【新刊紹介】老後を楽しむ「もの書き」二人の口伝:池内紀・川本三郎編『すごいトシヨリ散歩』
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江戸っ子と「半東京人」の対談集
池内紀(いけうち・おさむ)氏は1940年兵庫県姫路市生まれ。東京外国語大学を卒業し、東京大学大学院を修了したドイツ文学者。東大教授などを歴任し、55歳で文筆業に転じたエッセイストである。
川本三郎(かわもと・さぶろう)氏は1944年東京生まれ。東大法学部を卒業、朝日新聞社を経て、文芸や映画の評論家になった。猫を愛し、昨今の猫ブームを「高齢化社会と関わりがある」と看破する。
この二人の対談「にっぽん そぞろ歩き」が月刊誌『望星』(東海教育研究所)で2016年9月号から19年9月号にかけて掲載された。一連の対談を書籍化したのが本書である。
池内 ぼくは半世紀くらい東京に住んでいて、半身は東京人だけど、もう半分はお国を持っているという感じがいまでもある。だから自分を「半東京人」と考えているんです。そんな半東京人の自分にとって、東京はいつも未知で、どんなに親しくなっても、どこか知らない部分があるから、未知を歩いているという楽しみが常にあります。
川本 私は、七十過ぎてから、いまの東京についていけなくなってしまって。銀座もすっかり様変わりしたし、新宿なんかは三越がなくなったというのが、私の世代にはショックで。最近いちばん驚いたのは、日比谷の再開発で有楽町の代名詞だった「日劇」の名が消えるそうです。
対談のテーマは「東京の味わい方」から、「映画で歴史を読み直す」、「旅は列車に乗って」、「本は愉快な友だち」、「あこがれの女優たち」、「いい町にはいい喫茶店がある」、「愛しのレコード・ジャケット」、「美食よりシウマイ弁当」など幅広い。
長寿にちなんだ人物の名も次々に登場する。ドイツの詩人で世界的作家になったゲーテ、文豪トーマス・マン、ドイツ語作家のフランツ・カフカ、文学者エーリヒ・ケストナーら。日本では江戸時代後期の国学者、紀行家である菅江真澄(すがえ・ますみ)、『濹東綺譚 』や日記『断腸亭日乗』を著した小説家の永井荷風らだ。
池内氏によると、『イタリア紀行』のゲーテと『真澄遊覧記』を遺した菅江は「ほぼ同時代人で、二人の記したものを見ると、出発した時期も、ほぼ同じ。風俗や祭礼、信仰などを観察しながら行くという姿勢も同じだから、比べると面白い」。ドイツ文学者らしい慧眼(けいがん)である。
二人とも博識であり、著書も多い。ご両所は桑原武夫学芸賞、読売文学賞、毎日出版文化賞などを総なめにしている。著名な作家でありながら、自らを「もの書き」と称する。
知識教養をひけらかさない。大言壮語をしない。権力や権威とは距離を置く……。生まれ育ちが東京の「江戸っ子」と「半東京人」の気取らないやりとりは、親密な間柄が感じられ、とても爽快だ。
戦後アナログ人間、時代に警鐘
実は池内氏、2019年8月30日に鬼籍に入っている。享年78歳。彼は晩年、『すごいトシヨリBOOK トシをとると楽しみがふえる』(2017年8月15日第一刷)を上梓している。
書名は「多少とも若い人への見栄もあって、ユーモアをこめて名づけをした」という。同書は古希を迎えた池内氏が自らの老化の現実に向き合った体験を踏まえ、「楽しく老いる秘訣」を伝授している。併読するのも悪くない。
川本氏が今回まとめた本書『すごいトシヨリ散歩』の書名は前書を踏襲したのだろう。本書のあとがきで川本氏は「池内さんは私のもっとも親しくしていた年上の友人で、またもっとも尊敬するもの書きだった」と述懐し、共通点を列挙している。
子供時代、貧しかったから貧乏性なこと。贅沢が苦手。二人とも旅好きだが、高級旅館にはまず泊まらない。安宿に泊って町の居酒屋で飲む。
パーティや会議が苦手で、なるべくなら敬遠したい。一人でいる時間を大切にしたい。二人とも極端なアナログ人間で、いまだに原稿は手書きであることも共通していた。パソコン、スマホ、メール、一切使えない。私はどうにか携帯電話は持っているが、池内さんは持っていない。池内家にはテレビがない。
しかし、何よりも共通していたのは二人がなんとか筆一本で生きようとしたことではないか。
旅や散歩の達人であることも似ている。池内氏は著書『散歩本を散歩する』(2017年6月30日発行)で「散歩本」45冊を取り上げているが、川本氏の『ちょっとそこまで』(講談社文庫)も選んでおり、同氏を「生粋の東京人」と評している。
もっとも、違いもある。対談で池内氏は「ぼくは……」と切り出すことがあるが、川本氏はかねて主語は常に「私」である。
二人とも「天下国家のことは語らない」。しかし、対談が連載されたのは安倍晋三首相の時代だった。両氏にとっては当時の政権の支持率の高さが「不思議な現象」と映っていたようだ。対談ではときに、戦争やナチズムも俎上(そじょう)に載せた。
川本 日本でも、日中戦争のときには軍需景気だった。ドイツでも、あれだけヒトラーが支持されたのは、職を与えたからですよね。
池内 ナチスがやったような超急テンポの経済成長を始めると、戦争をしないことにはあとが続かない。戦争というのは一大公共事業で、利権に絡んでさえいれば、絶対に儲かる。幼いころ、「戦争は儲かる」という言葉を最初に聞いたのが、朝鮮戦争でした。
戦後アナログ人間の二人はデジタル時代こそ、読書が肝要だと説く。池内氏は紙の本にこだわり「電子機器に納められているものはあくまで情報で、ボタン一つで即座に消えかねない情報は、いくら積み重ねても知識にならない」と諭す。
川本氏は「私たち世代としては、この先、残された人生、いままで親しんできた本と映画、それに旅を楽しんで終わってゆくのではないかと思います」と応じる。
旅心もそそられる一冊である。
発行:毎日新聞出版
発行日:2021年11月5日
四六判:320ページ
価格:1870円(税込み)
ISBN:978-4-620-32703-7
