霎時施(こさめときどきふる):七十二候から見るコロナ禍のロンドンの自然
社会 暮らし- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
七十二候との出会い
何年も前になるが、日本語の勉強を始めたその昔、最初に暗記した文章が「雨がよく降りますね」だった。当時、私は英国に住んでおり(今もそうだが)、日本でいうところの土砂降りはそれほど多くなかった。むしろ、にわか雨、小雨、霧雨などが時折降った。
こうした英国の気候にヒントを得て、パリキアンはタイトルに「霎時施」を付けることにした。「霎時施」は第五十三候の季節(10月28日~11月1日頃)で、偶然にも私はパリキアンと10月末に、彼のロンドンの自宅近辺で会って話を聞くことができた。
この本を書くまで、パリキアンは日本に対して特別興味を持っているわけではなかった。たまたま、インターネットで日本の七十二候を知り、夢中になった。早速、七十二候のアプリもダウンロードした。次回作はこれでいこう!と思った。
「広範囲に及ぶ四季を、より扱いやすい塊に分割する七十二候の考え方に心引かれた」とパリキアンは言う。
本作は2020年2月から21年1月に及ぶ自然観察日記だ。この間、新型コロナウイルスが英国で猛威を振るい、ロンドンでは厳しいロックダウンが数回実施された。
「コロナで世界が様変わりしたが、自然は変わらない確かな存在だった」とパリキアンは当時を思い起こす。
ロンドンで熊が穴にこもる?
本書は72のエッセイから構成されており、一つ一つが七十二候に該当している。ただし、日本語の七十二候をそのまま英語に当てはめるのではなく、むしろパリキアンの身近な何かに当てはめているのだ。いずれにせよ、日本の季節の特性をロンドンの何かに置き換えることは難しい。
第六十二候「熊蟄穴」(くまあなにこもる)は12月12日~16日頃で、本格的な冬の到来で熊が冬ごもりのために穴に入るころのことだ。「熊の冬眠なんて、ロンドンのウェストノーウッドでは滅多に遭遇しませんよ」とパリキアンは笑う。
12月12日~16日のロンドンバージョンをパリキアンは、「灰色の空が絶え間なく続く」と表現している。ロンドンの陰鬱(いんうつ)な冬を耐えた人であれば、この表現を理解してくれるだろう。
その一方、「霎時施」は自宅納屋でのびっくりするような出会いを反映している。ある道具を探していたパリキアンは偶然にもクモを見つけたのだ。そこで、「霎時施」を「クモが納屋に現れる」という英国バージョンに置き換えた。
日英の四季の違い
日本と英国の両方に住んだことがある私は、この本を読みながら、自然環境の違いを考えずにはいられなかった。日本に住んでいたころ「英国に四季はあるの?」という質問をしばしば受けたのだが、これには途方に暮れた。この質問をした人たちは恐らく、日本には素晴らしい四季があるのだという誇りを持っていたのだと思う。私はちょっと怒り気味に「もちろん、英国にも四季はありますよ!」と答えた。
しかし、よく考えてみると、もっともな質問だ。パリキアンが序文で言及しているように、タイには夏、冬、雨季の3つの季節がある。ヒンズー教の暦は、春・夏・秋・冬のほかに雨季と晩秋という6つに分けている。米国の作家カート・ヴォネガットは米国の東部海岸には6つの季節―「解錠」・春・夏・秋・「施錠」・冬―があると述べている。(『これで駄目なら 若い君たちへ―卒業式講演集』カート・ヴォネガット 訳=円城塔 飛鳥新社)
日本と英国の四季を比較すると、日本の方が明確に分かれている。極めて透明な冬の空、春の桜、焼け付くような夏、深紅色の秋、といったように。あまりにはっきりと季節の境界が区切られているので、恐らく、昔の日本人はさらにそれを細かく分ける必要性を感じ、七十二候に分けたのではないだろうか。
その一方、英国の四季は、冬になると凍結した霜、長時間、黄金色に輝く夏の夕焼けといった現象はあるものの、それほどはっきりと区切られておらず、パリキアン曰く「曖昧に広がっている」。季節が重なり合い、区別がつきにくい。
日々の観察を通して、地球の気候変動についても感じた。「気候変動はまさに私が気にしていたことです」とパリキアンは言う。本作を書いた背景には、もっと自然に興味関心を持ってほしいというパリキアンの情熱があった。「読者に気候変動について考えてもらう書き方はいくらでもあります。結局のところ、地球規模の自然環境を守ろうと思う前に、まずは身近にある自然を好きになることが必要なんです」
「とにかく見る。もっと見る!」
パリキアンが自然への愛を再発見したのは、40代半ばになってからだった。鳥が大好きで、本書では膨大な知識を披露されている(彼は夜明けに鳥がさえずるときに23種類の声を聞き分けることができるのだ!)。
自然を学ぶ立場で書いてあるので、読者もパリキアンと一緒に発見の旅をしているような感覚になる。そしてこの本には驚くような発見が載っている。(ちなみに、私はしばしば本を横に置いて、ウィキペディアやグーグルで画像検索をしながら読み進めた。チキン・オブ・ザ・ウッドという名前のキノコはどんなものなのだろう? 人類が出現するはるか前から存在していたトンボは本当に75センチもの長さの羽があったのか?)
他方で、パリキアンは2つの根本的な質問、「自然とはまさに何か?」「どこで自然を見つけられるのか?」を暗に提起している。
自然について俯瞰(ふかん)的な見方をしているパリキアンは、プランターのトマトも、都会の高層ビルに反射する太陽光の角度や明るさでさえも、自然と考える。歩道の雑草や納屋のクモだって自然の一部だ。つまり、自然は私たちの生活のどこにでもある。ロンドン郊外に住んでいようと、英国詩人ワーズワースが愛した湖水地方で一片の雲のように一人さまよっていようと、平安時代にできた日本庭園を訪れようと、どこにでも自然は存在している。
「自然から距離を置くという考えも理解できます。でも自然は別物ではないのです。私たちは自然の一部であり、自然は私たちの一部なのです」
読者の中には、「七十二候をリアルタイムで読みます」とパリキアンに伝えてきた人がいたそうだ。実際の季節と同じ時季に本書を読むことで、読者一人一人が何かを発見し、個人の自然観察力も磨き上げられるだろう。
私たちは身近な場所で何を見つけるだろうか? 期待以上のものが見つかるかもしれない。何も、英国の著名な動物学者デービッド・アッテンボロー氏を目指す必要はないのだから。庭に置いてある鳥の餌箱や、公園にやってくるふわっふわな動物たちに対して少し注意を払えばいいのだ。そうすれば何かに気が付くだろう。
「自然の全てを発見できる人はいません。でも目を開けて見なければ観察は始まらない。とにかく見る。また見る。もっと真剣に見る。これしかありません」
(原文英語。バナー写真:ロンドンのウェストノーウッド墓地を歩くレヴ・パリキアン。写真撮影:トニー・マクニコル)
Light Rains Sometimes Fall: A British Year Through Japan’s 72 Seasons(仮題:霎時施【こさめときどきふる】:日本の七十二候から見た英国の一年)
レヴ・パリキアン(著)
発行: Elliott & Thompson (2021年9月)
ISBN: 978-1783965779


