【新刊紹介】不世出の天才投手は、なぜ野球を憎んだのか:太田俊明著『沢村栄治 裏切られたエース』

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その年の日本プロ野球で最も活躍した先発完投型投手に贈られる「沢村賞」。同賞の由来となり、今も日本野球史に燦然と輝く沢村栄治だが、実は、彼の職業野球での全盛期は2年弱に過ぎない。三度も徴兵された末に、1944年12月2日、27歳で東シナ海の藻屑と消えた伝説の投手の軌跡を、自身も六大学野球で活躍した著者が丹念に描いた。

本書の帯紙に思わず目が留まった。左足をピンと伸ばし、颯爽と振りかぶる沢村の隣に、センセーショナルなキャッチコピーが浮かぶ。
――なぜ、ベーブ・ルースを三振に沈めた天才投手は、「私は野球を憎んでいます」と書き遺したのか?

その言葉は、1937年シーズンの開幕を翌日に控えた夜、栄治が父・賢二に宛てた手紙の中に記されていた。

34年の日米野球では17歳で全日本入りし、ベーブ・ルースから三振を奪うなど大リーグ選抜相手に1失点完投。巨人軍でも3度のノーヒット・ノーランを達成し、後に「球聖」とまで謳われる沢村。

その沢村が、一体どんな経緯で野球に憎悪を抱くに至ったのか。その理由を知ろうと著者は膨大な資料に当たり、関係者を訪ねる。

六大学野球が全盛の時代にあって、職業野球(プロ野球)は誕生当初、世間の蔑視にさらされていた。

栄治も慶応大学への進学を熱望し、入学の内諾も得ていた。ところが、栄治を筆頭に7人の子どもを抱える沢村家の家計は苦しく、栄治は中学(京都商業)を中退して職業野球に身を投じざるを得なかった。

先発、そして抑えと馬車馬のように投げまくり、給料の大半を家族に仕送りして弟たちの進学の面倒を見続けた。ところが、いくら稼いでも親族らが無軌道に膨らませる借金に拘束され、学業に戻る夢はかなわない。

そして二度にわたる出征。戦場での手榴弾投げで肩を壊した沢村を待っていたのは、巨人軍からの非情なる解雇通告だった。

三度目の入営の日、見送りにやって来た父親に、栄治は何かに憑かれたように話し続けたという。

「お父さん、やっぱり俺は道をまちがっていたんだ。職業野球の世界は、俺にとっては過酷でありすぎた。一介のサラリーマンでもいい。もっと堅実な方向へ進むべきだった」

さらに著者にはもう一つ、沢村栄治を書きたいと思った理由があった。

沢村はよく「ホップする快速球を投げた」と言われる。大リーグの歴史に残る強打者たちから三振の山を築いた投球から「球速は160キロを超えていたに違いない」という意見もある。

では実際、どれだけの球威があったのか――かつて東大野球部で江川卓(法政大)らと対戦した経験も生かし、著者は沢村の球速について考察を重ねている。

日本プロ野球史上最高の捕手と称される故・野村克也は、自著『私のプロ野球80年史』の冒頭で、「沢村栄治なかりせば、私もいない」と記した。

野茂英雄、松坂大輔、上原浩治、ダルビッシュ有、田中将大、前田健太……。今や日本人投手とメジャーリーガーとの対戦が連日のようにメディアを賑わせている。

だが、こうした今日の日本プロ野球の繁栄は、沢村をはじめ太平洋戦争で散った選手たちの犠牲の上に成り立っているのだ。

球春たけなわの季節、沢村ら先人たちの努力と奮闘に思いを馳せながら、プロ野球を楽しみたい。

文藝春秋
発行日:2021年1月20日
新書判:280ページ
価格:1155円(税込み)
ISBN: 978-4-16-661300-7

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