【書評】楽しくも驚くべき徒歩旅行:「歩く江戸の旅人たち―スポーツ史から見た『お伊勢参り』」

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今から優に150年以上前の江戸時代中~後期、社会が安定し経済力を手にした庶民は「お伊勢参り」などを口実に盛んに旅に出た。弥次喜多の「東海道中膝栗毛」もそれが題材だ。では、実際に人々はどんなふうに旅を楽しんだのか。各地に残された道中記や日誌などの古文書からは、現代と変わらぬ実にあっけらかんとしたレジャー志向が見える。長い巣ごもり生活を慰めてくれる一冊である。

1日平均34キロの歩き旅

 著者はスポーツ史専攻の研究者だが、近世の旅も研究領域とし、歩行、歩き方、履物、さらに旅装、路銀(ろぎん=旅費のこと)などいろいろな観点で論文を書いている。本書はそのエッセンスとして一般読者向けにまとめた読み物だ。

 まず、列島縦断の旅の全体像をつかむデータとして、史料が比較的多く残っている東北地方の庶民の旅日記など39編を選んだ。コースはお伊勢参りに富士登山をセットしたもの、京都・奈良・熊野などの関西周遊付き、金毘羅山など四国まで脚を延ばすものまでさまざまある。

 これらの旅程で歩行距離が最も長かったのは現在の岩手県北上市の男性が1857年、4カ月近くかけて四国までを往復した3174キロ。すべての平均歩行距離は2361キロで、日数(逗留日などを除く)で割ると1日34.1キロとなる。一般的に言われている「1日10里(約39キロ)」の水準よりやや短いが、これがほぼ連日続くわけで、その健脚ぶりは驚きだ。1日の歩行距離は旅程や天気に左右されるが、現在の宮城県丸森町の男性が最高75キロを歩いている。一方、女性の記録も5件あり、1日平均28.5キロであった。

 当時盛んだった伊勢講のような組織によるグループ旅行も少なくない。調査対象の旅日記の半数以上には同行者の記載があり、最高は35人の団体旅行だった。道中、一定間隔を取りつつ、時折、声を交わしながら歩く様子が目に浮かぶ。グループの中には「足よわキ人ニ用しゃ有べし」などのルールを決めていたものもあり、荷物量などで加減(容赦)していたとみられる。

 日々の天気を克明に記録した人もいる。雨の日にはたいがい前夜泊まった宿での逗留となるが、「終日雨」を押して31キロ歩いた記録もあった。舗装道路も長靴もない時代のことだ。

今とは違う「ナンバ」歩き

 そんな長い距離を当時の日本人はどんなふうに歩いていたのか、当然気になる。左右の手と足が交互に出る現在の歩き方は明治以降に軍隊の教練を通じて日本人に移植されたもので、それ以前の日本人は農作業由来の動作とされる左右の足の動きに応じて同じ側の上半身が肩から出る、いわゆる「ナンバ」歩きだったというのが通説とされる。

 ただ、江戸時代の人たちが自らの歩き方を考察した史料はほとんどなく、手掛かりは幕末ごろに訪日、滞日した外国人の目である。外国人には当時の日本人の歩き方や履物がとても興味深く映ったようだ。

 著者はこれについて29人の滞在記などで調べた。例えば、ラフカディオ・ハーンが「日本人は、誰もみな、足の爪先で歩く……」(「日本の風土」)と書いたように、総じて爪先歩行、前傾姿勢、小股・内股(特に女性)などの特徴を見出している。それは当時の履物が下駄や草履(ぞうり)といった爪先に引っ掛けるだけで、かかとは足と離れているものであり、さらに活発な動きには不向きな着物という服装によるところが大きい、と著者の指摘する通りだろう。

長距離歩行の強い味方

 ただし、旅などで長距離を歩くときには普段の履物とは違う草鞋(わらじ)があった。長く延ばした藁ひもで足首にきつく縛り付ける構造は、かかとが固定されるため長時間、長距離歩行に向いている。草履は今も登山の沢登りなどで地下足袋と併用して使われる優れもの。

 本書では1860年に来日した英宣教師、G・スミスが草鞋について「…速くしかも楽に歩くことができる…」と、その機能を認識していたと紹介している。名所図会などを参考にすれば、菅笠をかぶり、着物の裾を端折り、股引き、脚絆(きゃはん)、足袋、草履、背中に荷物、手には杖を携えて、という江戸人の旅の標準スタイルが分かる。

 旅のいで立ちにとどまらず、同様の史料などから旅人の草鞋着用率を約9割とはじき、宿場や茶屋などで草鞋を平均15文(時期にもよるが、約200円くらいか)で求め、平均40~50キロ歩くと履き替えたことも分かる。さらに旅が盛んになった背景として、参勤交代のために五街道などの交通網が整備され、そこには一里塚や道標、公衆用の厠小屋まであり、横に広がらず道の左側を歩く交通ルール、神社の御師(おし)というツアーガイドが全国を勧誘して回ったことなどもあるという。

 どうだろう。江戸の人々がこれほど長距離の徒歩旅行をし、名所旧跡で物見遊山を満喫し、地元の人と交流し、とその表情までが想像できる。

旅への衝動、今も昔も

 江戸期にお伊勢参りが盛んになったのには、社会経済的な発展はもちろんだが、50~60年おきにうねりのように巻き起こった「お蔭参り」も大いに影響しているはずだ。慶安3年(1650年)に復活したお伊勢さんの遷宮が契機だったとの説もあり、老若男女、貴賤貧富を問わず群衆は何かに駆り立てられるように伊勢へ伊勢へと向かった。

 当時の人口で6人に1人という時もあり、「一生に一度はお伊勢参り」という願いが共有された。確かに世の中は安定したが、種々の管理体制への不満や閉塞感が芽生えてきたのだろうか。

 一体、人はなぜ知らない土地や知らないものを見たくてうずうずするのか。昔も今も浮世の「憂さ」から、つかの間逃れたいのは同じだろう。現下の「Go Toトラベル」熱もお蔭参りの一種だと思えてくる。

歩く江戸の旅人たち―スポーツ史から見た「お伊勢参り」

谷釜尋徳(著)
発行:晃洋書房
四六版:208ページ
価格:1900円(税別)
発行日:2020年3月30日
ISBN:978-4-771-03294-1

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