【新刊紹介】「武士道」とは何かを現代に問う:伊集院静『いとまの雪―新説忠臣蔵・ひとりの家老の生涯』

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本作は、史実に即しながら赤穂藩の筆頭家老・大石内蔵助良雄(よしたか)の生涯を本格的に描いたものだ。忠臣蔵ファンのみならず若い人にも是非読んでほしい。読者は、たちどころに元禄の豊潤な物語世界に惹きこまれていくことだろう。

本作のタイトルの由来は、作中、高名な軍学者山鹿素行が、死の一年前に弟子である若き内蔵助に遺した「生きるは束の間、死ぬはしばしのいとまなり」という言葉にある。元禄15年12月14日、赤穂四十七士による吉良上野介邸討ち入りの日、二日前から降り続いた雪で江戸市中は銀世界に変わっていた。

素行の言葉は、内蔵助に託した分厚い書筒の末尾に記されたものだった。そこには、お取り潰しになった大名家の名前とその事情、さらにこの先、同じ運命をたどるであろう諸藩が列挙されており、最後に赤穂藩の名があった。
五代将軍徳川綱吉の側近である大老柳沢保明は、豊かな藩を潰し、その財を召し上げようとしている。素行はそのことを良雄に伝えたかったのだ。

はたして、元禄14年春、浅野匠頭による「刃傷松の廊下」をきっかけに、塩田で財政潤おう赤穂藩は改易となる。その後の討ち入りまでの歴史的な経緯は、すでに周知のことだろう。むろん、伊集院版「忠臣蔵」も史実にそって縦横無尽に物語を展開していくのだが(討ち入り、義士の切腹の場面は迫真の描写)、本書の魅力は大石内蔵助がひとかどの武士に成長していく様を生き生きと描いているところにある。

内蔵助は親しい友に「俺には天命が見えんのだ」と打ち明ける。幼少の頃には「弱虫、泣き虫、竹太郎(幼名)」と揶揄されていた。しかし素行は、「相手の強さを計るには、己の中に人一倍の怖れを持っていなくてはなりません」と器量を見抜き、鍛えぬく。徳川光圀は、「あの面容は、信義のためなら東照大権現にも弓を引くほどの肝を持っておる」と恐れるほどに成長した。

やがて、「切れ者」と評判の立った内蔵助に、石清水八幡宮の高僧は「無用の長物」になれ、「昼行灯」のように、と諭す。彼は素行から「君なくば臣ならず、『忠義』なくば臣ならず」と学んでいた。主君の無念な死を知らされたとき、内蔵助の生きる道は定まった。

本作は、武士道とは何か、その本質をまっこうから突き詰めた作品である。そこに多彩な人間模様がからんでくる。「裏切り者」と罵られた家老、家臣が汚名を覚悟で内蔵助の密命に従い、信義に殉じていく。堀部安兵衛らお馴染みのスターが、どう描かれているのかも注目であり、著者が創作した密偵の仁助、心の支えとなった愛人「かん」の存在が、物語に深みをもたらしている。

あえて現代に「武士道」を問うた著者の意図とは何か。
過去、忠臣蔵を描いた名作は何点かあるが、独自の読み物に仕立てた本作もまた、そのうちの一冊に数えられることになるだろう。

『いとまの雪―新説忠臣蔵・ひとりの家老の生涯』(上)(下)

伊集院静著
KADOKAWA
発行日:上・下巻とも2020年12月18日
四六版:上巻256ページ、下巻296ページ
価格:上・下巻とも1870円(税抜き)
ISBN:上巻9784041084281、下巻9784041110188

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