【書評】共産党史観で“上書き”の歴史:市川紘司著『天安門広場 中国国民広場の空間史』

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中国共産党の毛沢東主席は1949年10月1日、天安門の楼閣から中華人民共和国の成立を高らかに宣言した。その日、天安門広場は数十万人の民衆で埋まった。本書は、新中国の“象徴”である北京・天安門広場の知られざる激動の前史を暴く。

北京の秋 蒼穹に映える天安門

北京の秋は爽やかで一年で最も過ごしやすい。天気がよければ、まさに蒼穹(そうきゅう)が広がる。10月1日は「国慶節」。天安門広場では毎年、様々なイベントが催される。今年は「祝福祖国」と書かれた高さ18メートルの巨大な花かご型のオブジェが設置された。

世界遺産に登録されている天安門はもともと、明から清の時代の王宮である紫禁城(現故宮博物院)の正門だった。原型は明代の1420年に創建された「承天門」。その後、焼失などを経て清代の1651年に「天安門」として再建された経緯がある。

天安門の中央には毛沢東(1893-1976年)の大きな肖像画が掲げられている。天安門は鮮やかな赤い城壁と黄色い屋根瓦の楼閣が特徴で、その威容は秋の青空によく映える。

天安門の南側に広がるのが天安門広場だ。本書によると、「天安門広場」という固有名詞は1949年以降、用いられるようになった。面積は44ヘクタール。東西500メートル、南北880メートルの矩形(くけい)平面の広場で、その空間は東京ドーム約10個分に相当する。

日本の皇居前広場(約46ヘクタール)などと並ぶ世界最大級の広場である。数十万人から百万人の群衆を収容できるという。広大な広場の表情は時々刻々、目まぐるしく変わる。

評者の個人的経験だが、北京で新型肺炎SARS(重症急性呼吸器症候群)が蔓延していた2003年5月1日のメーデー、いつもは大賑わいの天安門広場はマスク姿の人影もまばらだった。敷き詰められた石畳に陽光が反射し、広場の真ん中に立つと、あまりの広さにめまいを覚えた。それから5か月後の10月1日。SARSは既に終息していたため、国慶節には身動きできないほどの人波が押し寄せ、広場から抜け出すのも大変だった。

波乱に満ちた歴史の定点観測点

天安門広場は封建王朝の明・清両時代、王朝儀礼を執り行う宮廷広場であり、一般の人びとは立ち入りできない「禁地」だった。1911年の辛亥革命で清朝が倒れ、翌年に中華民国が誕生した。その結果、天安門広場は1913年に開放された。誰でも自由に入れる空隙(オープンスペース)となった歴史がある。

天安門広場はその後、1919年の五四運動をはじめ、1949年の新中国建国セレモニー、文化大革命(1996-76年)、1976年と1989年のふたつの天安門事件など数々の歴史的出来事の舞台となった。

本書は天安門広場を「定点観測点」とすることで、北京、ひいては中国の波乱に満ちた近現代史を視覚的に描いていく。

著者は1985年、東京都生まれ。東北大学大学院工学研究科助教、博士(工学)で、専門はアジアの建築都市史。2010年代前半に中国の清華大学建築学院に留学、「都合三年半ほど、北京に住んだ」中国通だ。

留学中は「見知らぬ土地の建築を手当たり次第見学し、日本とはまったく異なるコンテクストのなかで書かれた書物を読むことに全時間を投入できる、つくづく贅沢な時間であった」。膨大な中国語文献を渉猟した蓄積が本書に結実した。重厚な装幀で、白地に朱色で題名が書かれているカバーを外すと、本体のハードカバーの表紙・背・裏表紙は鮮やかな朱色を基調に銀色の細かい模様と文字が箔(はく)押しされている。

本書の筆致は臨場感にあふれている。辛亥革命以降の貴重な写真や地図など図版も多数収録されている。読者はまるでパノラマでも観ているように、天安門や広場をめぐる歴史を立体的に捉えることができるのではないか。

例えば、1919年5月4日の約2千人の学生デモが端緒となった五四運動。著者は当時の新聞記事などを詳細に分析、天安門広場を起点とする学生デモのジグザグした移動経路を矢印で印した地図も載せている。一世紀前の歴史的事件の顛末が手に取るようにわかる。

北京の首都名、肖像画も変遷

中国の首都・北京の呼称は何度も変わった。清の時代の順天府から、辛亥革命後は京兆→京都→北平→北京→北平→北京と改名を繰り返した。

天安門に常設されている肖像画は現在、毛沢東だ。しかし、歴史をさかのぼると、1928年に中国国民党の創始者で「国父」と呼ばれた孫文(1866-1925年)の肖像画(遺影)が掲げられた。国民革命軍が北伐で軍閥政権を倒した直後のことだ。「これが新中国時代にも引き継がれる天安門への政治指導者の肖像画設置の最初である」という。

孫文の後、国民党を率いた蔣介石(1887-1975年)の肖像画も天安門に登場した。「それは日本の敗戦によって日中戦争が終結した直後、国共内戦期のことであった」。1945年10月31日で、蔣介石の58歳の誕生日だった。

天安門の肖像画は、孫文→蔣介石→毛沢東といわば“上書き”を繰り返してきた。これと並行して北京の政治状況も大きく変転していくのである。

日本占領期の「北京都市計画」

天安門広場は世界的に有名であり、北京の観光名所でもある。だが、1949年以前の歴史はあまり知られていない。その「前日譚=プリクエル」について詳述しているのが本書の最大の特色だ。

中華民国の建国記念日は1912年10月10日。「天安門広場の大清門が中華門に改称されるなど、北京全体で各種祝賀行為がおこなわれた」。翌年の建国記念日には、紫禁城太和殿で袁世凱(1859-1916年)の大総統就任式典が催された後、天安門広場に舞台を移して観兵式が挙行された。

「毛沢東から習近平まで、新中国時代には最高権力者が天安門城楼に登って観兵やスピーチをするのが定番化するが、そうした行為の最初がこのときである」

時代は下って1937年7月7日、北京郊外の盧溝橋で日中両軍が軍事衝突する「盧溝橋事件」が起きる。「これを契機として、日本軍は北京城に侵攻し、占領した」。同年12月には日本の傀儡(かいらい)政権、中華民国臨時政府が成立した。北平から「北京」へと再度改称されたのもこの時代だ。

「日本占領下の北京で天安門広場を使った集会は、筆者の調べたかぎり、臨時政府成立を祝う一九三七年一二月の一度きりである」

日本占領期、北京の都市計画を立案したのは「ともに東京帝国大学土木学科を卒業後、満州国ハルピンの都市計画に携わった佐藤俊久と山崎桂一である」。占領都市計画で「天安門広場は美観地区に指定されていたと見なしてよいだろう」と著者は結論づける。

北京占領期間は1937年夏から1945年の終戦までの8年間。一時的にせよ、日本が事実上、天安門広場の命運を握っていたのである。

本書には、洋画家の巨匠、梅原龍三郎(1888-1986年)の有名な油絵「北京秋天」(1942年)のエピソードも出てくる。日本の傀儡政権が支配する北京を訪れ、描いた作品だ。

「『北京秋天』は東長安街から市街中心部を捉えた絵だが、天安門などの建造物に見られる朱色の壁と黄色の屋根瓦と、屋外空間を埋め尽くす植栽の緑とが強いコントラストをなす当時の北京の都市環境を描き出している」。当時の天安門広場は緑化されていたという。因みに「秋天」は中国語では季節の「秋」を意味する。

共産党は1949年起点の歴史観

北京の中心部に位置する天安門には、孫文をはじめ、袁世凱、蔣介石、毛沢東ら20世紀の中国を代表する政治指導者が入れ替わり立ち替わり登場した。天安門広場には、抗日運動や民主化を求める多くの学生、市民らが集まっては散じた。1989年の天安門武力制圧事件では血も流れた。その意味で天安門広場には何層もの中国の歴史が積み重なっている。

しかし、中国共産党は天安門広場に対する認識や歴史観を「建国年である一九四九年という時間で切断すること、あるいは起点とすることを促している」と著者は看破する。

「この歴史観においては、中国近代の革命運動は一九四九年を以て成功に終わり、以後は革命政権が新たな歴史(=「現代」)を始めている。それは毛沢東が建国セレモニーの天安門上で読み上げた中華人民共和国中央人民政府公告で示された歴史観でもあった」

中国共産党が提示する歴史的枠組みは「1949年とそれ以降」であり、「1949年以前」は認識の外側に置かれる。一方で、新中国のシンボルとしての天安門と天安門広場の聖地化を周到に着々と進めてきた。

1950年に制定された中華人民共和国の「国章」の主要モチーフには天安門が採用された。天安門広場の中心部には1958年、高さ37.95メートルの「人民英雄紀念碑」が高さ33.7メートルの天安門と対峙するように建てられた。

人民英雄紀念碑は「高さを天安門を超えるように慎重に設定されたことで、この紀念碑とそれが立地する天安門広場こそが、かつて中華世界の頂点を占めた皇帝と宮殿(紫禁城)に替わる新たな中心=国民広場となったことを象徴的に示した」と著者は分析する。

天安門と天安門広場は中国の近現代史の目撃者であり、証人であり、その舞台ともなった。にもかかわらず、共産党政権は“革命史観”で上書きしようとしている。1989年の天安門事件は「『動乱』と断定され、広場の『正史』から消されている」のだ。

本書は「1949年以前」の天安門・天安門広場物語を実証的、客観的、かつ精緻に紡いでいる。天安門広場は1949年に“誕生”したとする中国共産党の「正史」へのある種のアンチテーゼでもあろう。

天安門広場 中国国民広場の空間史

市川 絋司(著)
発行:筑摩書房
A5判:480ページ
価格:4400円(税抜き)
発行日:2020年8月29日
ISBN:978-4-480-85817-7

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