【新刊紹介】芥川賞受賞の東日本大震災鎮魂の物語:石沢麻依著『貝に続く場所にて』

Books 気象・災害 Opinion 3/11 社会

本書は2021年上半期の芥川賞受賞作品。著者を思わせる主人公が西洋美術史研究のため留学中のドイツを舞台に、多くの犠牲者を出した東日本大震災や、コロナ禍の影、現地のナチスの傷跡などが絡み合い、鎮魂の物語が静かに展開されていく。

「私は半ば顔の消えた来訪者を待ち続けていた」。ドイツ中部の大学都市ゲッティンゲンにいる主人公「私」のもとに、9年前の東日本大震災で行方不明となった知人が訪れることから始まる。

コロナ禍で今や異国でもマスク姿は日常化しているが、知人の顔が半ば消えているのには理由がある。マスクを外して再会のあいさつをしたが、“お久しぶりです”とおぼしき言葉は声にならず、あいまいな笑みの口元は小さく崩れていった。彼は幽霊なのである。

東日本大震災の当日、仙台にいた私は海から離れていたので無事だった。しかし、同じ大学の研究室仲間の彼は石巻の実家にいて、家族全員が津波に飲み込まれた。それから9年間、私は大震災を忘却していくことに罪悪感を持つ。

そんな二人が長年の空白を経て、コロナ禍のロックダウンから解放されて間もないゲッティンゲンの街を歩く。私は彼がこの地を訪れた理由に思い当たる。震災後、研究室で彼が愛読していた寺田寅彦の随筆集が見つかったが、その寺田寅彦がかつてドイツ留学中に、4カ月ほどゲッティンゲンに滞在していたのだ。

この地はまた、戦前にはナチスの指示のもとで焚書(ふんしょ=書物の焼き捨て)が行われ、ユダヤ人を迫害し、第2次世界大戦では8度の空襲に遭った過去を持っていた。本書にはドイツ人を含め、痛みの記憶を抱えた人々が登場する。

この作品には、会話の具体的なやりとりを示す「 」がほとんどない。私の背中に歯が生えたり、寺田寅彦を思わせる「寺田氏」が現れたり、次々に起きる不思議で幻想的な現象も、そして私と彼との会話も、すべて私の心の中の出来事だからだろう。

ドイツの留学先で、私は彼と同じ時を過ごしながら、時空を超えて、大震災のことを繰り返し思い出す。彼のようにまだ見つからず「還れない人」、海に消された人々を今も探し続ける人たちを思い、私は初めて心から、彼が還ることのできない哀しみと苦しみを感じた。

少々難解な物語だが、精読してみると著者の磨かれた文章が満ちているのに気付くことになった。

講談社
発行日:2021年7月7日
151ページ
価格:1540円(税込み)
ISBN:978-4-06-524188-2

本・書籍 東日本大震災 芥川賞 ナチス 新刊紹介 新型コロナウイルス