【書評】“落とし”の名手の対話力:赤石晋一郎著『完落ち 警視庁捜査一課「取調室」秘録』

社会

宮崎勉(連続幼女誘拐殺人事件)、土谷正実(地下鉄サリン事件)など、歴史に残る凶悪犯罪者の自白を引き出したひとりの刑事。なぜ彼らは、死刑になるとわかっても口を開いたのか。警視総監賞を幾度も受賞した名刑事が見せる、落としの対話力とは――。

人はどんな時に、自分の罪を告白したくなるのだろうか。

本書の主人公は、昭和史に残る数々の事件で犯罪者から「自白」を取った名刑事、大峯泰廣。
1948年に生まれ、1972年、専売公社(現JT)から24歳で警察官へ転職し、長く捜査一課に勤めた後、2005年に退職している。

その間、連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勉、地下鉄サリン事件の土谷正実など、取調室に入ってからも頑なに罪を認めようとしなかった人間が、最後は大峯を相手に真実を語り、裁かれていった。

犯罪者が「落ちる」。
警察小説では手に汗握るクライマックスとして描かれることも多いが、現実がそう簡単でないことは容易に想像できる。

言えば最後、死刑が待っているかもしれないのだ。
なのになぜ、あえて口を開く必要がある?

本書を読むと、鍵は名刑事の研ぎ澄まされた鋭い勘と優れた対話の力にあるようだ。

宮崎を相手に「もう分かってるんだ」「お前は社会的に非難されるような犯罪を犯した。違うか?」と畳みかけ、追い込んだかと思えば、土谷には「尊師を救ってやれよ」「お前が言わなければしょうがないだろう」と諭す。

相手が犯人であるという確信をベースに持ちつつ、よく相手を観察し、親の話をしたり世間話をしたり、「すべてを知っているぞ」とある種のはったりをかましたりしながら、じっと”その時“を待つ。

相手によって口調を変え語りかける内容を変え、だんまりを決め込まれてもあきらめることなく対話しながら、相手の気持ちが揺らぐ瞬間を見逃さない。
ここ、と決めたら鋭く追い込む。

“追い打ちをかけると、宮崎はまた黙りこくってしまった。おどおどし始め、生唾を飲み込み、小鼻がピクッと動いた。
こいつは落ちるな――“

 “「……わかりました」
土谷は静かにそう言った。
――サリンを作ったのは、お前だよな?
「……そうです」
とうとう土谷が落ちた“

彼らが落ちる瞬間、なぜかふうっと息を吐きたくなり、自分がそこまで緊張しながら読み進めていたことに気が付く。

まるで教師と生徒のように

著者は「FRIDAY」「週刊文春」など雑誌記者を経て、ジャーナリストとして独立。
会食で出会った大峯が語る逸話に惹きつけられ、取材を始めたという。

著者はあとがきで、大峯の対話力をこう表現している。

 “ときに諭し、ときに叱り飛ばす。まるで教師と生徒のような関係性が、取調室のやりとりからは窺うことができる。その視線は厳しくもあり優しくもある”

著者自身が大峯と話すことに魅力を感じ、もっと話を続けたい、聞きたいと思っているうちに、自然と生まれてきたのが本書なのではないか。

そう思うのは、本書が“昭和の名刑事”が事件を解決に導く栄光譚にとどまらず、警察という大きな組織に感じる葛藤や、ときに生まれてくる犯罪者への同情、今でも残っている悔いなど、大峯の人間らしさが随所に出てくるからだ。

それらを描く著者の視点からは、取材者と被取材者の間の堅い信頼関係と、深く長い対話の積み重ねが伝わってくる。

最近、ビジネスの世界でも「対話」はキーワードのひとつだ。
多くの企業が上司と部下との1on1を取り入れ、旧来の指示命令とは違うコミュニケーションを組織の中に広げようとしていて、傾聴を学ぶ研修も人気だという。

確かに、人と話すことは、ときにとても難しい。
何で分かり合えないのかイライラすることもあれば、驚くくらい最初から意気投合することもある。
知らず知らずのうちに、苦手なタイプとのコミュニケーションを避けていることもしょっちゅうだ。

コミュニケーションの壁をなんとか乗り越えようと、対話のスキルを学ぶ人が増えているのだろう。

名刑事はそんな対話力を天性のうちにか経験のなかでか身につけ、自分の罪については喋るまいとする犯罪者たちを追い詰めてきた。
なにしろ相手にするのは、一筋縄ではいかない奴らばかりなのだ。
並の対話力では、到底かなわない。

そんな大峯との間には、いったいどんな対話が生まれるのだろう。
2年余り酒を酌み交わし、話を聞き続けた著者のことが羨ましくなってくる。

覚せい剤もやる「七人の不良生徒」

序章を含めた全10章のうち、終章だけはまったく毛色が違う。

時代は1980年代半ば、舞台は都内の荒れた中学校。
登場人物は、煙草やケンカはもちろんバイク泥棒に万引き、カツアゲ、覚せい剤までやっている「七人の不良生徒」と、その同級生の父親である大峯だ。

他の章と共通するのは、そこに対話があること。
とはいえそこは凶悪犯罪者と対峙してきた刑事。じっと優しく不良の話に耳を傾けるなんてことはなく、「お前、煙草を吸っていたな!何をやっているんだ!」といきなり殴りつけたこともあるというが、不良たちも犯罪者たちと同じく、大峯との対話を通して口を開き行動を変えていった。

この終章があることで、本書はぐっと深みを増す。

そこに出てくるのは、幾多の犯罪者を自白に導いた強面の名刑事ではなく、相手を理解し、話を続けることで気持ちを動かしていくことができるひとりの人間だ。

その存在は、なんだかとても暖かい。

(敬称略)

「完落ち 警視庁捜査一課「取調室」秘録」

赤石晋一郎(著)
発行:文藝春秋
四六判:240ページ
価格:1760円(税込み)
発行日:2021年2月26日
ISBN:978-4-16-391358-2

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