【書評】ヒューマニスト、そして優れたインテリジェンス・オフィサー:白石仁章著『杉原千畝 情報に賭けた外交官』

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第二次世界大戦中のユダヤ難民に、「命のビザ」を発給して数千人の命を救った外交官、杉原千畝(ちうね)。その素顔はヒューマニストだけでなく、独ソが対峙する激動の国際政局下で、任地のソ連近隣国から独ソ両国の動向を正確につかみ、本国・日本に情報を送る優れたインテリジェンス・オフィサー(情報の収集・分析のプロ)でもあった。新しい杉原像を描いた本書の英訳本が、2021年春に出版され、世界の杉原研究にも大きな影響を与えていくだろう。

ソ連が恐れた男

外務省外交史料館に30年以上勤務している著者は、杉原が任地から送った公電や、報告文書などの史料を学術的に調べ上げ、客観的な分析で杉原の実像に迫った。

杉原は外務省留学生として、ソ連の国境に近い、ロシア人が造った都市ハルビンでロシア語を学んだ。ロシア革命でソ連政権の迫害を逃れてきた「白系露人」らとの親交を深め、ロシア情報の人脈を広げていく。

満州国が1932年(昭和7年)に建国されると、同国の外交部(外務省)に移籍となり、対ソ外交を担当。ソ連と共同経営していた「北満鉄道」の満州国側への譲渡交渉で、杉原はソ連の要求額の約5分の1で決着させた。それは、杉原が白系露人を中心としたネットワークを使い、ソ連が貨車を持ち出している実態などをつかみ、ソ連側に突き付けたからだ。貴重な情報を入手し、精査して役立てるインテリジェンス・オフィサーならではの成果だった。

翌年、ソ連大使館に2等通訳官としての勤務を命じられたが、ソ連は一大使館員にすぎない杉原の入国を拒否した。以前の交渉で見せつけられた杉原の実力を警戒し、ソ連は「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」としてビザを出さなかったのだ。

情報戦のカウナスに送り込まれた杉原

杉原は39年8月、大戦前夜の情勢下、バルト三国の一つ、リトアニアの臨時首都カウナスに赴任する。かの地では、独ソ両国に近く、英米をはじめ欧州各国の情報士官や外交官が激しい情報戦を展開していた。後れを取っていた日本政府は、切り札として杉原を送り込んだ。

情報網を整えつつあった杉原のもとに、独ソ両国に分割されて祖国を失ったポーランド亡命政権の情報将校(インテリジェンス・オフィサー)が接触を求めてくる。ポーランドは日露戦争に勝った日本に親近感を抱き、日本が国際連盟を脱退して孤立化した時、国際連盟の貴重な情報を日本に提供するなど、交流が続いていた。

ポーランドには当時、欧州で最多の300万~400万人のユダヤ人が暮らしていたが、独ソ両国に侵攻されたため、多くが隣国のリトアニアに逃れた。ところが、ソ連がバルト三国を呑み込んで併合を目論んでいた。40年6月にソ連は16万人の軍隊を進駐させ、日本など各国に在外公館の閉鎖を命じ、杉原も日本領事館を同8月末までに閉じることになった。

混乱の中で同7月、ユダヤ難民が日本通過のビザを求めて日本領事館を囲み始めた。杉原はそれまで、ユダヤ系住民にビザ発給を求められても、日本の外国人入国令による条件(最終行先国の入国許可と、十分な旅費)を満たさない人には発給を断っていた。本国の法令に従っていたからだ。しかし、ソ連の暴虐を見た杉原は、独ソの迫害に逃げ惑う難民が条件を満たせないことを承知で、ビザ発給を決断する。

初めはすべて手書きだった。1枚でも多くの発給をと、ポーランド人たちが杉原の署名も含めたスタンプを作ったので、大量発給が可能になった。また、この杉原ビザが無効とならないよう工夫した。例えば、ビザに「ウラジオストクで日本行きの船に乗るまでに、行先国の入国許可を取り付け、日本からの船便の予約完了を約束した」というスタンプを押した。領事館閉鎖後にこのことを外務省に連絡し、本省から「以後は」ビザ発給の規則を守るように指示された。これにより、これまで発給したビザの有効性を確保するトリックも使った。

やがて福井・敦賀港に杉原ビザを持った悲惨な姿のユダヤ人が続々と上陸し、日本人を驚かした。筆者はこう述べる。

「杉原は、そのような人々に手を差し伸べることが日本の将来に有益であるとの信念をもっていた。それはインテリジェンス・オフィサーとして培った国際感覚がもたらす優れた先見性でなくして何であろうか」

ナチス占領下のプラハでもユダヤ人を救済

カウナスで数千人を救ったと言われる「命のビザ」を発給した後、40年9月に着任したチェコのプラハでも、ビザ発給を続けた。杉原のプラハ勤務は半年足らずのため、これまでの杉原研究で注目されていなかった。しかし、杉原はナチスの占領下だったこの地でも、同盟国ドイツに逆らい、難民たちを救っていた。

本書で定説がみごとに覆されている。カウナスの「命のビザ」で救われたのは、ナチスの迫害を受けたユダヤ人というのが定説だが、実は前述のようにソ連によるバルト三国併合の犠牲になったユダヤ人が多かった。杉原が本格的にナチスと精力的に戦うのは、プラハからだ。杉原は、20世紀最悪の権力者とも言われるヒトラーとスターリンを相手に孤軍奮闘だったのだ。

また、杉原は41年、プラハの次に東プロイセンの中心都市ケーニヒスベルグ(現ロシア領カリーニングラード)に赴任して、亡命ポーランド政権の情報将校らとソ連国境地帯を踏査。ドイツの車に何度も追跡される危険な調査だった。

ついに森の中で、ドイツの戦車などが隠され、大軍が集結していることを突き止めた。インテリジェンス・オフィサーは素早く分析する。杉原は、不可侵条約を結んでいたはずの独ソ両国の開戦が間もないことを、いち早く日本に打電した。

しかし、当時の日本政府は杉原情報を無視した。杉原の報告通りにドイツがソ連に侵攻を開始すると、日本側は大あわてとなった。その後の杉原はドイツにも警戒され、ドイツから遠いルーマニア・ブカレストの勤務を命じられ、終戦を迎えた。やっとの思いで帰国した杉原は、外務省を退職する――。

本書はなぜ杉原がカウナスにいて、「命のビザ」を発給できたのかについて、新たな観点から解き明かしてくれる。本書はこのほど、日本の優れた書物を英訳出版する内閣府事業の図書に選定され、英訳本が出版された。インテリジェンス・オフィサー杉原の実像が、この英訳本でいよいよ世界に紹介される。

(※白石氏の見解は個人的なもので、同氏が属する機関を代表する見解ではありません)

『杉原千畝 情報に賭けた外交官』

白石仁章(まさあき)(著)
発行:新潮文庫
文庫判:328ページ
価格:605円(税込み)
発行日:2015年10月1日
ISBN:978-4-10-120066-8

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