【書評】世界は自分が思っているより広い:鈴木武蔵著『ムサシと武蔵』
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武蔵は、出版社から本書の企画を打診された際、時期尚早だと思ったという。「自分はまだまだサッカー選手として発展途上にあるから」と。
その気持ちを変えたのは、16歳の頃から自分を取材してくれているノンフィクションライターの安藤隆人氏のアドバイスだった。
「今、世の中で差別や偏見に対する議論が頻繁(ひんぱん)に行われている。武蔵選手がそれに対してストレートに主張するのではなく、自分が何を感じて、どう生きてきたかをリアルに伝えることはとても意義があると思う」との安藤氏の励ましを受け、「よくあるアスリート本ではなく、自分の色を出して、自分にしか出せないメッセージを伝えよう」と決心したという。
武蔵は小学校の入学に合わせ、母親と弟と一緒にジャマイカから群馬県太田市に移り住んだ。1年生の頃は、皆まだ無邪気で仲良く遊んでいたが、3年生に上がったあたりから、周囲の反応が変わっていく。休み時間も放課後も武蔵のそばから人がいなくなった。そして肌の色のことを揶揄(やゆ)されるようになる。
「おーい、ハンバーグ!」
「ハンバーグと言うよりウンコだな!」
最初は誰のことを言っているのか、分からなかった。キョロキョロしている武蔵に、言葉の投石は激しさを増していく。悔しくて、悔しくて、時にはいじめっ子に向かって行った。でも、反抗すればするほど、彼らのいじめはエスカレートした。
やがて、武蔵はこう考えた。感情をぶつけ合ってけんかしたり、言い争ったりすることは、何のメリットもない。むしろデメリットばかりだ。それからは何を言われても沈黙を保った。自分をこれ以上傷つけないために……。そして毎日、鏡の前の自分を見つめて思った。
「僕は黒いからダメなんだ。白くなれば、こんな視線や言葉を浴びなくていいんだ。白くなりたい。どうやったら、僕はみんなのように白くなれるんだろう」
ムサシという名前は、母が大好きな宮本武蔵のようにたくましく、日本人の精神を持って育ってほしいという願いを込めて付けてくれた。でも、姿かたちも周りの日本人のようになりたかった。考えあぐねた末に、「シッカロール」を全身に塗り付けてみたり、天然パーマをヘアアイロンで何度何度も引き伸ばしたりした。
「ハーフで黒人=人と違う=悪」――そんな武蔵の「自己否定」を消してくれたのがサッカーだった。
武蔵は幼い頃からかけっこが大好きだった。日本に来てからも、その足の速さは、唯一誰もが認めるところだった。父親から受け継いだ身体能力は、武蔵にとって強みであり、サッカーでも生きた。
チームメイトは、自分が速く走れば走るほど、チームのために頑張れば頑張るほど、笑顔を見せてくれる。仲間として受け入れてくれる。見た目に関係なく、自分は周囲から認められる存在になれる、と初めて思った。
こうして武蔵は、自分が作り上げた外部との「殻」を少しずつ破りながら、桐生第一高校卒業後、Jリーグのアルビレックス新潟、V・ファーレン長崎、北海道コンサドーレ札幌でキャリアを積み重ね、ついに2019年、日本代表(A代表)のユニフォームに袖を通す。
確かに武蔵の成功は、その並外れた身体能力に加え、逆境を負けん気の強さで乗り越える精神力に負うところが大きい。だが、本書を読み進めるうちに、武蔵が本当に恵まれていたのは、実は、自分が持っていた強烈なコンプレックスを常に肯定し続けてくれた家族やサッカー関係者や仲間たちの存在だったことに気づく。
たとえば、U-16日本代表監督として、当時まだ無名だった武蔵の将来性を見抜き、その潜在能力を引き出そうと努めた吉武博文。「武蔵が周りに合わせるのではなく、周りが武蔵に合わせることが大切だ」と思った吉武は、合宿のミーティングで選手たちによくこう話したという。
「いいか、人間は生い立ち、文化、肌の色が違っても、根本は同じなんだ。だから、見た目が違っても、新しく入ってきた人間が力を発揮できる環境をつくることが大事だ。みんなもこの先、どこかで必ず逆の立場になることがある。そういったときに、普段から他人のことを思いやっていないと、自分も受け入れてもらえなくなる」
人と違うことに思い悩んできた自分だからこそ、似た境遇の人や、逆境に立っている人の思いが分かる、と武蔵は言う。彼によれば、一番つらいのは、周りから「浮いている」という感覚だ。それが嫌でしかたがないから、反発したり自分を押し殺したりする。周りに染まらないといけない、という強迫観念にとらわれる。
「今思うと、そんなことはしなくてもよかった。どうあがいても僕は純粋な日本人にはなれないし、それは変えられない事実なのだ。でも、幼ければ幼いほど、見えている世界は狭いし、苦しみも大きい。だから、周りの人間が『もっと外を見よう、世界は自分が思っているより広いよ』ということを気づかせてあげてほしい」
自らがたどってきた道を読者に疑似体験してもらうために、ありのままの自分を本書に出したという。
武蔵は2020年8月から、ベルギー1部リーグのKベールスホットVAでプレーしている。
日本代表になっても、自分を真の日本人として認めない人間は少なからずいる。シュートを外したり、ゴールを決められなかったりすると、「ジャマイカ代表でプレーしろ!」などと馬事雑言が飛ぶ。
だが、今の彼には、こうした誹謗中傷に対しても感謝しようとする謙虚さがある。なぜなら、こうしたバッシングを受けることで、反骨心が心の底から湧いてきて、さらに頑張れるからだ。今回の欧州での武者修行も、一切の甘えが許されない環境に身を置き、孤独と不安に打ち勝ってこそ、大舞台でも実力を発揮でき、日本代表でも生き残っていけると思ったからだ。
2022年カタールW杯出場を目指し切磋琢磨を続ける傍ら、武蔵はいじめや差別に苦しむ人たちを温かく見守っている。
「僕にとっては、たまたま別世界がサッカーだっただけ。ほかのいろいろなスポーツ、文芸、音楽、芸術、天体、医学、科学、料理、アニメ、なんだっていい。それぞれの好きなものを見つけて、それを大切にしてほしい。つらいことがあったら、逃げてもいい。(本当に好きなことに)没頭すればいい。そうすれば、その世界でつらいことを忘れることができるし、新しい学びもあるし、逆に新しい困難に立ち向かうことができる」
『ムサシと武蔵』
鈴木武蔵(著)
発行:徳間書店
四六判:224ページ
価格:1650円(税込み)
発行日:2021年3月1日
ISBN:978-4-19-865205-0

