【書評】欧州戦線で活躍「名もなき女性戦士」への挽歌:エリザベス・ウェイン著『コードネーム・ヴェリティ』

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初冬の夜長に涙を誘う物語を紹介したい。舞台は第二次大戦下のイギリスとパリ。ふたりの若き女性は、平和な時代ならば青春を謳歌していたはずだ。しかし、勇敢な彼女らは進んで戦火に飛びこみ、国家のために戦おうとする。主人公のひとりは後方支援の輸送機のパイロットとして、もうひとりは情報機関のスパイとしてナチスドイツ占領下のパリに降り立った――。

 最初に、2人の主役のプロフィールから紹介しておこう。
 マディは、イングランド北西部の地方都市で小さなバイク屋を営む祖父母と暮らしていた。祖父は、ロシアから移住してきたユダヤ人である。
 マディは、16歳の誕生日に祖父から旧式のバイクをプレゼントされると、たちまち夢中になる。ペニン山脈の荒野を走り回り、自らバイクのエンジンを分解しては修理する。乗り物と機械いじりが大好きな少女であった。

 彼女の将来を決めたのは、まだ戦争が始まる前、1938年夏の出来事だった。
 友人をバイクの後ろに乗せて草原を駆け抜けていると、目の前を軽量な単葉機プスモスが煙を吐きながら低空飛行で通り過ぎ、やがて胴体着陸した。
 操縦士は着陸の衝撃で気絶している。マディがヘルメットのバックルとゴーグルを外してやると、驚いたことに若い女性だった。
〈空を飛ぶ女の子だって!とマディは考えた。飛行機を操縦する女の子だって!〉
 そのとき、彼女はこう思った。
〈わたしはバイクを衝突させたことなんかない・・・だから、飛行機の操縦ができる。〉
 それからというもの、パイロットになって空を駆け巡ることがマディの夢になったのだ。

 もうひとりの主役クイーニーは、英国空軍婦人補助部隊の無線技術士である。
 彼女はスコットランド女王メアリー・スチュアートの血を引く貴族階級の出身だ。スイスの寄宿学校に入っていたが、戦争により1年早く卒業。帰国後オックスフォード大学を経て、空軍婦人補助部隊に入隊していた。彼女の兄ジェイミーは、空軍のパイロットだった。
 クイーニーはドイツ語に堪能である。そのために、のちに重要なミッションを与えられることになる。

2週間の猶予と紙を与えられ・・・

 それでは物語を紐解いてみよう。
 そこは1943年11月初旬の、ナチスドイツ占領下のパリである。
 冒頭の場面は、由緒あるホテルを改修したゲシュタポの司令部にある取調室。そこで、囚われの身となったクイーニーが、ナチスの親衛隊大尉から拷問を受け、尋問されている。

 若い女性が耐えきれるものではなかった。3日間、裸同然の下着姿で鉄の棒に背中をくくり付けられたクイーニーに、大尉は取引を申し出る。服を返してやるかわりに、英国空軍とパリのレジスタンス組織との間でやり取りされる無線の暗号を教えること。
 さらに、拷問と尋問を止めるかわりに2週間の猶予と紙を与えられ、英国軍に関する情報を記述するよう強要される。

 彼女には、自白したところで、2週間後には殺されることがわかっていた。ここで銃殺されて見せしめのため路上に放置されるのか。あるいは家畜列車につめこまれ、いずれかの強制収容所に送られ人体実験されるのか。

 クイーニーは決心する。彼女は、与えられた紙に「物語」を書き始めた。空軍でマディと出会い、親友になったこと。ここパリへ、パラシュート降下するに至るまでの経緯など。いくつか軍機に触れる内容も含まれている。
 同じ施設に収容されている捕虜は、拷問にあっても口を割らなかった。クイーニーは、他の囚人から裏切り者と蔑まれていた。しかし、死を覚悟した彼女には、ある思惑があったのである。

無線技術士として・・・

 クイーニーは、マディを主人公にして過去から現在にいたるまでの物語を紡ぎ始めた。

 マディは、1938年秋、幸運な伝手を頼りに民間航空守備隊に入り、飛行訓練と無線の講習を受けていた。彼女は、めきめき操縦の腕をあげていく。

 ところが、事態が急変する。1939年9月1日、ナチスがポーランドに侵攻し、その2日後にイギリスはドイツに宣戦布告した。
 開戦によってすべての民間航空機の飛行が禁止となり、彼女は、大好きな空を飛べなくなったと嘆くのだが、やがて戦時協力のための空軍婦人補助部隊が設立される。
 それはイギリス空軍を補助する部隊であった。彼女は入隊を認められ、飛ぶことはできないが、無線技術士として後方支援に加わることになる。

 マディは、自ら飛行経験があるだけに、無線を通じての僚機の誘導など、お手のものだった。イギリス空軍のスピットファイア戦闘機からウェリントン爆撃機まで、難なく着陸に導いていく。
 彼女が才能を開花させていく様に、読者はぐいぐいと物語に引き込まれていくことだろう。

 そして――、マディはクイーニーと運命的な出会いをする。
 マディが初めてクイーニーに会ったときの印象はこうだ。
〈その女性は一糸乱れぬ恰好をしていた――何ひとつ場違いなものはなく、長い金髪は規則どおりきちんとシニヨンにまとめて、制服の襟の五センチ上にとめてあった。〉

 クイーニーは、
〈きれいで、小柄で、足取りが軽く、土曜日の夜に飛行中隊のダンスパーティがあると、飛行士たちがこぞって彼女に踊りを申しこんだ。〉
 というほどの、非の打ちどころのない美人として描かれている。

 この頃、イギリスの空軍基地は、ドイツのハインケル爆撃機とメッサーシュミット戦闘機による空襲を頻繁に受けていた。イギリス全土の街は、灯火管制で暗闇に包まれている。
 ふたりは、ある重要な任務を共同で任されていた。ここでは明らかにしないが、ここからの場面が、前半部分の読みどころである。

 窮地を切り抜けた彼女らは心を通わせ、一番の親友になる。
 庶民のユダヤ人であるマディと貴族階級のクイーニー、戦時下でなければ出会うことはなかったであろう。
 この親密な関係によって、のちにふたりは過酷な運命に巻き込まれていくことになるのである。

情報将校に呼び出され

 もう少し、物語をすすめてみよう。
 戦火は激しさを増し、英空軍は慢性的にパイロットが不足していた。補助航空部隊の任務は、空軍のために輸送機を運んだり、パイロットを送り届けたりすることである。マディほどの実績を持つ男性たちは、いま爆撃機に乗っている。補助航空部隊は、飛行経験のある彼女が必要だった。

 1941年初め、マディは、無線技術士から輸送機のパイロットとして、補助航空部隊に転属となった。輸送業務は国内の基地どうしに限られ、夜間飛行や戦地での飛行は禁じられている。
 ただし、後方支援とはいえ、過酷な仕事であることに変わりない。
〈補助航空部隊のパイロットは、毎週ひとり亡くなっている。敵の爆撃によって撃ち落とされたのではない。爆撃機や戦闘機が〃飛行不能〃とされる天候のなか、無線や誘導設備なしに飛ぶからだ。〉

 同じ頃、クイーニーは、特殊作戦執行部へ配置換えとなった。ここで、いったん親友同士は離れ離れになるのだが、やがてマディにも、新たな指令が下されるのだ。

 マディは、以前に面識のあった情報将校に密かに呼び出される。

 男は告げた。
「・・・きみに仕事があるんだ」
 マディは身構える。
「必要なのは夜間飛行と、要請されたときに飛べること。飛行予定について前もって知らされることはない」
「飛行の目的は?」
「効率的にすばやく内密に輸送するべき人間がいるんだ・・・」

 なぜ、彼女が選ばれたのか。
「きみは腕の立つパイロットだしすぐれたナビゲーターで、非常に頭が切れるうえ、並外れて口が堅い・・・」
 ただし、
「・・・きみが送る男女に関しては、何も知らされない・・・」
 マディは飛ぶ機会を失いたくなかった。飛行機に乗れるのなら、どんな任務でも引き受けただろう。
〈「やります」彼女はきっぱりと言った。〉 

配属先は「月光飛行中隊」

 1943年秋、マディは秘密基地に配属された。
 そこには、迷彩色で偽装されたライサンダーの小さな機団があった。ライサンダーは短い滑走路で離着陸できる名機である。部隊は「月光飛行中隊」と呼ばれていた。なぜなら、 
〈月の光を頼りに、月の光だけを頼りに、飛ぶから・・・〉
 ライサンダーはマディの愛機になった。

ライサンダー(写真:Paul Maritz/Wikimedia Commons)
ライサンダー(写真:Paul Maritz/Wikimedia Commons

 そして、この頃の戦況は、英米連合軍が優勢となっていた。ナチスドイツ占領下のパリでは、レジスタンスによる抵抗運動が日ごとに激しさを増している。
 月光飛行中隊の極秘任務とは、イギリス本土とパリとの間の、人員と弾薬物資の輸送である。しかし、部隊の状況は最悪だった。
〈月に十二回も飛び、その倍の数の工作員を降下させ、多数の難民を乗せて戻ったけれども、この九月、怪我や事故のせいで、ライサンダーのパイロットは4人に減っており・・・〉
 けれども、疲労困憊のマディにとっては、クイーニーの兄ジェイミーが同じ部隊にいることが心強かった。

 そして、この秘密基地でマディはクイーニーと劇的な再会を果たすのだ。

 クイーニーの任務は何か。彼女は、基地からライサンダーでドーバー海峡を渡り、パリ郊外にパラシュート降下することになっていた。スパイとして占領下に潜入し、レジスタンスと共闘するためである。彼女が選抜された理由は、ドイツ語を難なく話せることだった。
 彼女に付けられたコードネームは「ヴェリティ」(フランス語で真実を意味するヴェリテから)である。
 いよいよ決行前夜――、この緊迫した場面が、前半の最大のヤマ場である。

 極秘潜入の決行日は、BBC放送の暗号によって知らされる。クイーニーは何日も秘密基地で待機していた。
〈そしていま、暗くなり、BBC放送が流れ、フランスの受け入れ団体は待っており、ライサンダーは長距離用タンクを燃料で満杯にし、後部座席に銃や無線をぎっしり積み込んで待機していた。〉

 ところが、肝心のパイロットが不慮の事故で飛べなくなった。
 もはや一刻の猶予もなかった。急遽、誰か、替わりのパイロットを見つけなければならない。
 クイーニーは言った。
「マディなら、その飛行機を操縦できるわ」

「だめだ」兄のジェイミーは、力強く反対した。そもそも女性は危険な夜間飛行を禁じられている。
 しかし、マディは喜んで受け入れた。愛すべき親友クイーニーのために。

 だが、マディ―の操縦するライサンダーは、海峡を横断するも高射砲により被弾――。

歴史に名を残すことなく

 本書の第一部は、囚われの身となったクイーニーが記述した物語である。そこには多くの謎が散りばめられている。
 後半の第二部で、物語に仕掛けられたすべての真相が解き明かされる。

 クイーニーは、なぜ、ゲシュタポに逮捕されたのか。無事、救出されるのか。被弾したマディはどうなったのか。彼女たちの運命は――。
 それは本書を読んで、是非、確かめてほしい。まさに、そこには思わず息を飲みこむ壮絶な結末が用意されている。

 著者のエリザベス・ウェインは、1964年ニューヨークの生まれ。彼女の趣味は小型飛行機の操縦であるという。
 それだけに航空機に関する記述は詳細で、ここまで航空機の名称を挙げてストーリーを紹介してきたが、本書の楽しみは、数々の名機が登場するところにもある。上空から眺めた英国本土やパリの描写は、うっとりするほど美しい。

 そしてまた、著者はあとがきで〈わたしは歴史的な正確さをある程度までしっかりと追究しました・・・〉と書いているが、この物語は歴史的事実を踏まえて小説に仕立てられている。
 おそらく、マディやクイーニーに類する女性が、第二次大戦下の欧州戦線で、歴史に名を残すことなく活躍していたのであろう。
 そのことに思いをはせると、この物語は彼女たちに捧げられた挽歌のようでもあり、いっそう切ないものとして心に響くのである。

「コードネーム・ヴェリティ」

エリザベス・ウェイン(著)、吉澤康子(訳)
発行:東京創元社
文庫版:475ページ
価格:1200円(税別)
発行日:2017年3月24日
ISBN:978-4-488-25204-5

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