【書評】東京とともに60年:ロバート・ホワイティング著『Tokyo Junkie』

文化 社会

日米のプロ野球比較、日本の裏社会など、日本社会をテーマに数々のノンフィクションや小説を発表してきたロバート・ホワイティング。新刊『Tokyo Junkie』(仮題:東京ジャンキー)は、60年に及ぶ東京生活で培った洞察力で、東京が大都市へと変貌を遂げていく様をユーモラスな視点で描いたエッセイだ。

初めて東京に来た人は街のエネルギーに圧倒されるという。ロバート・ホワイティングも東京の人混みに飲み込まれ、あふれんばかりのエネルギーに吸い込まれるようだったと振り返る。初来日した1962年は、2年後にアジア初のオリンピック開催を控え、昼間は建設ラッシュで工事の音が絶え間なく響き、人々は通りを忙しく行き交っていた。夜は繁華街のネオンがこうこうと照っていた。東京はまれに見る変化を見せ始めていた。同僚から「そこまで深入りしたら日本人になりすぎて客観性を失うぞ」と警告されたが、この機会を見逃すまいと、思いっきり東京に身を放り込んだ。

本書は東京で60年もの人生を送った著者自身のメモワール(回想録)であり、変化し続ける東京のメモワールでもある。筆致は時に啓蒙的であり、時にはユーモアをたたえている。『和をもって日本となす』『東京アンダーワールド』といったベストセラー作品を上梓してきたホワイティングは、米国空軍の19歳の一兵卒として東京赴任を命じられたのが日本と関わるきっかけだった。若き空軍兵から日本社会を熟知したベテラン作家へとキャリアシフトしたホワイティングの人生は、悪臭漂う裏町が戦禍から復興し、高層ビルが立ち並ぶ国際経済の中心にまで上り詰めた東京の成長過程と重なり合っているのだ。

東京物語

ロバート・ホワイティング(撮影:デヴィッド・ステットソン)
ロバート・ホワイティング(撮影:デヴィッド・ステットソン)

ホワイティングは政権中枢の政治家から、裏社会で生きる人たちに至るまで、ありとあらゆる人と知り合いになることで、深い知識を身に付けた数少ない外国人日本ウオッチャーとなった。本書では、野球、ヤクザ、政治家といった得意テーマを通して、東京、ひいては日本社会の複雑な内部構造をあぶり出す。1960、70年代当時の日常生活を、驚くほどつぶさに描いている。例えば、飲み屋の年季の入ったテレビでアニメ「巨人の星」を見ながら、ひとしきり泣いたこと。すぐ上の階に住んでいたジャイアント馬場によるドシンバタンという騒音に悩まされたことなど、時にはユーモアたっぷりに、感傷に浸りながら、個人的な思い出を述懐する。センチメンタルな感傷にふけるだけではなく、著者にとってきまりの悪い、若かりし頃の悪行も暴露している。それが作品全体を引き締めている。

日米野球文化比較も記したホワイティングは王貞治や長嶋茂雄などのスター選手も取材していた。写真は1967年、トレーニングの様子(産経新聞社)
日米野球文化比較も記したホワイティングは王貞治や長嶋茂雄などのスター選手も取材していた。写真は1967年、トレーニングの様子(産経新聞社)

前半部分では、来日してからの10年間について振り返る。「The Soldier(軍人)」「The Degenerate(堕落者)」「The Penitent(悔悟者)」という章立てに分かれている。米国の軍人として来日した著者が、堕落した生活を送るようになり、後に悔悟するという自身の人生が見えてくるようだ。

戦後復興途上の東京は、独特な雰囲気を醸し出していた。今はなきナイトクラブ「ショーボート」、当時、在京外国人外交官、ビジネスマン、来日した米国の有名人が行きつけにしていた酒場「クラブ88」について、こと細かに描写している。それだけでない。1964年東京五輪の光と影、激しい学生運動や反ベトナム戦争運動、そして当時の与党自民党で活躍する政治家たちを鮮明に描くことで、読者を当時の東京へいざなう。

東京にどっぷりはまることで思いもよらない人たちとの交流関係が生まれた。都市の暗部を教えてくれたヤクザ、金持ちの形成外科医、銀座の高級クラブのパトロン、そして当時読売新聞の政治記者で後にグループ本社の取締役主筆となった渡辺恒雄氏もその一人だ。著者は渡辺氏の英語の家庭教師をしていたのだが、その後、メディアの世界では歯が立たない大きな存在となった。

東京の裏社会を牛耳るヤクザからも教わった。1971年の新宿歌舞伎町(渡辺克己、アンドリュー・ルース・ギャラリー)
東京の裏社会を牛耳るヤクザからも教わった。1971年の新宿歌舞伎町(渡辺克己、アンドリュー・ルース・ギャラリー)

後半では、執筆活動の全盛期と、その後、かつてのハングリー精神が薄れて、穏やかに東京で暮らすようになった時代を取り上げている。日本全体が浮かれたバブル全盛期から、ジャーナリストとして脂が乗っていた時代、そしてバブル崩壊後の「失われた20年」を経て、新型コロナウィルスで一変した現代まで網羅している。裏の事情を熟知するジャーナリストの観点から、後に東京都知事になった作家の石原慎太郎氏など、日本を動かした人物を数々紹介している。また、風情ある伝統的な街並みが、森ビルなどが手がける温かみのないオフィスビルへと変わっていく過程を嘆いたり、米メジャーリーグに移籍することでフィーバーを引き起こした野茂英雄投手を回想したりと、さまざまな角度から東京を紹介している。

1971年、ネオンがまぶしい歌舞伎町(産経新聞社)
1971年、ネオンがまぶしい歌舞伎町(産経新聞社)

本書はある意味、歴史書であり、自叙伝であり、旅行者の視点から見た物語ともいえる。70代後半に差し掛かった著者が人生を振り返ったとき、良いことばかりではなかったが、ようやく激しい過去と決別することができた。まさに、著者の集大成ともいえる作品である。初めて日本の地を踏んだ1960年代、東京は猛烈なスピードで変化していた。ホワイティング同様、東京も円熟した都市に成長した。本書を通読し、大都会東京には語りつくせないほどのストーリーがあることを実感した。

(原文英語。バナー写真:『Tokyo Junkie: 60 Years of Bright Lights, Back Alleys. . .and Baseball』2021年4月20日、ストーンブリッジプレスから出版)

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