【新刊紹介】江戸の情報屋が「シーボルト事件」に挑む:梶よう子著『噂を売る男―藤岡屋由蔵』

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異国船打払令が出た3年後の文政11年(1828)に起きた「シーボルト事件」。国禁の日本地図などが海外に持ち出される寸前に発覚し、多くの処罰者を出した鎖国下の大事件に、その噂をつかんだ「情報屋」が真実を追いかける。

江戸は神田のある足袋屋の軒下に、むしろを敷いて座っている「藤岡屋由蔵」。古本を売るほかに、もう一つ商売をしていた。噂や風聞を、各藩の武士や奉行所の役人らに売っていたのだ。

「国禁の地図が何者かによって城内から持ち出され、異国人に手渡された」。由蔵はこんな噂を知る。この頃は大きな異国船がたびたび現れ、「日の本」を狙っていると言われていたから、幕府は日本地図が外国に渡ることを警戒していた。この噂が事実なら、関係者が死罪となるのは間違いない。

しばらくして由蔵の家に、幕府天文方(てんもんかた)に勤めるという男が突然訪ねてきた。天文方は毎年の暦を作ったり、洋書の翻訳や天体の観測などを行ったりする研究機関で、男は蘭書を和訳する仕事をしているという。

「この私の噂はお手許(てもと)に入っておりませんかな」「私は誰かにつけ狙われている」。男の声が震えていた。

2年前、長崎出島のオランダ商館長の一行が江戸参府にやってきた。商館の医者でドイツ人の「しいぼると」もいた。一カ月弱の江戸滞在で、一行の宿には天文方の役人や文人墨客が次々と入っていった。ある座敷で、地図らしきものを見ていた異人がいたという話を由蔵は聞く。

物語の半ばから、探検家として知られる間宮林蔵が登場する。海外に持ち出されようとしているのは、伊能忠敬の正確な日本地図だが、間宮は伊能の弟子で、この地図の蝦夷地(えぞち=北海道)部分は、林蔵の測量によるものだった。

事件に巻き込まれた弟分を死なせてしまった由蔵が、時には間宮林蔵と対峙しながら、真相に迫っていく。6年前に直木賞候補になったこともある著者のサスペンス風な展開は、読み応えある。

シーボルト事件は以前、禁制品を積んだ船が暴風雨で座礁し、積み荷から地図などが見つかったとされていたが、近年の研究でこれは後日の創作であるとされた。本書は新説に近い時代小説で、その点からも読者を楽しませてくれる。

発行:PHP研究所
発行日:2021年8月10日
331ページ
価格:1980円(税込み)
ISBN:978-4-569-84995-9

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