【新刊紹介】引きこもりの息子を抱えた家族の肖像:林真理子著『小説8050』
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高齢の元農水事務次官が家庭内暴力の息子を殺害した事件をご記憶かと思う。引きこもりは、何かのきっかけで、恵まれた家庭の子供であっても起こりうる。
本作の主人公・大澤正樹は50代の開業歯科医で、美しい妻・節子と早稲田大学を卒業後、一流損保に就職した娘・由依、中高一貫の私学に通う息子・翔太がいる。傍目には何不自由ない裕福な家庭に映る。だが、息子は中学2年のときに不登校となり、7年間、自室に引きこもったままなのだ。もはや夫婦は我が子を説得するのを諦めていた。
翔太は昼夜逆転の生活を送り、ほとんど家族と顔を合わせることがない。食事は節子が部屋の前に置いておく。夫婦は現実から目を背け、ひたすら何事も起こらないことを願っていた。しかし、由依に結婚話が持ち上がったことから、事態は急展開するのである。
家族の諍いを描かせたら、この作家の右に出る者はいないだろう。
「引きこもりの弟がいるってだけでも大マイナスなのに、暴力をふるう弟がいるってことになったら、私、もう結婚できないかも」(由依)
だから、翔太を施設に預けろと迫る。
「お父さんって、いつもエラそうなこと言うばっかりで、実は何もしないじゃん」
夫婦は互いに責任を擦り付け合うだけで解決策は見つからない。
「お前は専業主婦っていう、恵まれた立場にいたんだ。充分に子供と向き合う時間があったんだ。それなのに息子がまともな道から脱落するのを見落としたんだよ」(正樹)「いつだって自分はエラい、自分の言うことは正しい、って態度だから、翔太はそれに耐えられなかったのよ」(節子)
ついには夫婦関係も破局の危機を迎える。
「あなたって、自分が見てきたものでないと決して信じないのよね。この七年間、私がどんな気持ちでいたかも、まるでわかっていない。私はね、由依の結婚が決まったら、別れてもいいと思ってるの」
挙句、娘はこう言い放つのだ。
「家族なんて、その時の役割を果たしたら、解散したっていいんじゃないの。ママはもう充分にやってきたんだから・・・家族って、そんなに有難がるもんじゃないんじゃないの?」
あることがきっかけで、翔太の引きこもりがご近所や由依の婚約者家族にも知られてしまう。ことここに至り、ようやく正樹は翔太と向き合う覚悟を決めた。引きこもりは、陰湿な「いじめ」が原因だった。息子を立ち直らせるためにとった正樹の行動とは。節子は猛反対するが――。
この作品は、暗く重たいテーマを扱っているが、家族が再生していく物語であり、そこには救済と希望がある。後半、いくつもの試練が正樹と翔太を襲うが、どんでん返しの結末を用意する作家の仕掛けは鮮やかで、読後、穏やかな感動が残る。
私としては、正樹が自問自答するこのセリフ、
「自分はそれほど駄目な夫だったのか。たぶんそうなのだろう。自分は父親としても失格だったが、その前に夫としても最低ということか。まるで価値のない人間ではないか・・・」
他人事とは思えなかった。
新潮社
発行日:2021年4月30日
新書版:397ページ
価格:1980円(税込み)
ISBN:978-4-10-363111-8