【書評】「記号」ではなく「人間」として描く外国人労働者:安田峰俊著『「低度」外国人材 移民焼畑国家、日本』

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少子高齢化による労働人口の減少は現代日本が抱える最大の問題の一つだと言っていい。政府による女性社会進出の呼びかけは、その解決を目指す動きの一環でもある。一方で、現実的に、日本人の働き手がなかなか見つからない労働市場の空白を埋めているのが外国人だ。だが、彼らに冠せられる肩書きは労働者ではなく、「技能実習生」や「留学生」である。その矛盾を、著者は徹底した現場取材であぶりだす。

「外国人材」の現場を歩く

ノンフィクション作家である著書の真骨頂は、現場の人間たちに鋭く刺さる取材と、「王様は裸」だと言い切ってしまう思い切りの良さにある。本書でも、ベトナム人、中国人、イスラム系の「外国人材」の現場に生きる人々に対し、我々が知りたいと感じている問いをぶつけ、本質をつくような話を次々と引き出している。

例えば、技能実習先からベトナム人労働者が次々と逃亡している、という問題がある。著者の取材に協力する在日ベトナム人はこう語る。

「逃亡者たち自身も、自分が日陰者という意識はほとんど持っていないですね」

ネット上のベトナム語のコミュニティには、官憲や警察と戦うという含意を持つ「ボドイ(兵士)」という言葉があふれ、実習先からの逃亡方法や偽装結婚の手引き、銀行口座の売買など、怪しげな情報がかなり堂々と飛び交っているという。

時折、交通事故や殺人、窃盗などで表面化する外国人がらみの事件は、おそらく問題の氷山の一角なのだ。著者は、昨今話題になった北関東の家畜盗難事件の当事者たちにも直当たりし、その真相に近づく。

実態は、かなり昔から各地で散発的に技能実習生たちが起こしていた家畜窃盗が、コロナ禍で『新規参入』が増えた結果、警察の偏見やメディアの誇張のなか、実態以上の『犯罪組織』的なイメージで喧伝されたものだったというのが著者の結論だが、それもまた、外国人材問題をめぐるひずみの現れなのである。

歪んだ制度―高度と「低度」

外国人技能実習制度という名義のもと、全国の工場、漁業、農業の最前線で厳しい仕事に従事する外国人たち。留学生として来日しながら日本語の日常会話も十分にできず、アルバイトに必死に励んでいる外国人たち。コンビニも牛丼店も牡蠣むきも工事現場も支えてもらいながら、彼らは労働法のもとで権利と保護を十分に受けられる正規労働者ではない。

その現状を、与党も野党も政府も、それぞれの事情で変えようとしない。日本のやり方が、国際機関が指摘するように「人身売買的」なのかどうかは意見が分かれるところだし、これだけ長く現行制度が続いているわけだから、すべてを否定できない現実もある。

だが、本質的に日本の外国人労働者政策が歪んでいるという点に、異論を唱える人々はほとんどいないだろう。

その点への問題提起は『「低度外国人材』というタイトルに込められている。低度は著者の造語だという。何が低度なのか。著者は「高度外国人材」という日本の外国人招聘にかかわる用語について、「学歴や年収が高くて年齢が若く、学術研究の実績や社会的地位を持ち、日本語が流暢でイノベイティブな専門知識を持つ人」であり、「日本政府はそういう外国人こそ歓迎すべき相手である、と考えているわけだ」と指摘する。そのうえで、本書で取り上げる外国人たちは、その反対の属性を持つ人材として「高度」に対する「低度」となる。

「皮肉なことに、日本政府が欲しがる人材とは真逆の個性を持つ労働者のほうが、より大勢日本を目指している現状」があり、さらに少子高齢化のもとで労働人口の減少に悩まされている日本社会は高度ではない外国人に強く依存し、彼らを必要とし、「彼らに社会を共に支えてもらうことは、好むと好まざるにかかわらず不可避の状況になっている」-という著者の指摘が、あまりにも正しすぎて、ため息が出てしまう。

かわいそうと叩き出せのマンネリズム

問題提起の矛先はメディアや論壇における外国人労働者問題の論じ方にも向けられる。著者は現状の議論に「食傷気味」だとする。議論のほとんどが、「かわいそう」と「叩きだせ」の間のマンネリズムに陥っていると映るからだ。具体的に外国人労働者の論じ方には3つの傾向があるという。

 ①かわいそう型 主に外国人労働者のかわいそうな事例をたくさん集め、理想主義的なポジションに立って日本社会の問題点を断罪する。
 ②データ集積型 外国人労働者に関連する数字や固有名詞がびっしりと羅列されたレポート的な情報を提示する。結論は①に近いことが多い。
 ③外国人の増加に懸念を示して、読者の排外主義感情を情緒的に刺激する。商業的にはこちらのほうが「強い」。

「それぞれの図式に落とし込んで作られたストーリーのなかで、在日外国人という存在が著者の主張を補強するための記号のように用いられている例も少なくない。(中略)だが、この手のストーリーは、マンネリズムゆえに生身の人間の話だという実感を覚えづらく、当然、見聞きしていても面白くない」

どうやら、このあたりに著者が本書を手がけたモチベーションの原点がありそうである。

現在技能実習生では最大勢力になったベトナム人、イスラム原理主義のモスクに集うムスリム系の人々、すでに日本に見切りをつけて「奴隷」になろうとしない中国人、そして、北関東家畜窃盗事件の主犯格など、日本的「移民社会」の最深部に迫っていく。その取材は著者らしく現場に肉薄し、記号化されていない生身の人間の情報をつかみだす。

外国人材は労働力ではなく「人間」

外国人労働者を国内に入れるということは綺麗事ではなく、「高度」や「技能実習」という実態を反映しない行政用語では到底解決できない問題をはらんでいる。それは本書で紹介される「我々は労働力を呼んだのに、来たのは人間だった」というスイスの作家がもとだとされる言葉に集約されていく。技能実習生だろうが、留学生だろうが、労働者だろうが、移民だろうが、日本に来ているのは、血の通った人間たちである。

彼らは、日本社会のニーズである単純労働の担い手として、私たちと一緒に生きており、そこには高度も低度もなく、ましてや排斥論が語るような反日的陰謀からは程遠い。彼らは母国でも強い存在ではなく、日本においても悪質な仲介業者や企業から十分守られているとは言い難く、現実と制度のはざまに落ち込んでいる。

もちろん制度を悪用する人々は、どんな国にもいる。特に、人間の移動には必ずといっていいほど、人買い的なグレーな要素が混じってくる。しかし、それでも外国人材を受け入れるしかないという現実に対して、技能実習生や留学生という裏通りではなく、しっかりとした制度と法律を用意すべきである。

中国人やブラジル人が来なくなったら次はベトナム人やカンボジア人に切り替え、次はインド人、その先はアフリカ人・・・。そんな「焼畑農業」をイメージさせるやり口はもう終わりにしたい。

こうした著者の結論は、外国人労働者政策の現状を是としない従来の議論とそう変わらないかもしれない。しかし、そのアプローチはまったく違った道筋を通っており、日本社会で生きている人間たちのリアリズムを描こうという筆致は力強い説得力を感じさせる。

「低度」外国人材 移民焼畑国家、日本

安田峰俊(著)
発行:角川書店
四六判:264ページ
価格:1980円(税込み)
発行:2021年3月2日
ISBN-13 : 978-4041069684

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