【書評】北朝鮮危機に直面した前自衛隊トップの自叙伝的防衛論:河野克俊著『統合幕僚長』

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自衛隊トップの統合幕僚長を歴代最長の4年半務めた著者は、北朝鮮によって繰り返された核実験やミサイル発射の危機に直面して、どう決断したか。46年間の自衛隊人生を語りながら、混迷を深める世界情勢の中での我が国が考えるべき防衛論が展開されていく。

七転び八起きの自衛官人生

元海軍士官、戦後は海上自衛隊幹部だった父の影響もあり、防衛大学校を目指した。高校時代に担任の先生には「防大受験なんて、気は確かか」と言われた。学生運動が華やかだったころで、権力側とされた自衛隊は目の敵にされていた。

補欠合格で防衛大生となった1973年には、北海道の自衛隊基地をめぐる「長沼ナイキ訴訟」の一審判決で、自衛隊違憲の判断が下される。自衛隊には不遇の時代が続いた。

海上自衛隊幹部候補生学校を首席で卒業し、北米コースの遠洋練習航海の後、水上艦艇乗りとなった。乗員120人ほどの護衛艦艦長などを経て、1996年に米海軍学校に留学。クラスには37か国の大佐クラスが集まっていた。

「21世紀の日米同盟」について書いた卒業論文が、最優秀論文賞に選ばれた。日本の安全保障上の役割を拡大して、日米が「リスクを共有」する真の同盟関係にという、18年後に成立する「平和安全法制」を先取りした内容だった。

帰国後は、防衛庁と現場(海上)勤務を繰り返し、順調に昇進を重ねたが、海上幕僚監部防衛部長だった2008年、弾道ミサイルに対応できるイージス艦「あたご」と漁船が房総半島沖で衝突。沈没した漁船の船長ら2人が行方不明となり、海上自衛隊は非難を浴びた。大量の懲戒処分が行われ、著者の河野氏は更迭された。処分を受けた者は2年間昇任がないと聞かされていたので、今度の配置が最後になるだろうと思っていた。

だが、人生には色々なことが起きる。半年後、航空自衛隊トップの田母神俊雄航空幕僚長が、政府見解と異なる内容の懸賞論文を書いたことで解任された。その玉突き人事で昇任し、護衛艦隊司令官となった。「運としか言いようがない」と河野氏は吐露している。

2012年、海上自衛隊トップの海上幕僚長となった。この年の12月、第2次安倍政権が発足した。「安倍首相が最も信頼する自衛官」と言われた河野氏は、14年に第5代統合幕僚長に就任。3度の定年延長を重ね、安倍政権の安全保障政策を支えた。

国民から「顔の見える」自衛隊に

河野氏は、自衛隊が長い間、国民の理解を得られなかったのは、「自衛官の顔」が見えていなかったからだ、と指摘する。塀に囲まれた基地の中にどんな人がいるか、国民は知らないから、自衛隊=軍、すなわち戦前の暴走した旧軍のイメージを自衛官に重ね合わせてしまう。

湾岸戦争(1991年)終了後のペルシャ湾への掃海艇派遣や、翌年のPKO(国連平和維持活動)部隊のカンボジア派遣などで、自衛隊を海外派遣すれば「あいつら、何をやらかすか、わからんぞ」と警戒され、当初は反対意見が強かった。河野氏は機会あるごとに、「自衛官は普通の人間なんです」と言い続けてきたという。何回か海外派遣が続くうちに、日本の隊員たちが現地で活動する姿が紹介され、海外派遣で日本が軍国主義にならないことが理解されるようになり、国民の自衛隊を見る目は変わり始めた。

災害に際しての救援活動でも、自衛隊は国民の信頼を得ていく。東日本大震災では自衛隊史上、最大規模の10万人を派遣した。河野氏の統合幕僚長時代にも自然災害が続発し、熊本地震(2016年)には2万6千人を動員。19年1月の日経新聞の世論調査で、信頼できる組織・団体に自衛隊が60%でトップとなる。

大きく変わったシビリアン・コントロール

安倍首相はシビリアン・コントロール(文民統制)の在り方を大きく変えた。つい最近までは、戦前・戦時中の反省を踏まえて、自衛隊を出来るだけ政治から遠ざけるのがよいとされてきた。しかし、安倍首相は13年に創設した国家安全保障会議のメンバーに統合幕僚長を入れた。また、河野統合幕僚長は毎週、安倍首相と菅官房長官(現首相)に自衛隊の状況や行動について報告するようになった。

「今は政治と自衛隊が近づいたと言われるようになったが、それが本当のシビリアン・コントロールの在り方。米大統領も英首相も就任した際には軍の最高司令官になったとの自覚を先ず持たれるという。そこからシビリアン・コントロールは始まる」と河野氏は書いている。

平和安全法制が15年に成立した。日米同盟で次の2点が重要だ。第1は、限定的な集団的自衛権の行使。日米同盟で、日本が直接攻撃を受けていなくとも、米国が攻撃を受け、それが日本の生存に重大な影響を与える場合は、米国を助けることが出来るということだ。

第2は、自衛隊と連携して日本の防衛に資する活動をしている米艦艇、米航空機に対して防護ができるようになったこと。平時の任務で、日米相互に護衛できるようになり、米側から「日本は変わった」と感謝されている。

河野氏は、改憲論者である立場を明らかにして、憲法の前文と9条は国家の基本であり、国の生き方を示すものだから改正すべきだと主張する。「自衛隊の存在を憲法に書き込めば、戦争に近づく」という意見は論理の飛躍で、中間の議論が抜け落ちていると指摘。自衛隊を憲法に明記しないで、解釈だけ拡大させていく方が危険だと訴える。

北朝鮮を方針転換させた軍事的圧力

統合幕僚長の在任4年半で、最も緊張したのは北朝鮮への対応だった。特に16年から翌年にかけ、北朝鮮は核実験を繰り返して核爆発力を増大させ、ミサイル発射をエスカレートさせていった。

17年の米トランプ政権の誕生で、大統領は軍事を選択する可能性を示して、情勢はさらに緊迫化。8月に米国のB52戦略爆撃機2機と航空自衛隊のF15戦闘機2機が日本海上空で共同訓練するなどして、日米韓3か国で軍事プレッシャーをかけ続けた。しかし、北朝鮮はなおも北海道上空を超える弾道ミサイル発射を繰り返した。

日本にとっての脅威度が確実に増す中で、防衛態勢は万全なのかという疑問が自衛隊に突き付けられた。「政界から、なぜもっとイージス艦を建造しなかったのかと、お叱りを受ける始末であった。そこで、イージスアショア(地上配備型迎撃システム)を導入することになった」と河野氏は記す。

河野統合幕僚長は米軍人のトップであるダンフォード統合参謀本部議長とひんぱんに電話で連絡を取り合った。「常識的には、米軍はさまざまな軍事作戦を検討していたと思う」。河野統合幕僚長は、米国が軍事攻撃に踏み切った場合、自衛隊として取れる選択を考えていた。最悪のことが起きた時、「何も考えていませんでした」では、自衛隊トップの責任は果たせない。

18年に入って急転直下、金正恩委員長が対話路線を打ち出してきた。河野統合幕僚長は、「北朝鮮への経済制裁も効いたと思うが、主として軍事プレッシャーの結果としての方針転換だ」と考えている。

河野氏は固い信念でこう綴る。「日本は絶対に他国を侵略する国であってはならないし、他国とのトラブルは外交で解決すべきであると思う。しかし、侵略を受けた場合はそれをはね返せる国でなければならない」

「無法国家から武力攻撃を受けた場合、日本も主権国家として自衛権が行使できる。だが、日本は『専守防衛』という枠を戦端が開かれた後もダブルにかけるから、自衛隊は手足を縛られることになる。敵国ではなく、我が愛する祖国から手足を縛られるのであるから、何ともやるせない限りである」

日本人の多くは北朝鮮のミサイルにおびえた日々を忘れているが、日本の防衛の責任者として重い嘆きである。

本書の副題は「我がリーダーの心得」。リーダーとして最も大事なのは「結果に対して責任を取る」ことだ。いくら優秀な幕僚組織を備えていても、彼らに「覚悟」を求めることはできない。指揮官の根本は覚悟だ、と記す。

日本の防衛問題を語る前に、ぜひ読んでおきたい一冊である。

『統合幕僚長』

河野克俊著
発行:ワック
四六判 278ページ
価格:1500円+税
発行日:2020年9月16日
ISBN:978-4-89831-494-4

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