【書評】台湾の頭脳:アイリス・チュウ、鄭仲嵐共著『Auオードリー・タン 天才IT相7つの顔』

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新型コロナウイルスが世界を襲い、各国でマスク不足となる中、ITを活用していち早くこの問題を解決した台湾のデジタル担当相、オードリー・タン。男性から女性に性を変え、台湾で最年少の35歳で大臣となった天才の半生が興味深い。

幼稚園と小学校で9か所の転校

タンは2019年に、米国の有名雑誌「フォーリンポリシー」で「世界の頭脳100人」に選ばれた。中国語と台湾語、英独仏の5つの言語を話し、台湾のパソコンの世界では「神のような存在」と評される。だが、タンは実に多難な日々を送ってきた。少し長くなるが、その半生をたどってみたい。

幼稚園と小学校で計9か所も転校を重ねた。両親は現地の大手新聞の記者で忙しく、祖父母や叔母夫妻らがいる大家族で育った。タンは生まれつき心臓が悪かったため、あまり外で遊ぶことができず、多くの時間を家で過ごし、本が好きになった。漢字もアルファベットも読め、計算ができるようになった。小学校に入る時には連立方程式を解いていたので、先生の方が天才児の教え方に困り果てた。

母親はタンと幼い弟の面倒を見るため、会社を辞めた。タンは知能検査で最高レベルと分かったので優等生クラスに転校したが、同級生や教師と合わず、不登校となり、また転校。この頃、8歳のタンはコンピューターのプログラミングを独学で始める。まだ家にパソコンがなかったので、タンは紙にキーボードなどを描いて学習した。

一方で、父親と連日のようにけんかをするようになり、父はドイツへの留学を決めて旅立つ。その後、小学5年のタンら一家は父のいるドイツで1年過ごす。ドイツか米国の名門校進学の道があったが、タンは両親に「台湾に帰りたい」と伝えた。

台北の中学では、校長がタンの奇才ぶりから判断して、毎日、登校しなくていいと特別許可を与えた。中学校に行かない日は、両親の母校でもある国立政治大学の講義に出席していた。

ハッカー精神を学ぶ

この頃から、プログラミングに時間を割くようになる。そして、台湾のインターネット界の早熟な仲間たちと交流が始まり、「ハッカー精神」を教わる。ハッカーには2種類あり、ブラックハッカーは日本人が思い浮かべる犯罪者たち。もう一つのホワイトハッカーは、最先端のIT技術で人類の解き難い問題に立ち向かう人たちで、タンはその理念に共鳴していた。

名門高校に推薦入学することも可能だったが、タンは意外な選択をする。「自分にとって学歴はどうでもよい。高校には進学せず、自分の生きたい道を進む」と。「科学者は世界に何十万人もいるが、ITの道に進めば自分はパイオニアになれる」と考えたからだ。

タンは10代半ばで実業界に入り、ソフトウェア関連の会社を経営。また、米シリコンバレーで起業したり、帰国後も19歳で新会社の社長を務めたりした。23歳から2年間の世界周遊に出たが、その途中、それまでの人生で最大の決断をする。男性から女性へのトランスジェンダーを選び、それを公にした。

「ネット上でXジェンダー(男女いずれか一方に限定しない人)と知り合い、世界には私と同じような状態の人たちがいると知った」とタンは述べている。性別適合手術は受けなかったが、胸毛は除去し、中国語名を唐宗漢から唐鳳(タン・フオン)に、英語名もAudreyに変えた。両親は「それで人生がより幸せになるなら」と応援してくれた。本書のタイトル「Au」は、タンがネット上で使うハンドルネームで、愛称でもある。

若者たちに「政治は変えられる」と確信させたタン

帰国後、米アップル社などの顧問をしていたが、33歳でビジネスから引退を宣言。この頃、台湾の与党・国民党(当時)が中国との貿易協定を強行採決しようとしたことに反発した学生たちが立法院(国会)に突入し、議場を24日間占拠した「ひまわり学生運動」が起きる。

現場からネットなどで世界に発信されたため、通信が増えてネットワークの帯域が足りなくなってきた。現場中継が続けられるように動いたのが、タンと、仲間のシビックハッカー(市民の政治参加に関心を持つプログラマー)のグループ「g0v(ゼロガバメント=零時政府)」だった。

最終的に与党は、学生らが要求した審議のやり直しを受け入れた。台湾の若者たちはそれまでの政治に失望していたが、この運動のネット中継を見て、「政治は変えられる」と感じていく。タンたちはそれに貢献したのである。

こうした実績があって、タンは政権交代に合わせて2016年、デジタル担当大臣に就任した。タンの実力を証明したのが、コロナ禍でのマスク問題だった。台湾でも今年1月下旬に感染者が出ると、マスクの奪い合いになった。

一市民のエンジニアが家族や友人のために、コンビニでマスクを確保する「マスクマップ」を私費で作り上げたが、使用料が多額なのですぐに閉鎖。タンはこの情報を「g0v」の集まりで知ると、直ちに動き出す。市民が持っている健康保険カード(ICチップ内蔵)で健保特約薬局から1週間に1人2枚のマスクを購入できる「薬局版マスクマップ」を考案した。

タンは構想を首相に提出して承認を得ると、2日後には台湾全土でこのシステムが実現し、混乱はなくなった。驚くべき速さで完成したのは、「g0v」のメンバーが徹夜で働いてくれたからだ。

世界が頭を抱える「コロナ対策」を、タンはたった3つのFのキーワードで要約する。「素早く(Fast)、公平に(Fair)、楽しく(Fun)」

本書は、台湾の経済誌編集長などを歴任したコラムニストのアイリス・チュウと、日本で「ニッポンドットコム」多言語部スタッフライターを務める鄭仲嵐の共著だ。二人が行ったタンへのインタビューの成果が、十分に生かされた内容になっている。

『Auオードリー・タン 天才IT相7つの顔』

アイリス・チュウ/鄭仲嵐 共著
発行:文藝春秋
四六判 271ページ
価格:1400円+税
発行日:2020年9月30日
ISBN:978-4-16-391286-8

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