【書評】「天下」と「本土」のはざまで緊張する東アジア:福嶋亮大著『ハロー、ユーラシア 21世紀「中華」圏の政治思想」

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中国は超大国化し、その強国路線は強まる一方だ。その周縁にある香港では大規模な抗議デモが起きて大混乱に陥り、台湾では脱中国の動きが加速している。作者は「天下」と「本土」という二つの思想の衝突が、この地域の緊張を生んでいる根底にあると指摘する。

ユーラシアを横断する「帝国」の出現

作者は中国文学研究者として立教大学准教授を務めるかたわら、近年、評論家として『復興文化論――日本的創造の系譜』(サントリー学芸賞受賞)『厄介な遺産』など刺激的な作品を発表している。本書は学術的な思想書ではなく、作者自身が「まだ輪郭のぼんやりしているものに探りを入れる」と形容するスタンスで書いたエッセイ風の作品だが、貴重な論点が散りばめられている。

総合すれば、中国の台頭という現実をいまアジアで最も先鋭的に引き受けている台湾・香港の苦悩が投げかける何かを「思想」から掬い取ろうとしている内容である。そして、本書のタイトルの「ユーラシア」には、あくまでもユーラシア大陸を横断する巨大な「帝国」として台頭を見せている中国の存在から向けられた衝撃を、我々はいかに受け止めるかという問いが込められている。

中国ではこのほど、共産党中央委員会第6回全体会議が開催され、かつて2度しか採択していない「歴史決議」を採択し、習近平国家主席への権力集中をさらに進めた。香港問題については「愛国者による香港の統治」を断固実行し、「香港地区の情勢で混乱から安定への重大な転換を行なった」と誇ってみせた。

一見、抵抗運動に対する中国当局の勝利で終わったかに見えるが、香港の人々がこの数年間の苦闘によって我々に突きつけた21世紀の思想的課題である「中国とどう向き合うか」という問題は、まだ十分に整理されたとは言えない。

香港問題が、単なる中国とその周縁における特殊でローカルな政治対立というイメージでしか理解されていない日本に対して、本書は、そこに実は我々21世紀に生きる東アジアの人間たちにとって重要なテーマが隠されていると教えている。

「本土」思想の発源地・香港

中国と対立を深める台湾に関する記述も多いが、やはり読ませるのは「天下」の対立概念と設定された「本土」思想の出現地となった香港への分析だろう。

作者によれば、中国の天下思想は「アメリカ主導のグローバリズムを敵視しつつ、それとは別のユートピア的な世界を正当化する概念」であり、本土思想は「中国の拡張に抵抗し、香港の持つローカルな価値観の『覚醒』を促そうとする概念」であるという。

2019年に香港で起きた事態は、果たして民主化運動だったのか、あるいは革命運動だったのか、我々の脳裏から離れることのない疑問となっている。香港人自身も、私たち外部の人間も、これを民主化運動と位置付けているように見えるが、一方で、香港で若者たちによって叫ばれていた「時代革命」のスローガンには、革命の匂いが漂っていた。

移ろいやすく、日々揺らいでいく民意に基づく民主主義とは「不確かなもの」であると作者は語る。そのため、「一致団結したメンバーによる共同体の創出という神話がたびたび動員される」という。香港では「時代革命」のスローガンが叫ばれただけではなく、反対運動の「国歌」が名もなき作詞・作曲者によって作られ、「水のように戦う」という香港にゆかりの深い映画スター、ブルース・リーの映画から借用されたユニークな抵抗戦術も編み出された。

作者はこう書く。

2010年代の香港では、そのような「基盤」の創設が『時代革命』という切迫したスローガンを伴って急ピッチで進んだ。香港の本土主義者はまず革命の舞台となる家、つまり『祖国』を生み出そうとしたのである。

香港の人々を突き動かしていたのは習近平式「愛国者の統治」を掲げた一国二制度の「中国化」への危機感であり、「故郷喪失」を課せられた香港人は、中国化の危機のなかで、自らの固有性=本土思想に目覚めた。

そうなると、香港で起きたことは、厳密には民主化運動でもなければ、革命運動でもなかったのかもしれない。それは作者がいうように香港という共同体の「固有性」を探し、守っていこうという防衛戦だったのではないか。作者の記述は、そうした思考に私たちを導いていく。

梅棹理論から分析するアジアの「衝突」

作者が関心を寄せるのが、戦後人類学者として活躍した梅棹忠夫が提示した「文明の生態史観」に基づく「第一地域」である台湾、香港と、「第二地域」の中国との衝突という見方である。

第一地域は西ヨーロッパと日本など、資本主義文明をいち早く発達させた地域で、第二地域は中国やロシアなど内陸部にあって資本主義の発達が遅れた地域を指している。だが、いまここにきて第二地域が資本主義に目覚め、新しい成長国家として台頭するなかで、第一地域(香港や台湾)との衝突が起きているというのが、作者の提示する仮説である。

その問いは、私たちの脳裏にあるもやもやとした疑問とたしかに重なる。
経済的に豊かになり、安定しているはずの中国と、その「周縁」において、なぜこれほど多種多様なかたちでの揉め事が起きているのだろうか。
軍事的圧力による海峡危機が世界から不安視されている台湾。
国家安全維持法による民主派の弾圧が続く香港。
強制労働問題や収容施設問題が人権上の疑念を引き起こしている新疆ウイグル。
日本との尖閣諸島問題でも、中国の警備船の領海侵入が日常化している。

大国の風格はなく、ひたすら強硬に「周縁」の人々を恐れさせる中国に対し、各地では「抵抗」が生まれ、中国をさらなる弾圧に動かし、地域の不安はなお高まる。

そうした悪循環について、作者は「この民族衝突の原因は、『植民大国』であった清による中国の版図の再定義まで遡ることができる」と主張する。経済的なリンクを、ユーラシア大陸に開こうとする習近平政権の「一帯一路」も、清の時代に起きた「植民」のプログラムを、武力をつかわずに再起動する現代版帝国建設ではないかと疑うべきで、今日に生きる我々は過去のユーラシアの歴史を振り返る必要があると説いているのだ。

『ハロー、ユーラシア 21世紀「中華」圏の政治思想』

福島亮大(著)
発行:講談社
四六変形判:290ページ
価格:2000円(税別)
発行日:2021年9月13日
ISBN:978-4065245231

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