【書評】“カミングアウト・ソング”説の真相に迫る:菅原裕子著『「ボヘミアン・ラプソディ」の謎を解く』

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英国を代表するロックバンド、クイーン(Queen)が誕生して今年で50年。今なお彼らの音楽は世界中で愛されている。中でも名作とされるのが「ボヘミアン・ラプソディ」だが、実はこの歌には、1991年に45歳の若さで亡くなった伝説のボーカリスト、フレディ・マーキュリーが自らのセクシュアリティ(性的指向)をカミングアウトしたのではないかという仮説が存在する。本書は、洋画&洋楽好きが高じて現在、名古屋市の大学で英語授業を担当する著者が、その「謎」解きに挑んだ労作である。

20世紀を代表する不朽の名曲

「ボヘミアン・ラプソディ」は、1975年に発売された4作目のアルバム『オペラ座の夜』に収録され、同年10月にシングルカットされた。「ガリレオ♪ガリレオ♪」の高音の叫びが印象的なオペラ・パートをはじめ、バラード・パート、アカペラ・パート、ハードロック・パートなど複数のパートから成っている。

ラジオで流れることを前提に、シングル曲の長さは3分ほどが標準だった時代。約6分という異例の長さに、シングルカットに異を唱えるスタッフも少なくなかったというが、結果的には、全英シングルチャートで9週連続1位を達成するなど世界的に大ヒット。1999年、英国で放送された音楽特別番組「過去1000年で最も重要な曲」では、ジョン・レノン「イマジン」、ビートルズ「ヘイ・ジュード」を抑えて第1位に選ばれた。

2018年には同楽曲をタイトルに冠した映画も大当たり。1970年のクイーン結成から1985年のライヴエイド(アフリカ難民救済を目的に、ロンドン郊外ウェンブリー・スタジアムなどで開催されたチャリティコンサート)出演までを描いた伝記映画で、同年度のアカデミー賞ではフレディ役のラミ・マレックが主演男優賞を獲得するなど4冠に輝いた。

「ママ、僕は人を殺したところだ」

菅原さんが「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞にまつわる、あるウワサを知ったのは、映画の公開より少し前のこと。ラジオ番組の中で、ある著名映画評論家が語ったもので、それによると同曲は、フレディがひそかにゲイを表明したカミングアウト・ソングなのだという。

問題とされたのはバラード・パートの冒頭、フレディが歌う“Mamaaa,just killed a man,”の一節。「ママ、僕は人を殺したところだ」との告白で始まり、僕はもう行かないといけない、皆と別れて真実に顔を向けなければいけない……と謎めいた歌詞が続く。これは、フレディが殺したのは過去の自分自身、すなわちストレート(異性愛者)であり、これから先は本当の自分(同性愛者)と向き合って生きていく――との決意表明に読み解ける、というのだ。

菅原さんはクイーンのコアなファンではなかった。ただ彼らの曲はよく聴いていた。ホール&オーツ、デュラン・デュラン、カルチャー・クラブ、ビリー・ジョエル、マイケル・ジャクソン……百花繚乱(ひゃっかりょうらん)のごとくスターたちが輝き、日本でもMTVブームに乗って洋楽が人気を博していた80年代、彼女もその“洗礼”を受けた一人だった。

カミングアウト説は初耳だったが、クイーンをよく知る者には“主流”の説だという。フレディがゲイだったのは、映画の中でも描かれているように今となっては公然の秘密といっていい。だが、楽曲が発表された1975年当時、同性愛を公にするのは極めて難しかった。ゆえにフレディは曲に仮託したのだ、と。

こうした仮説が生まれた背景には、フレディ(出生名ファルーク・バルサラ)がパールシーと呼ばれるペルシャ系インド人の少数民族の出で、性的指向に対しても厳格なゾロアスター教の家庭で育ったこともあるようだ。時代的に見ても、英国(イングランドおよびウェールズ)で21歳以上の男子同士の同性愛行為が合法化されたのは1967年のこと。70年代の英国は、ゲイ解放運動が生まれてまだ日が浅かった。

“端緒”はミュージカル界の大御所

でも、本当にその仮説は知られているのか? 根が天邪鬼(あまのじゃく)という菅原さんは、うわさの根源を調べようと思い立つ。

彼女の熱意を支えたのは、映画『ボヘミアン・ラプソディ』に共感し、フレディの生き方に励まされた、新たなクイーンファンたちだった。

2019年7月、菅原さんは名古屋市の南山大学で「クイーンの名曲『ボヘミアン・ラプソディ』の謎を解く」と題してサマーセミナーを開催する。終了後、受講者アンケートに目を通すと、中高生から70代まで110人の受講者がフレディやメンバーたちに寄せて熱い思いを綴っていた。この時の驚きが、「フレディの残した謎を巡る旅を一冊の本にまとめたい」との思いの原動力となったという。

まずは、仮説を最初に口にした人物を特定しよう。菅原さんのリサーチは徹底していた。ドキュメンタリー番組や書籍、記事だけでなく、SNSやブログなどネット上の情報もフォローする。情報源の大半は英文。ネット情報は転載に転載を重ねられており、どこから転記されたのか、一つ一つその出典をたどった。

綿密な調査の末に、カミングアウト説の口火を切ったのはティム・ライスである、と彼女は結論付けた。ライスは『ジーザス・クライスト・スーパースター』『ライオン・キング』などを手掛けたミュージカル界の大物作詞家。彼はフレディと親交はなかったが、当代随一の作詞家として、そう解釈した。

ただライスは、それはあくまで自分の考え、とも断っている。彼の仮説をメディアで積極的に広めた「張本人」がいるはずだ――菅原さんに新たな標的が生まれた。そして、音楽ジャーナリストのレスリー・アン・ジョーンズにたどり着く。彼女は2012年8月、米シカゴのLGBT新聞に寄稿した記事の中でライスの見解を取り上げたほか、フレディのセクシュアリティに関して各メディアや講演で発信していた。

「時代の産物」としてのカミングアウト説

だが、ここで菅原さんの心の中に思わぬ変化が現れる。書評新聞『週刊読書人』10月15日紙面で、詩人・文芸評論家の林浩平氏と本書について対談した彼女は、次のように話している。

「無責任ですが、調べれば調べるほど(仮説の真偽については)どっちでもいいという気持ちになっていきました。カミングアウト・ソングか否かは、結局フレディにとっての真実というよりも、受け取る側の在り方なのではないでしょうか。その受け取り方の差がどこから生まれるのかのほうが私には不思議です」

唯一、明らかなのは、「ボヘミアン・ラプソディ」についてクイーンのメンバーが直接何かを語ったことはない、ということだ。それは、カミングアウト・ソングであることやフレディがゲイであることを彼らが認めていない、という意味ではなく、メディアの問いにノーコメントを貫いたということだ。フレディのセクシュアリティに気づきながらも彼のスタイルを尊重した、と菅原さんは受け取っている。

そうだとすれば、なぜジョーンズは不確かな仮説を流布したのか――菅原さんの関心は、仮説の真偽よりも仮説を広めた彼女の思惑、意図に向かっていく。ひょっとしたらジョーンズに何らかの悪意があったのではないか。はたまた、スターの秘密を暴くことで自ら脚光を浴びたいという自己顕示欲があったのではないか……。

こうしてフレディの残した謎を巡る旅に付き合ううちに、読者もカミングアウト説自体が「時代の産物」であることに気づくだろう。

菅原さんは最終的に、カミングアウト説が広まりつつある現状に関して、彼女自身が導き出した「仮説」をこう語っている。

しかし重要なのは、その背景にあるのはさきほど述べたような「悪意や興味本位」といった人間のダーク・サイドだけでなく、「今はもう、マイノリティを受け入れる世の中になったんだよ。フレディ、あなたは苦しんだけれど、その痛みを知った私たちはあなたを受け入れる。私たちは以前とは違う、よりよい世界に住んでいるのだ」と。または「そのような社会でありたい」という私たちの願いなのではないだろうか。(中略)元々のカミングアウト説の発生と広がりは「ダーク・サイド」によるものだったにもかかわらず、今後その一端を担っていくのは私たちの「善き面」で、そのことはまだそれほど顕在化していないのではないか……。

「ボヘミアン・ラプソディ」の謎を解く

菅原裕子(著)
発行:光文社
新書判:248ページ
価格:902円(税込み)
発行日:2021年7月5日
ISBN978-4-334-04537-1

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