【書評】両面性を秘めた花の来歴と「百合王国」日本:マーシャ・ライス著『ユリの文化誌』
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最古の栽培植物のパラドックス
ユリは、花としては最古の栽培植物といわれる。宗教的儀式や冠婚葬祭に供され、観賞用、食用、薬、化粧品にもなる。
紀元前2500~1450年頃、エーゲ海のギリシアの島々で興った古代ミノア文明で、ユリの絵が壁画に描かれ、宝飾品や陶器に彫られた。人類とユリとの歴史は数千年に及ぶ。著者はこう切り出す。
ユリが人間だったら、多重人格障害と診断されるだろう。神話、宗教、芸術、文学、大衆文化におけるその千変万化の物語は、貞節と性欲、善と悪、滋養と毒、生と死というまったく正反対のものの物語である。
ユリは古来、「生」と「死」のふたつと密接な関係にあった。著者は次のように指摘する。
ガーデナーを除けばたいていの人が、ユリから葬式と結婚式しか連想しない。花の美しさははかないものだから、花が生と死に結びつけられるのは避けられないことだ。(中略)東アジアだけでなく古代エジプト、ギリシア、ローマでも、死者をたたえ強い香りで死の臭いをかくすために、ユリは葬式に欠かせないものだった。
古代ギリシアとローマの結婚式では、花嫁は多産のしるしとしてユリの冠をかぶった。
「生と死」に象徴されるように、ユリは両面性とパラドックスを秘めた花だ。ユリはその芳香と美しさゆえに愛好家も多い半面、「大嫌いな人もいる」のである。
「本当のユリ」110種、日本に15種
ユリは、英語で「lily(リリー)」。本書の原題は『Lily』で、原書は英国ロンドンの出版社、Reaktion Booksから2013年に刊行された。
「人生の大部分をガーデナーと作家として過ごしてきた」著者、マーシャ・ライス(Marcia Reiss )氏はニューヨークの歴史と建築に関する本を多数出版している文筆家だ。彼女はニューヨーク州北部の村に夫と住み、庭でオニユリなど多くのユリを育てているという。
そもそもユリとは何か。植物学の分類ではユリ科ユリ属が「トゥルーリリー(本当のユリ)」に当たる。
ユリに関して驚くべきことのひとつが、その種類の多さだ。ユリ科には250の属があり、その最大のものがユリ属である。この属には110という膨大な数の種が含まれる。植物界には約40万の種があることを考えれば、たいしたことはないと思うかもしれない。だが、平均的な属には種が18しかないのだ。
ユリ属は主に北半球のユーラシア大陸、東アジア、北米などに分布している。本書によると、ユリ属110種の「半分近くは中国生まれ」だが、15種が極東の国、日本に自生している。ヤマユリをはじめ、ササユリ、オトメユリ、カノコユリなど日本特産のユリは、野生種であっても華麗さがある。
西洋のユリの代表マドンナリリー
ユリの世界史を振り返ると、西洋のユリ属の“家長”は「マドンナリリー(和名ニワシロユリ)」だった。「その起源はおそらくバルカン諸国にあり、もしかすると氷河時代より前かもしれない。栽培の歴史ははるか紀元前1550年頃までさかのぼる」という。
古代ローマ人は神への供え物や観賞用だけでなく、球根を食料、薬品などにするため、白い花のマドンナリリーを栽培した。ローマ帝国の軍隊は駐屯地近くに植えて「球根がいつでも手に入るようにした」。球根からつくる湿布剤は歩兵の「ウオノメの治療に使われた」という。帝国を拡大したローマ軍の進軍に伴い、マドンナリリーは欧州全土に広がったといわれる。
欧米人を魅了した日本産のユリ
西洋では、マドンナリリーがユリの代表格だった。キリスト教の「聖花」でもあった。ところが、スウェーデンの植物探検家カール・ペーテル・ツンベルクが1776年、日本南部の琉球諸島でテッポウユリを“発見”したことを契機に、主役交代となった。
日本からテッポウユリの球根が輸出され、米国やその植民地でも栽培された。19世紀以降、欧米市場ではこの白いトランペット形のユリが復活祭の「イースターリリー」として好評を博した。聖母マリアの純潔のシンボルでもあったマドンナリリーは、日本のテッポウユリに取って代わられたのである。
西洋に社会現象ともいえるユリ人気をもたらしたのはイースターリリーが最初ではない。それより前に、やはり日本からやって来たユリが、収集家だけでなく一般のガーデナーにも興奮を巻き起こしたことがある。
江戸時代後期に来日したドイツの医師フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは日本の動植物を欧州に紹介したことで知られる。本書では、1830年に「花弁の縁が波打った華やかな」カノコユリをドイツに送ったと記している。
イギリスの植物商ジョン・グールド・ヴィーチは1862年、後に「ユリの女王」と呼ばれるヤマユリを母国に送った。「直径30センチある椀状の花に深紅の斑点と黄色い筋が入っている」美しい花をヴィクトリア時代の大英帝国など西洋の園芸界は熱狂をもって迎えたという。
西洋のユリ狂時代、日本発の球根貿易は隆盛を極めた。明治時代以降、ユリは生糸と並ぶ外貨獲得の花形といわれた時期もある。神奈川県や静岡県の野山から大量のヤマユリの球根が掘り出され、横浜港から輸出された。ちなみに神奈川県の県の花は「山ゆり」だ。
ユリ科ユリ属の原種は110種とされるが、世界にはさまざまな園芸品種がある。「何世紀も前から育種家たちは異なる種のユリを組み合わせて種類を増やし、耐寒性と耐病性を高めようとしてきた」のだ。
交配により、ほとんどあらゆる色、形、大きさの、驚くほど多様なユリが生み出されてきた。国際ユリ登録簿には1万5000以上のユリが登録されており、同じくらい多くの未登録の交雑種が存在していると考えられている。
日本発のユリの原種は園芸品種の中核にもなった。例えば、交配種の「オリエンタル・ハイブリッド」は主にヤマユリとカノコユリに由来する。テッポウユリと台湾原産のタカサゴユリの交配種は「シンテッポウユリ」と呼ばれている。日本のユリは世界でも独特の地位を占めてきた。日本は“百合王国”といっても過言ではない。
聖書の「野の百合」は白かったか
「野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり。されど我なんぢらに告ぐ、榮華を極めたるソロモンだに、その服裝この花の一つにも及かざりき」――。新約聖書「マタイによる福音書」6章28節から始まる有名なくだりだ。この日本語訳は1953年当時の新約聖書の表記である。
キリスト教社会運動家で世界的に知られた賀川豊彦牧師(1888-1960年)は生前、この一節を引用する形で「野の百合を見よ……」と揮毫(きごう)することが多かった。
この「野の百合」とは、どのような種類のユリだったのか、欧米では長い間論争があった。本書ではこう分析している。
聖書のユリはよく知られている白いイースターリリーではなかった。植物学者たちは、それは中東原産の白、紫、さらには赤色の、いくつもあるユリのいずれかだったのではないかと考えている。
聖書の「野の百合」は必ずしも白くはなかったようだ。確かに、最近の新約聖書では「野の花」と訳されている。
スイレン、スズラン、カラーも「リリー」
本書はユリ科ユリ属の「本当のユリ」だけでなく、英語名で「リリー」が付くあらゆる植物を対象にしている。
目が覚めるようなデイリリー(「日中の美」という意味のギリシア語に由来する「ヘメロカリス」と呼ばれる)、曲線が美しいカラーリリー(和名オランダカイウ、「カラー」と呼ばれる)、神秘的なウォーターリリー(スイレン)、小さな花茎が地面をおおうように広がるリリー・オブ・ザ・バレー(スズラン)などについても、かなりのページを割いている。
ユリに関する古今東西の文献を幅広く渉猟しているのも本書の特徴だ。「ギリシア神話では、ユリは最初、女神ヘラの乳のしずくから地上に芽を出したとされる」、「紀元前200年頃 中国の学者たちが、ユリに言及した現存する最古の文書『神農本草書』を編纂する」、「ユリの球根は、中国、韓国、日本で1000年以上前から栽培されてきた」、「デイリリーとオニユリの蕾と球根は、中華料理の重要な材料である」、「2011年 オランダのリッセにあるキューケンホフ公園で、世界最大のユリの展示が公開される」といった具合だ。
植物学的な蘊蓄(うんちく)だけでなく、文学、絵画などのエピソードも豊富だ。『ヘンリー八世』で、バラと「花の女王」の座を争ってきたユリに触れたシェイクスピア、ユリを上着の襟につけた耽美主義の作家オスカー・ワイルド、『鏡の国のアリス』で話をするオニユリを描いたルイス・キャロル、自宅の庭のスイレン池を題材に『睡蓮』の絵を連作したクロード・モネら著名な人物が次々に登場する。
ユリをめぐる故事来歴や物語を網羅した本書は、気高く華やかな花がもつ複雑な魅力や正反対の顔を余すところなく伝えている『ユリ大全』だ。年表に加え、カラー図版や写真は100点近く掲載され、まさに花を添えている。
『ユリの文化誌』
マーシャ・ライス(著)、上原 ゆうこ(訳)
発行:原書房
四六判:280ページ
価格:2640円(税込み)
発行日:2021年10月27日
ISBN:978-4-562-05954-6