴があるものの、最初の夫は自殺し、次は病死した。いまは2人の子供を女手ひとりで育てているが、同居している母親からは、
「とにかく、許されることじゃないよ・・・あの人は結婚してるんだからね」
と、おりに触れクギをさされている。
「黒い背広姿の男たち」
ボリス・パステルナークが『ドクトル・ジバゴ』を執筆していることは、ソ連の文壇で噂になっていた。秘密警察は、その内容に神経を尖らせている。
ここで、いまや古典的名作となった『ドクトル・ジバゴ』の物語を要約しておけば、20世紀初頭、ロシア革命の動乱に翻弄された医師ジバゴとラーラの運命的な愛を描いた作品ということになるであろうか。
ある日、オリガは「黒い背広姿の男たち」に逮捕され、「ルビャンカ(ソ連の秘密警察の本部および刑務所)」に連行された。
取調室で、オリガは尋問者に追求される。
「彼が書いている小説について話してくれ。すでにいろいろ耳には入っている・・・『ドクトル・ジバゴ』は何についての本かね」
そしてこう畳みかけてくる。
「パステルナークの運命は、きみがどれだけ真実を語るかにかかっている」
秘密警察は、その作品が反体制的であるとみなしていた。当然、オリガは小説の内容を知っている。しかし、彼女はボリスに類を及ぼしてはいけないと考え、沈黙を守り通す。
今度は、彼女が反ソ思想の責に問われ、裁判で有罪が宣告される。判決は、モスクワから500キロ離れた矯正収容所での5年間の懲役だった。
獄中生活の悲惨な描写は鬼気迫る。オリガはボリスの子供を身籠っていたが、流産した。
ちなみに、『ドクトル・ジバゴ』原著では、ロシア革命の混乱を目の当たりにした医師のジバゴは、こんな言葉を吐き出している。
「・・・ぼくに言わせれば、マルクス主義ぐらい自己閉鎖的で、あれくらい事実から遊離している思想はほかにありませんね。だれしも実践によって自己を検証しようとするものなのに、いまの権力の座にある連中は、自分が謬(あやま)りを犯すはずがないという神話を創ろうとして、真実から目をそむけることに汲々としているじゃありませんか・・・」(平成元年4月25日発行・新潮文庫版・江川卓訳より引用)
全編を通して、ジバゴはロシア革命の在り方に懐疑的であるだけに、禁書となるのもうなずけるのである。
「もう二度と待たせない」
この作品は、スパイ小説としての面白さだけでなく、男女の愛憎劇を描いた物語でもある。ことに、囚われの身をなったオリガとボリスとの関係はどうなっていくのか。ここは、おおいに気になるところだろう。
1953年、スターリンが死去した。その恩赦で、オリガは刑期が短縮され、3年で出所することになった。
彼女がいよいよモスクワに帰ってくる。
ボリスの心境はどうだったか。
〈三年前だったら、オリガが中心でない世界など渇望すらできなかっただろう。〉
ところが、
〈彼の渇望は時間が経つにつれて薄れていたし、人生が複雑でなくなったことに感謝するようになっていた。〉
どうしてか。
〈なにしろ、妻に嘘をつく罪悪感をもはや抱かずにすみ、人々から噂される気まずさや、ジナイダがすべて承知の上で決してその件を口にしないことへの居心地の悪さも感じずにすんだのだから。〉
ボリスは、オリガとの関係に終止符を打つと決めた。
ボリスは、別れを切り出すために帰宅したオリガに会う。
ところがその決意は、あっけなく崩れてしまう。彼女が獄中につながれていた3年間、ふたりは会っていない。いま目の前にいる彼女は、やつれ果て、年齢よりも老けて見える。
〈それでも、ボリスはその場にひざまずく。彼女は以前にも増して美しい。〉
オリガは言う。
「二度といや・・・待たされるのは」
ボリスは答える。
「もう二度と待たせない」
とはいいながら、ボリスは妻と離婚したわけではない。相変わらず不倫関係は解消されぬまま。しかし、ボリスとオリガは二人三脚で『ドクトル・ジバゴ』という大河小説を仕上げていくことになる。
彼女には秘めた美しさがあった
舞台はワシントンに交代する。
CIAにタイピストとして採用されたイリーナは、通常の業務以外に新たな任務を与えられる。退勤後、幹部職員のテディ・ヘルムズから、スパイ活動の訓練を受けることになったのだ。
彼は、「スパイを演じる映画スターにそっくり」な端正な顔立ちの若者で、将来、CIAを担う有望株と目されている。
イリーナは、同僚の目からみても、〈美人コンテストで優勝するタイプではないけれど、なんというか――秘めた美しさがあった〉
「わたしは注目の的になるのがあまり好きじゃないから」
テディは言う。
「その素質ゆえに、きみは雇われたんだ・・・バスに乗っているきれいな娘が秘密を運んでいるとは、だれも思わないからね」
やがて、イリーナとテディは恋愛関係になり、婚約する。結婚にはテディが前向きだった。
もうひとり、イリーナの人生に決定的な影響を与える人物が登場する。
表向きは、CIAに非常勤の受付嬢として採用されたサリー・フォレスター。彼女はハリウッド女優顔負けの女性として描かれる。
イリーナが初めて会ったときには、〈数センチほど身長を底上げしてくれるハイヒールをはいていた。若く見えたけれど、赤いシルクの裏地が付いている明るい青の膝丈のコートに、キツネの毛皮の襟巻をした姿は、二十代の女にしては洗練されすぎている。髪は深い赤で、非の打ちどころなくカールされていた。〉
サリーは、CIAの工作員だった。その美貌を武器にして、世界各地でスパイ活動を行っていた。
ふたりは、まったく対照的な女性として描かれている。貧しい移民の子であるイリーナは、サリーを憧れの眼差しで見ている。やがてふたりは親友となり、イリーナは彼女に対してより親密な感情をもつようになる。
ここでも両者の愛憎劇がからんでくるのだが、このふたりの関係が感動的なラストシーンに結びついていくのである。
「わたしたちはどうなるの?」
ここまで本作のお膳立てとなる部分を紹介したが、もう少し、物語を進めてみよう。
1956年、『ドクトル・ジバゴ』は完成し、文芸雑誌にもちこまれたが、編集部からは「反革命的作品」であるとして掲載を拒否される。ボリスは出版を諦めかけていたが、そこへ現れたのが、イタリアの共産党系の出版社フェルトリネリ社の代理人だった。ボリスは、オリガには無断で出版契約を結ぶ。
「わたしは読んでもらうためにあの本を書いたんだ、オリガ。これは千載一遇のチャンスかもしれない。今回の結果がどういうものであれ、それを引き受ける覚悟はできている」
「でも、わたしたちはどうなるの?・・・また捕まるなんて耐えられない」
これが白眉となるシーンの会話である。
1957年11月、『ドクトル・ジバゴ』のイタリア語版が、イタリアで刊行された。
同書はたちまちベストセラーになるが、ソ連当局は黙殺。禁書になっていた。
ところが、1958年秋、ノーベル文学賞に選ばれたことが発表されると、事態は一気に政治問題化する。
こののち、ボリスとオリガはどのような窮地に追い込まれていくのか、ふたりの関係はどうなっていくのか、それが今後の最大の興味である。
では、それと並行して、米国側の主人公イリーナはどうなっていくのか。
1957年10月、ソ連はアメリカに先んじて、世界初の人工衛星「スプートニク」を打ち上げ、アメリカに衝撃を与える。
CIAのソ連課は、当面の対抗策としてプロパガンダ戦略を強化した。ここに、タイピストたちの貢献があった。
〈達成されるべき目標は、現状のソ連がいかに自由な思想を禁じているか、社会主義がいかに自国のもっともすぐれた芸術家たちさえも妨害し、検閲し、迫害しているかを、強調すること。そして、その方法は、万難を排して文化的な素材をソ連国民の手に渡すことだった。〉
そのために、西側のパンフレットを詰め込んだ観測気球をソ連国境で破裂させて中身をばらまいたり、禁書になっている書籍を適当な宛先に郵送したりした。もっと確実にソ連国民の手に渡し、読ませる方法はないものか。
CIAは、ノーベル文学賞の辞退で世界中の話題となった『ドクトル・ジバゴ』に目をつける。その作戦の中心人物が、イリーナの婚約者のテディ・ヘルムズだった。そして、現場の工作員として活躍するのがイリーナとサリーだ。
ベルギーの首都ブリュッセルで万国博覧会が開催される。会場にはソ連からも観光客が訪れる。ただ配っても、監視の目がありソ連国民は受け取らないだろう。そこでCIAは一計を案じる。
どうやって。それがアメリカ側の物語の、おおきなヤマ場である。
「ラーラが私になった・・・」
その後の展開は、是非、本作を読んで楽しんでほしい。
イリーナはCIAの求人に応募したことから、オリガはパステルナークと出会ったことで、それぞれ、のちの運命が定められた。私には、彼女たちの波瀾にとんだ人生が、そのまま『ドクトル・ジバゴ』の主人公であるジバゴとラーラに重なっているように思える。
印象に残った記述がある。先に紹介した、秘密警察の尋問者による取り調べの場面で、黙秘を通したオリガは心の中でこうつぶやいている。
〈物語の初めはヒロインのラーラが彼の妻ジナイダに似ていた・・・時間の経過とともにラーラが次第にわたしになった・・・〉
最後のページを閉じたとき、必ずや『ドクトル・ジバゴ』を読んでみたくなるだろう。本作の著者は、古典的名作を現代に甦えらせたのだ。
「あの本は読まれているか」
ラーラ・プレスコット(著)、吉澤康子(訳)
発行:東京創元社
四六版:443ページ
価格:1800円(税別)
発行日:2020年4月24日
ISBN:978-4-488-01102-4