【書評】「ヤルタ密約」情報は軍上層部に届いたか:佐々木譲著『ストックホルムの密使』

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太平洋戦争末期、日本はソ連を仲介役とする終戦工作に固執していた。しかし、スウェーデンに駐在する武官が、ソ連の対日参戦を裏付ける決定的な情報を摑んだ。史実にもとづいた本書では、海軍武官が本国に極秘電を打つとともに二人の密使を送り出した。はたして、日本を滅亡から救う重大情報は軍上層部に届いたのか――。

「どんな情報も、受けとる側に受けとるための感受性と認識がなければ、ただの雑音にしか聞こえません。やっとこの数日、日本にも、武官の情報を受け入れる素地ができたんです・・・」

 玉音放送の翌日、海軍省の文官で終戦工作に携わっていた山脇順三は、ストックホルムから送り出された密使・森四郎にそう語った。
 日本は、米軍の原爆投下もソ連の参戦も回避することはできなかった。重大情報は役に立たなかったのか。
 あらためて読み返してみると、現下の菅政権の迷走もかくや、と思わせるセリフである。

 本作は、佐々木譲氏による戦争3部作『ベルリン飛行指令』『エトロフ発緊急電』に続くシリーズ掉尾を飾る物語である。書き下ろし単行本が出版されたのは1994年10月のことで、以後、文庫化されていまでも版を重ねる名作だ。
 本作は、実際にあった史実をもとに、そこから壮大な物語が展開される。あらすじを紹介する前に、まず、もととなった事実から説明しておきたい。それが頭に入っていると、ぐいぐい読書が進む。キーワードとなるのが「ヤルタ会談の密約」である。

「ドイツの降伏より三カ月後」

 1945年2月4日、米国のルーズベルト大統領、ソ連のスターリン首相、英国のチャーチル首相ら連合国の三巨頭がソ連のクリミア半島にある保養地ヤルタに集まった。そこでドイツ敗戦後(ドイツの降伏は5月8日)の欧州の戦後処理について会談がもたれ、2月11日、ヤルタ協定として発表される。

 だが、ヤルタ会談の隠れた核心は、ソ連の対日参戦にあった。米英は、ソ連が速やかに対日参戦する見返りとして、日本領南樺太、千島列島など極東権益の割譲を保証し、スターリンは「ドイツの降伏より三カ月後」に日本と戦端を開くことに同意した。しかし、当時のソ連は日本と日ソ中立条約を結んでいため、その内容は当事者間だけの秘密協定とされ、厳重に秘匿されたのだった。

 日本はこの密約にまったく気づいていなかったとされている。それどころか、敗色濃厚となったこの頃、政府と軍統帥部は、ソ連を仲介役として米英連合軍と終戦交渉を行うことを模索していたのだ。2月のヤルタ密約の中身を摑んでいれば、ソ連の仲介など望むべくもなかったはずだ。

 しかし、史実はそれ以降もソ連との交渉が検討されていた。6月18日、最高戦争指導会議でソ連仲介による和平工作が正式決定され、天皇の親書を携えた特使をモスクワに派遣することまで決まる。一方のソ連は、8月8日に満州への侵攻を開始するまで参戦の意図を隠し通し、日本への確たる回答を引き延ばし続けたのであった。

ヤルタ密約情報を入手した海軍武官

 だが、このヤルタ密約の情報を会談直後に入手し、スウェーデンから機密電報で日本の参謀本部に送った人物がいたのである。
 このあたりの秘話は、産経新聞論説委員である岡部伸氏の著作『消えたヤルタ密約緊急電』(新潮選書2012年刊)に詳しい。同書は近年になって公開された米英日の公文書や証言の数々を丹念に積み重ね、その内幕をつまびらかにした労作である。ここは同書を参考にして記述したい。

 ソ連参戦の重大情報を入手したのは、帝国陸軍のストックホルム駐在武官だった小野寺信少将である。同書によれば、小野寺は、大戦前からポーランドやバルト三国に独自の情報網を持ち、かの杉原千畝が築いた情報網を引き継いでいた。連合国側からは「枢軸国側諜報網の機関長」と恐れられた伝説の「諜報の天才」だった。

 ヤルタ会談直後、小野寺は「ドイツ降伏から三カ月後にソ連が対日参戦する」という極秘情報を得た。上記の「スギハラ・ネットワーク」が見事な成果をもたらしたのである。それは、当時、英国に在ったポーランド亡命政府に連なる情報網が掴んだ超ド級のインテリジェンスだった。
 はたして国家の命運を左右する重大情報である。小野寺は、この情報を特別暗号に組んで、急ぎ東京の大本営参謀本部に電報で送った――。

パリで「バロン」と呼ばれる博打打ち

 そうした史実を踏まえ、佐々木譲氏はどう物語を展開していくか。まず、主要な登場人物から紹介したい。

 帝国海軍スウェーデン駐在武官の大和田市郎は、大本営海軍部からソ連軍の動向を調査するよう命じられていた。彼が頼りにしていた情報源が、ポーランド軍の情報将校であるコワルスキである。彼はポーランドからバルト三国にかけての諜報網を統括し、ソ連情報を収集していた。

 1939年9月、ポーランドはドイツに侵略された。
 ゲシュタポに追われたコワルスキはストックホルムに逃れ、日本帝国海軍駐スウェーデン武官室の雇員となり、大和田のためにソ連情報を流し続けた。
 44年6月、いよいよゲシュタポの手が迫るにおよび、コワルスキは大和田の助けを借りて、無事、英国ロンドンに渡る。そこでポーランド亡命政府の情報将校として諜報活動を継続し、大和田へ連合軍の情報を送っていた。
 だが、45年5月、ドイツ降伏とともにポーランドに親共産政権が誕生し、亡命政府は消滅。コワルスキは再びストックホルムに戻るのだった。

 もうひとり、重要な登場人物が彼らと交錯する。パリで「バロン」の愛称で呼ばれていた博打打ちの森四郎である。彼は祖国を捨てた根無し草で、斜に構えたニヒルな男として描かれているが、これがなかなか魅力的な人物である。
 彼は孤児院育ちで天涯孤独の境遇だった。12歳のときにさる男爵に引き取られ、のちに男爵の経営するホテル・チェーンの使用人として働き始める。上海のホテル勤務時代に英語と仏語を覚え、1934年パリのホテルに派遣された。

 しかし、四郎は男爵の怒りを買い、解雇されてしまう。日本からやってきた美貌のソプラノ歌手と、パリ在住の日本人で共産主義者の舞台演出家のモスクワへの逃避行を手助けしたからだ。帰国命令に逆らったことで日本の旅券は無効となり、四郎は伝手を頼ってトルコ旅券を手に入れ、以降、博打を打ちながらその日暮らしをしている。
 このソプラノ歌手との縁が、のちに四郎を窮地から救うことになる。

 本作の冒頭は、この森四郎がゲシュタポに連行されるところから始まる。
 44年6月、彼は、ナチに抵抗するレジスタンスの若い男と関わった疑いをもたれ、取り調べを受けている。その男は拷問死している。四郎はシラを切るが、もうひとり、旧知の老人が拷問されているところを見せられるにおよび、彼は老人を救うために容疑を認めることになる。ニヒルではあるが、正義感の強い男なのだ。四郎はパリからベルリンに、身許調べのために送還される。

スウェーデン国王が和議の仲介

 45年1月、ドイツ軍は敗走を重ね、連合軍によるベルリン空襲は日常になっていた。ソ連軍はドイツ国境まで迫っている。四郎は国外追放となり、ひとまず中立国のスウェーデンに逃れることにした。スウェーデン駐在海軍武官の大和田市郎との運命的な出会いが待っていた。ヤルタ会談が開かれるのは、ほどなくした翌月4日のことである。

 ここからが物語序盤のヤマ場である。 
 大和田のもとに、ロンドンのコワルスキからヤルタ密約に関する情報が寄せられた。それは戦慄すべき内容だった。
 ことの重大性に鑑み、大和田は、急ぎ特別暗号電を組み、本国の及川古志郎軍令部総長宛てに送った。その内容は、

二月十九日、ロンドンより「ク」情報あり、情報によれば、連合国はソビエト連邦ヤルタに於ける会談上、ドイツ降伏から三カ月後にソ連対日参戦の密約を交わすに至れり・・・

「ク」とは、コワルスキの別名ミハエル・クリコフの略号である。

 大和田には懸念があった。これまで「ク」情報として、「ドイツ軍の英国本土上陸はない」「ドイツ、ソ連侵攻」「ドイツ軍、モスクワ攻略は不可能」といった情報を送り続け、その正確性はのちに事実で裏付けられるものだったが、なぜかこうした事前情報はまともに検討された形跡がなかったのだ。この重大情報は、軍令部総長のもとに届くのか――。

 はたして、大和田の送った緊急電が検討された様子は、本国から伝わってこなかった。日本の敗色は濃厚となっているが、軍部の徹底抗戦の姿勢は変わらない。英国王室と関係の深いスウェーデン国王は、日本の天皇の心中を慮り、中立国スウェーデンが和議の仲介の労を取る用意があると大和田に伝える。彼はその言葉を本国に伝えるが、外務省から外交交渉案件に手を出すなと抗議を受けた。7月、スウェーデン科学アカデミーの理事からは、米国が原子力爆弾の実験に成功した旨を知らされた。

 原爆が投下され、ソ連が参戦すれば日本は滅亡である。電文だけではこの危機的な状況を本国に伝えることはできないだろう。大和田は、森四郎とコワルスキを密使として送り出すことにした――。

「多かれ少なかれ、二重スパイなんだ・・・」

 ここまでは壮大な物語のほんのお膳立てにすぎない。ここからのダイナミックな展開が作者佐々木譲の真骨頂であり、本作の最大の読みどころである。

 2人の密使はひとまず中立国スイス・ベルンにある日本公使館を目指すが、戦禍で交通網が寸断された欧州を縦断するのは容易なことではない。ましてや連合軍の占領下である。大和田が密使を送ったことは米国の情報機関に筒抜けとなり、2人は追われる身となる。
 ベルンの公使館では金目当ての詐欺師扱いされ、まったく相手にされなかった。もはや確実にこの情報を伝えるためには日本へ行くしかない。しかし、どうやって。

 この物語にはいくつもの名場面がある。
 大和田から密使となることを懇願された森四郎は、断固として拒否する。

「日本が滅びることに、何の痛みも悲しみも感じないか」
「だからなんだっていうんです。わたしは、日本という国家からはどんな庇護も受けず、また庇護を求めずに生きてきた・・・」

 コワルスキも交えたこのあたりのくだりでは、「祖国」というものについて考えさせられるだろう。そんな四郎は、どうして密使となることを引き受けたのか。

 タフな男コワルスキは頼りになる相棒である。ベルンで2人は米国情報部員との銃撃戦を切り抜け、ソ連大使館へ駆け込んだ。そして、ソ連の特使が乗る軍用機に便乗してモスクワに渡るのだ。どうしてそんなことが可能になったのか。
 コワルスキはソ連とも通じていた。彼は平然と言う。

「スパイというのは、多かれ少なかれ、二重スパイなんだ。情報のギブ・アンド・テイクが活動の基本なんだよ・・・」
「あんたのほんとうの敵は、いったいどこなんだ。ロシアなのか。ドイツなのか?」

「いいか」とコワルスキは、出来の悪い生徒を諭すような調子で言った。
「ロシアもドイツも、共にポーランドの敵だ・・・しかし情報将校としては、敵の敵は味方なんだ。わたしは、必要に応じて、どちらとも手を組むよ。握手をし、酒を贈り、便宜をはかってやる。ポーランドのためになるなら、どちらにでもだ」
「理解しがたい世界だな」四郎は首を振った。

「陸軍は、この国そのものです・・・」

 本作では、同時並行してもうひとつの物語が進む。
 重要な役回りを演じるのが、海軍大臣の米内光政大将と海軍次官・井上成美から戦局の後始末について研究を命じられる海軍省の文官・山脇順三である。彼の行動を通して、政府、軍統帥部の動きが克明に綴られていく。

 国体護持の上での無条件降伏を模索する山脇の身辺はきな臭くなっていく。彼には陸軍東京憲兵隊の監視がついていた。秋庭少佐と磯田軍曹である。前作『エトロフ発緊急電』で、米国情報機関が日本に放った日系二世の工作員を追い詰めたコンビと言えば、ご記憶のむきもあるだろう。

 山脇と秋庭との大戦をめぐる論争も印象的である。少しだけ抜粋すると、

「・・・戦争は、どの局面でも軍部の独走から拡大していった。あるいは軍部の方針を、政府はつぎつぎに追認せざるをえなかった。満州事変、上海事変、三国同盟、あげく、あの日米間の緊張でした」
「あなたは海軍省の文官で、東京帝大を出た学士さんだ。あなたの目から見るなら、陸軍はきっと、野蛮で粗野な、道理のわからぬ連中の群れとしか見えていないのだと思う・・・しかし、わたしに言わせるならば、陸軍は、この国そのものです。その野蛮さも粗野さ加減も、道理の通じぬ体質も・・・」

 磯田軍曹は山形の小作農の出身で、8人兄弟の6番目だった。秋庭は言う。

「磯田は、帝国陸軍の兵隊のひとつの典型です。磯田のような兵隊が、我が陸軍を作っているんです。陸軍とは、そういう貧しい日本そのものです・・・エリートのあなたには見えていない日本だ。そしてこの戦争に陸軍の責任があるとしたら、それはこの社会が、磯田のような日本男児、あのような誠実で勤勉な男たちに、ろくな飯を食わせてやらなかったからだ・・・」

 3月9日夜のことである。秋庭による山脇の取り調べは深夜まで続いたが、まもなく東京大空襲が始まった。

誰が機密電文を握り潰したのか

 大和田武官の送った電文はどうなったのか。
 それは確かに本国に届いてはいた。海軍省に届けられた特別暗号電は、平文に解読され、担当士官である大佐にわたった。しかし――。

「燃やしてしまいますか」
「そういうわけにもゆくまい。すでに閲覧ずみとして、綴りの中に埋めてしまえ。綴りこんでしまえば、人の目には触れない」
「次長と総長の認印が必要ですが」
「副官の認めでいい。おれがやる・・・この電報の件は他言無用だ」 

 では、史実の世界ではどうだったのか。
 前掲『消えたヤルタ密約緊急電』によれば、小野寺少将は、当然、機密電文は参謀本部に届き、軍上層部はヤルタ会談での密約を承知しているものと思っていた。しかし、この小野寺電が上層部で検討されたことはなかった。その事実を小野寺自身が知ったのは、終戦から38年を経てからのことであったという。いったい誰が貴重な情報を握り潰したのか。その理由は何なのか。
 著者である岡部伸氏は、膨大な資料と証言をもとに検証していった結果、ある人物に行き当たるのだ。

 本作では、陸軍を海軍武官と置き換えている。ここは是非とも極上のエンタメ作品を堪能した上で、実際の裏面史にも思いをはせてほしい。陸軍のなかにも戦争継続に反対し、独自の終戦工作を担った小野寺信少将という武官がいたことは特筆すべきことである。

 岡部氏は、過去に当サイトでも小野寺の業績を8回にわたって連載しているので、こちらも参考にしてほしい(2019年12月より「連合軍を震撼させた『諜報の神様』」)。

『ストックホルムの密使』

佐々木譲(著)
発行:新潮社
文庫版:上巻483ページ、下巻437ページ
価格:上巻710円(税別)、下巻630円(税別)
発行日:上下巻とも1997年12月1日
ISBN:上巻978-4-10-122315‐5、下巻978-4-10-122316‐2

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