【書評】はじける知的探究心が生んだ一冊:星野博美著『旅ごころはリュートに乗って〜歌が導く中世巡礼〜』

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ノンフィクション作家・星野博美の新作は、古楽器リュートに魅せられた自身の知的探求の旅を描くものだ。2015年の『みんな彗星を見ていた〜私的キリシタン探訪記』に続いたキリスト教をテーマにした作品だが、本から印象強く浮かび上がるのは、著者から溢れ出す「もっと知りたい」という好奇心のエネルギーである。

本作の著者である星野博美は、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『転がる香港に苔は生えない』という代表作がある。香港中文大学での留学経験があり、『愚か者、中国をゆく』や『ホンコンフラワー』など、中華圏を題材とした著書が多く、てっきりこの方面が専門かと思っていたが、2015年、長崎からヨーロッパに飛び出した日本人キリシタンの足跡を辿る『みんな彗星を見ていた〜私的キリシタン探訪記』を上梓した。この本の冒頭に出てくるのが、彼女を魅了した「リュート」という古楽器である。

本書は、その続編とも位置付けられる作品となっており、17年4月から20年2月までの約3年、平凡社の隔月総合文芸誌『こころ』で行われた連載に加筆修正を行い、まとめられた一冊だ。

運命の本との出会い

著者は、リュートを通じ、スペイン・カタルーニャのモンセラート修道院に伝わる写本『モンセラートの朱い本』、聖母マリアを賛美する歌集の『聖母マリアのカンティガ(頌歌集)』と、運命の出会いを果たした。

全20話で、章立ての大部分にこの2冊の本に納められている楽曲のタイトルが使用されている。歌詞の内容を紐解きながら、時には1万キロ以上の距離を飛んだり、時には800年前の時空を超えたりと、縦横無尽に興味の赴くまま、リュートから派生した内容が綴られている。最初から読んでもいいし、タイトルが気になった章から読むこともできる。

例えば、第5話——「天にあまねく 我らが女王よ」(『モンセラートの朱い本』)では、著者がリュートを弾くために、譜を起こすまでの経緯が描かれている。

リュートは楽譜ではなく、奏譜を見て弾く楽器だ。奏譜はタブラチュア(タブ譜)と呼ばれるもので、五線譜に弦を押さえる場所を数字や記号、アルファベットなどで示し、視覚的に音を捉えることができる。リュートのタブラチュアが活版印刷されたのは1507年。著者が手にした『モンセラートの朱い本』はこれよりも2世紀も前のものなので、タブラチュアは存在しない。

ないのなら作ってしまおうと、著者は繰り返し曲を聴き、音を拾いながら、なんと自分用のタブラチュアを完成させてしまうのだった。

飽くなき探究心「関心の飛び火」

第7話——「聖母マリアの七つの喜び」(カンティガ一番)での著者は、奏譜を起こすだけでなく、訳詞を手掛けるまで進化している。
『聖母マリアのカンティガ(頌歌集)』は、その名の通り、聖母マリアを賛美する歌集であり、カスティーリャ王アルフォンソ10世が編纂したものだ。歌集で著者が気になったのは——歌詞。

「歌詞を無視したら、カンティガの心性に近づくことはできない」と考えた著者。ポルトガル語の源流のガリシア・ポルトガル語で書かれた歌詞を和訳しようと、研究者によるデータベースや英訳、スペイン語訳などを駆使しながら奮闘する。

自分で和訳した「カンティガ一番」の歌詞から、聖母マリアの生涯を辿りながら、その途上で起きた「七つの喜び」に思いを馳せる歌だということを知る。そして、著者の興味は「七」という数字を通して、自身が通ってきたミッションスクールの母校に想いを馳せ、カンティガが生まれた時代へと移っていく。

イングランド王ヘンリー八世の宮廷画家となったハンス・ホルバインが登場する16世紀、巡礼が盛んに行われた14世紀、『聖母マリアのカンティガ(頌歌集)』が生まれた13世紀のイベリア半島と、目まぐるしく時空を駆け巡る著者だが、本書を貫いているのは、リュートというしなやかな楽器の裏に隠された、著者自身が「関心の飛び火」と呼んでいる、強くて太い、飽くなき探究心だ。

それぞれ約一万文字からなる各章に、領域を軽々と越えてしまう著者の情熱と情報が詰め込まれており、読む者の心に感動を与える。

琵琶の源流にもなったリュート

ところで、著者が2冊もの本を書き上げる原動力となった「リュート」とは、一体どのような楽器なのだろうか。そのルーツや形態を著者は以下のように説明している。
「リュートは洋梨を縦に割ったような、丸っこい形をした複弦の撥弦楽器で、弦の張力を増すために棹がほぼ九〇度に折れ曲がっている。先祖はアラブやペルシャ世界でいまなお活躍する撥弦楽器ウードで、それがヨーロッパに渡ってリュートとなり、東へ向かった子は琵琶になった」

琵琶の仲間であるということから、郷愁を漂わせた切ないリュートの音色のイメージが湧く。

「『楽器の女王』と呼ばれたリュートは、まさにその道のりを象徴するような楽器だ。『女王』という称号が示唆する通り、リュートはヨーロッパ各地の宮廷で好まれた」と著者は記す。「聴覚の暗喩」として、絵画のなかでも登場することも多く、日本人に人気の画家フェルメールにもリュートを描いた作品があるという。

著者とリュートの出会いは、大学で受けた授業まで遡る。たおやかで繊細な音色に魅了されるも、マイナーすぎる楽器のため、音源も少なく、いつの間にかその存在を忘れ去ってしまっていた。リュート熱が再燃したのは、2012年のこと。『みんな彗星を見ていた〜私的キリシタン探訪記』の資料で、ローマへ派遣された天正遣欧少年使節の日本人の少年4名が、豊臣秀吉の前でリュートを弾いて演奏を行ったという記述を見つけ、リュート熱を蘇らす引き金となった。

自前のリュートも

400年以上も前の日本に、突如現れたリュート。不思議な光景を実体験に近づけたく、リュートの体験レッスンを受けてのめり込んでいく。自前のリュートは山梨県のリュート工房で作製してもらったこだわりの一品だ。

まえがきの最後に、著者からのこんな呼びかけがある。
「リュートに乗って旅に出よう。どこへたどり着くかはわからないが、お伴をして頂けたら幸いだ」

著者の言葉に誘われるように、私も旅のように心地よく思うがままページをめくり続けた。歌詞の言葉は解らなくても、著者が本書に記述してくれている和訳で、その世界観へと自然に入り込める。教科書ならば、堅くて難しく感じられる歴史のお勉強も、所々に挟みこまれた著者の旅先での実体験や生い立ちがピリリとした山椒のように効いている。

最終章では、2019年11月のローマ教皇フランシスコ来日に合わせて長崎を訪れ、日本の殉教伝についての考察をまとめることで、3年に渡る長いリュートをめぐる旅を終えている。新型コロナのおかげで、海外に旅することなく一年が終わりそうだ。リュートのメロディに乗り、著者と共に太古のロマンを感じる読書の旅を楽しみたい。

旅ごころはリュートに乗って〜歌が導く中世巡礼〜

星野博美(著)
発行:平凡社
四六判:344ページ
価格:1900円(税別)
発行日:2020年9月28日
ISBN:978-4-582-83845-9

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