【書評】影を光が照らす一瞬:清武英利著『サラリーマン球団社長』

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強い個性を持つオーナーと、多くの野球出身者によって構成されているプロ野球界。その特殊な世界に、サラリーマンとして乗り込んだ2人の長い闘いを描いた一冊。星野監督時代の阪神の優勝や、社会現象にまでなった広島の優勝の裏にあった信念とは。

大手企業に入社し、安定したサラリーマン人生を歩んでいくつもりが、プロ野球チームで働くことになったら?しかもトップに立つとしたら?

阪神電鉄に入社し、31年間務めた航空営業から一転、突然阪神タイガースに出向を命じられた野崎勝義。
広島に本社を置く自動車メーカー東洋工業(現マツダ)の経理部員から、周囲の反対を押し切って9年目に広島カープに転職した鈴木清明。

本書の主人公は、この2人だ。

野崎の前に立ちはだかるのは、「西のクマ」と呼ばれ、強烈なリーダーシップを持つオーナー久万俊二郎や、改革路線に露骨に反旗を翻す古参のスカウト、そして熱烈なタイガースファンたちだ。

大規模に人事を変えた夜には「ただで済むと思わんこっちゃで」と留守電が入っていた。
普通のサラリーマンには、ありえない経験だ。

一方の鈴木は、市民球団ゆえの苦しい経営に悩まされ続ける。

新規事業としてフィットネスクラブの店長となり賄いまで作ったり、若手選手を連れてアメリカの独立リーグで戦ったり。さらにはドミニカ共和国に「カープ・アカデミー」を作るため、炎天下で石を運び、芝生を植えてグラウンド作りまで経験している。

煌々と輝くライトに照らされ、大歓声を浴びて球場でプレーする選手たちを「光」とすれば、野崎や鈴木の日々は「影」だ。

サラリーマンとしての普通からはとても理解できないプロ野球界の常識に声を上げ、チームを強くするためにとどれほど“まっとうな”提案をしても、周囲は野球の素人には冷たい。それでも2人は視線を落とさず、未来を向いて信じた道をひたすらに行くのだ。

「こんなはずじゃなかった」と思ったことは、ないのだろうか。
なぜそこまで、ひたむきになれるのか。

自身もサラリーマン球団社長だった

著者は、新聞記者出身のノンフィクション作家。

代表作『しんがり』では、1997年に山一証券が自主廃業した後も再就職に走ることなく山一に残って清算業務を続けた12人を描いて講談社ノンフィクション賞を受賞。

続く『石つぶて』では、2001年に起きた外務省機密費流用事件を舞台に、ひとつずつ真実を明らかにしていく捜査二課の刑事たちを取り上げ、大宅壮一ノンフィクション賞読者賞を受賞した。

大きな流れに巻き込まれることなく、泥くさく不器用に生きる男たちを書かせたら著者の右に出るものはなかなかいない。
サラリーマン球団社長という題材は、まさにうってつけだ。

加えて本書ではさらにもうひとつ、著者ならではの視点が生きる。
それは、自身もサラリーマン球団社長だったということだ。

読売新聞の社会部記者から、編集委員を経て2004年に読売巨人軍球団の代表に就任。
育成制度を作るなど球団改革に取り組んだが、渡邉恒雄オーナーとの対立もあり、のちに解任される。

あとがきに書かれた「プロ野球の球団という特殊な会社」という言葉に、著者の複雑な気持ちを感じる。

親交のある2人を改めて主人公に据え、“サラリーマン球団社長”という稀有な立場に邁進した人生を描くことは、著者にとって大きな意味を持っているのではないか。

著者が自分の目で見た、野崎や鈴木のリアルな在り様――たとえば「猫背気味にひょこひょこ歩き、8つ年下の著者に『大変でっしゃろ』と笑顔で話しかけてくれた野崎の姿や、カープが連覇すると恥ずかしくてパレードに参加するのをやめたという鈴木のエピソード――が、ストーリーにいっそうの厚みを加えている。

黒田博樹からの賛辞

本書は、決してハッピーエンドでは終わらない。
むしろサラリーマンがプロ野球球団のリーダーを務めることがいかに難しく、苦しいことなのかがよくわかる、と言ったほうが正しいかもしれない。

それでも分厚い雲間から射し込む一筋の光のように、その苦労が報われる一瞬がある。

2003年、星野仙一率いる阪神タイガースは18年ぶりにセ・リーグを制覇。
「ええかげんな妥協をせず、あきらめたらあかん、と言い続けてよかった」
野崎の言葉だ。

そして野崎に遅れること13年、メジャーリーグから黒田博樹が、FAで移籍したジャイアンツから新井貴浩が復帰した広島カープは、緒方孝市監督の下、実に24年ぶりにセ・リーグで優勝した。

前年に優勝を逸し、遠征先で「鈴木!お前は何やってんだ!」と罵声を浴びた元東洋工業経理部員は、「負けてたまるかの精神じゃ」を口癖に、球団のトップに立って悲願を果たしたのだ。

メジャーリーグで7年間活躍した黒田が広島に復帰したのは、鈴木がいたからと言っても過言ではない。

黒田が去就を相談したとき、鈴木は「俺ならもちろんメジャーだよ」と声をかけたという。
「選手の気持ちを大切にし、常に本気で向き合ってもらい、僕は(鈴木の)この一言でカープ復帰を決断しました」という黒田の言葉は、鈴木に対する究極の賛辞だ。

野崎は球団を去ってなお、タイガースをどうすれば強くできるか考え続けている。
鈴木は今もカープに残り、今季は2シーズンぶりの優勝を狙っている。

スポットライトの陰にいる、サラリーマン球団社長。
本書なくしては知りえなかった彼らの存在に、エールを送りたくなる。
(敬称略)

サラリーマン球団社長

清武英利(著)
発行:文藝春秋
四六判328ページ
価格:1600円(税別)
発行日:2020年6月26日
ISBN:978-4-16-391251-6

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