【書評】居場所を失くしたすべての人に贈る魂の物語:柳美里著『JR上野駅公園口』

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芥川賞作家の柳美里(ゆう・みり)さんが2014年に刊行した小説『JR上野駅公園口』の英訳版『Tokyo Ueno Station』(モーガン・ジャイルズ訳)が2020年米国で出版され、米国で最も権威のある文学賞の一つ、全米図書賞(翻訳文学部門)を受賞した。高度経済成長期、その象徴ともいえる「上野」を舞台に、福島県八沢(やさわ)村(現・南相馬市)出身の1人の男の生涯を通じて描かれる「人間の生と死の様」は、韓国語、フランス語、ポーランド語でも翻訳され、世界の読者の共感を呼んでいる。

2020年11月19日、全米図書賞受賞のニュースが流れると、日本各地の書店には本書を買い求める人が相次ぎ、在庫が払底する事態となった。急きょ、文庫本27万部、単行本1万7000部の重版を行い、年末には累計発行部数が30万部を突破した。出版から6年後に一躍ベストセラーとなったのは、「全米図書賞効果」が大きい。

英訳版のTokyo Ueno Station(河出書房新社提供)
英訳版のTokyo Ueno Station(河出書房新社提供)

だが、本書が世界の読者の心を射る理由はそればかりではない。同年12月に日本記者クラブで会見を行った際、柳さんはこう分析している。

「この本は決して明るい内容ではありません。(それでもこの作品が多くの人に届いているのは)今、誰しもが苦境に立たされて『希望のレンズ』を失い、この本に描かれた『絶望のレンズ』とピントが合ったからではないでしょうか」

新型コロナウイルスの感染拡大で「ステイホーム」という言葉が標語となった。だが、ホーム(家)がない人を思いやった人がどれだけいただろう。本書は「居場所、帰る場所を失くしてしまったすべての人たち」へ贈る物語でもある。

故郷を喪失した男の「孤絶」

主人公は、平成の天皇と同じ日に生まれた。息子が生まれた日も現天皇と同じ日で、「浩一」と名付ける。だが、その暮らしぶりは対照的だ。1964年東京五輪の前年、男は家族を養うため東京に出稼ぎに出て、五輪競技場や宿泊施設の建設現場で土方として働く。

毎日残業に精を出し、酒も飲まず、博打や女遊びに走ることもなく、毎月、当時の大卒サラリーマンの月給と同じくらいの仕送りを続けた。帰郷するのは盆と正月だけ。2人の子どもには顔を忘れられ、親子の間に距離ができていく。そして浩一は21歳の若さで突然死する。

60歳でようやく出稼ぎを辞めて郷里に戻り、これまでの蓄えと年金で夫婦水入らずの生活を送るはずが、今度は妻が65歳で突然死。一人暮らしの祖父を心配して孫娘が同居してくれるが、21歳の未婚の女性をこの家に縛り付けるわけにはいかない。男は「探さないでください」と置き手紙をし、再び常磐線に乗る。

上野駅で降りて公園口を出ると、段ボールとブルーシートを手に摺鉢(すりばち)山と呼ばれるホームレスのテント村に向かう。物語の最後には、3・11の津波にのみ込まれる故郷と孫娘の姿が描かれる。帰る故郷を完全に失った主人公は、山手線内回りのホームの黄色い線に近づいていく――。

柳さんは、この物語のテーマの一つに「孤絶」を挙げている。孤絶とは、孤独がより深まり、人とのつながりが完全に断たれた状態という。

主人公の心を内視鏡となって写す

柳さんがこの小説を構想し始めたのは2006年。上野公園のホームレスたちの間で「山狩り」と呼ばれている、天皇家や皇族が博物館や美術展などを訪れる際に行われる「特別清掃」を取材した。そこでホームレスには集団就職や出稼ぎで上京してきた東北出身者が多いことを知る。

ホームレスになった事情は人それぞれ。だが、皆口をそろえて「東京に来て最初に降り立った場所が上野駅。今や帰る家はないけれど、あの改札をくぐって電車に乗れば郷里に帰れる」と話した。

5年後、東日本大震災が起きる。柳さんは、原発から半径20キロ圏内が「警戒区域」として閉ざされる前日、原発周辺地域を訪れた。12年3月からは、南相馬市役所内の臨時災害放送局でラジオ番組のパーソナリティを務め、18年3月に閉局するまで約600人の地元住民の話に黙って耳を傾けた。

こうして聞き手に徹しているうちに、自分という枠組みが外れて、その人の抱えている悲しみや苦しみが自分の身体に「織り込まれる」ように感じたという。

「いくら話しても、家のある者に、ない者の気持ちは分からない」と上野公園のホームレスに言われたことがあった。その言葉がずっと柳さんの心に棘(とげ)として突き刺さっていたが、その棘が抜けた気がした。

「確かに、家のある人に、ない人の気持ちは分からない。けれども小説を読む際、読者は登場人物の心の中に入り込む。だったら、主人公の生きた軌跡を外側からたどるのではなく、私自身が内視鏡になって、悲しみや絶望も含めてその人の心の中を写せばいい。小説ならそれができる」

こうして、家を津波で流され避難生活を余儀なくされている人々の痛苦と、出稼ぎで郷里を離れているうちに帰るべき家を失くしてしまったホームレスの痛苦が相対し、両者の痛苦をつなぐ蝶番(ちょうつがい)のような小説が生まれた。

東京2020は「復興五輪」なのか?

主人公が上野公園でホームレスをしていた時期は、2020東京五輪の誘致活動の最中だった。彼は公園内に掲げられた2つの大きな看板を目にする。

「世界遺産登録へ 国立西洋美術館の本館は、ユネスコ世界遺産の候補に推薦されています」
「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。2020年オリンピック・パラリンピックを日本に!」

公園内は以前とは見違えるように“きれい”になり、ホームレスたちは限られたエリアに追いやられていた。そんな情景を見て主人公はつぶやく。「世界遺産登録とオリンピック誘致を審査する外国の委員に、ホームレスたちのコヤが目に触れたら、減点対象になるのだろうか」

五輪誘致が正式決定した半年後に本書が刊行されるが、あとがきで柳さんはこう語っている。

「多くの人々が、希望のレンズを通して6年後の東京オリンピックを見ているからこそ、わたしはそのレンズではピントが合わないものを見てしまいます。『感動』や『熱狂』の後先を――」

柳さんの不安は的中する。東京で五輪関連の工事が始まると、被災地には建築資材の高騰や作業員の不足といった影響が現れ、家屋の立て直しを延期せざるを得ない被災者が現れた。「復興五輪」が復興作業の停滞を招いたのだ。

次作『JR常磐線夜ノ森駅』に寄せる思い

柳さんは2015年、住居を神奈川県鎌倉市から南相馬市に移し、現在は取材・執筆活動と共にブックカフェを営んでいる。

柳さんが暮らす小高区の人口は、20年11月30日現在で7053人。原発事故前(11年2月28日現在)は1万2834人だった。帰還住民の約半数が65歳以上で、今後、高齢化に拍車がかかる恐れがある。コロナ下にあって孤独死も増えているという。

一方、原発周辺の除染や家屋解体作業に従事する労働者は、最低賃金の安い沖縄の人や西成(大阪)で日雇いの仕事にあぶれた人が多い。

彼らの中には雇い止めにあってホームレスになる人もいる。病死や事故死によって亡くなった作業員の中には、身寄りのない人や偽名の人もいる。引き取り手のない遺骨もあり、地元の住職が骨壺を預かっている。

こうした五輪招致と新型コロナのパンデミックによって「剥(は)がれ落ちて見えたもの」を『JR上野駅公園口』と対をなす作品として、『JR常磐線夜ノ森駅』のタイトルで書きたい、と柳さんは言う。

「生きていく中で喪失を体験しない人はいない。最後は誰もが自分の命を失う。でも私は、失くしたものは消えて無になるわけではないと思う。その人の存在や、人生の中での出来事は、死後も響きとして残る。喪失の後の響きに耳を澄ませることこそ、小説家の仕事ではないかと思います」

バナー写真:日本記者クラブで会見する柳美里さん(河出書房新社提供)

JR上野駅公園口

柳美里(著)
発行:河出書房新社
四六版:192ページ
価格:1400円(税別)
発行日:2014年3月19日
ISBN:978-4-309-02265-9

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